江戸時代への誘い【2】

徳川吉宗

徳川将軍「御三家」「御三卿」から見る、江戸時代への誘い

先の記事で、江戸時代を理解するツールとして徳川15代の流れを記述した。今回はその第2弾である。「御三家」と「御三卿」を中心に時代を記述したい。
(前回➡ 江戸時代への誘い【1】

1.徳川15代将軍一覧表の分析

徳川将軍一覧

徳川将軍一覧

表は前回の記事にも引用した表である。
徳川15代将軍を、その在任期間・在任年齢に着目した一覧に、
① 有名人を着色(空色)
② 在任期間20年超を着色(橙・赤色)
③ 直系が続いた代を太枠でくくる
として、流れを示したものである。
このように並べることで、家ごとの系譜が少し見えてくる。将軍家とはいえ、男子が途絶えたり早世したり、その維持のためには一筋縄ではいかなかった。それを維持すべく、いろんな手段が講じられた中に徳川幕府はあり、江戸の平和があったと言える。

2.徳川15代将軍の家系図から見る将軍家の流れ

次の表は、先の15代将軍のリストを「家」を視点に作った系図である。少し複雑だがお付き合い願いたい。

家系の流れから見る、徳川15代将軍

家系の流れから見る、徳川15代将軍

これを見ると、徳川15代と一口に言っても、如何にいろいろな工夫がなされて維持されたかがよりわかると思う。
概略を言えば、1代~4代まで続いた家康直系は崩れ、綱吉の時点からその親戚筋で続いた。しかし、綱吉の後2代が早世したことが将軍の継嗣という意味では混乱を生じさせた。結果、上記の図からもわかるように、紀州から吉宗を迎えるという「御三家」の機能が発揮されることになる。その後は、吉宗の代が3代続いたのち「御三卿」の一つ一橋家から家斉が入り、その長い期間を経て3代続いたのちに、幕末の将軍継嗣の時代に入ることとなる。

3.将軍家の流れと「徳川御三家」の関係

まずは、御三家の始まりから少し触れたい。

御三家は、家康の9男義直が尾張を、10男頼宣が紀州を、そして後に加わった水戸を11男の頼房が統治に当たったことからスタートする。当初は将軍家・尾張家・紀州家の3家を御三家といったが、尾張・紀州が将軍家と同格はおかしいということで、3代家光の時に、水戸が加わり尾張・紀州・水戸で御三家となった。
なぜ、尾張・紀州・水戸なのかについては諸説あるが、開祖の家康の戦争に明け暮れた時代を考えれば、日本全体を見た時の要衝の地を直轄にするという考えは理解できる。尾張は言わずと知れた京都・江戸を結ぶ要衝であり、紀州は大阪、水戸は東日本への備えといったところではないだろうか。
御三家は徳川姓を名乗ることを許され葵の御紋の使用も認められ、他の大名とは格上の立場であった。その格を示す最も大きいものが、「将軍に継嗣がなければ御三家から養子を出す」というものだった。実際に将軍の養子を出すことになるのは8代吉宗が最初だったが、その機能がしっかり果たされているのを見ると、家康の先を見る目には驚かされると同時に、その仕組みがきちんと機能するよう代々引き継いでいくという当時の人々の聡明さにも感嘆する。
なお、水戸を加えるときにその力となったのが当時の水戸の2代目藩主の光圀である。水戸黄門のモデルとして知られるが、若いときから非常に学問に熱心で、その思いは後世にも「水戸学」として受け継がれる。そしてその水戸学は、幕末の日本の思想に大きな影響を与え、明治維新の大きな原動力となる。結果として討幕になったことは皮肉と言えるが、日本全体の大きな力となったことは間違いなく、その意味でも江戸という時代の持つ意味であり力を感じる。
上記の表にもある通り、御三家で将軍を出していないのは、御三家筆頭の尾張だけであることは皮肉としか表現のしようがない(正確には15代慶喜は一橋家に養子になってから将軍になっているがここでは広く水戸出身として扱う)。名古屋人の私としては少し寂しい気もする。更にいうと、その尾張は幕末の戊辰戦争の段階では討幕側についている。こうなったことは結果論であり、日本全体で考えればその必然性は理解できるが、江戸という視点で考えると歴史の皮肉を感じずには入れらない。

4.御三家初の将軍、8代将軍吉宗とその実績

さて、次に吉宗以降を見ていきたい。徳川吉宗というと、「暴れん坊将軍」「享保の改革」といった話がいろいろあるが(前者はあくまでテレビ番組ではあるが)、ここでは2点について述べたい。一つは、「御三卿」、もう一つは経済政策である。
「御三卿」とは、先の「御三家」をまねて作ったもので、時代を経て将軍家から御三家が離れていく中で、将軍家の血筋をより近いものにするために作ったものである。これは、印象からすると、吉宗が自分の血筋を囲うために行ったようにも見える。しかし、系譜や歴史を見ると、それだけでもないように思える。
吉宗が将軍となるまでもいろいろあり、かなりの混乱があった(中には暗殺とも思われるものが入っているが・・・)。特に7代の家継が若いこともあり、学者である新井白石が将軍継嗣に影響力を持つなど、吉宗にとっては理解できない動きもあったと想像する。そうしたことを排して、より徳川幕府そのものの存在を確かなものにする仕組みを構築しようと考えた結果と思う。もともと吉宗は開祖の家康を非常に尊敬していたといわれる。徳川幕府の存在を確かなものにするために、将軍の存在に疑念がないようにと腐心したのではないか。だからこそ、長男家重が脳性麻痺で言語明瞭でなくとも、血筋を重視して家重に継がせたのではないかと思う。そういった意味でも、吉宗という人の大局観がうかがえる。
二点目の経済政策について、吉宗は「米将軍」と言われるほど、米の価格に神経をとがらせ政策を行っている。米の価格というと単なる米のことだけ気にしていたのか、と思うかもしれないが、当時は税は年貢であり年貢は米である。米の価格はそのまま幕府の財政に直結する。これをいかに調整するか考えるという、経済的な大局観もうかがえる。吉宗というと「質素倹約」であるが、後半には大岡忠相の進言を取り入れ貨幣の改鋳を行い、貨幣量を増大させてインフレを実現している。今でいう金融政策を適切な時期にやったおかげで、景気は持ち直した。

5.田沼意次政治について

こうして吉宗時代を見てみると、まさに「中興の祖」というにふさわしい活躍と思う。先の系譜図を見ても、その時作った仕組みが如何に機能しているかがわかると思う。
なお、その後の家重・家治の時代について少し触れると、老中として権勢をふるった田沼意次が重用されている。この田沼意次は歴史の教科書では、わいろの人、としか印象がないが、近年大きく見直されている。田沼も経済に明るく、意識的に重商主義を進め、景気を大きく発展させている。更に鉱山の開発や当時の蝦夷地の開拓など、明治維新を待たずとも「日本国」を意識した政策を実施した面があることを触れておきたい。

なお、徳川時代の経済政策とその流れについては、上念司氏の「経済で読み解く明治維新」(KKベストセラーズ)に、非常にわかりやすく書いてある。名著であるため、是非紹介しておきたい。

6.長・長期政権であった11代将軍家斉とその後の将軍継嗣状況

最後に、徳川家斉とその家系について触れたい。家斉自身については前回の記事(江戸時代への誘い①)を参照いただきたい。ここでは、家斉自身よりも子だくさんの家斉のその後の系譜の流れを追いたい。
前にも述べた通り、家斉は側室を多くとり子供も多かった。一説には一橋家で将軍家を固めたいという思いからというが、さすがに趣味もあったか。とにかく、子は50人以上いたというが、将軍を家慶に譲ったのちにも「大御所」として君臨し続けた。更に家斉の息子は、系譜にあるとおり、紀州家にも出している。
紀州の系譜は、家斉の7男の斉順(なりゆき)が清水家に養子に入った後、紀州に入り藩主となっている。斉順は藩主として21年勤め、43歳でわが子を見ることなく死去。その後は家斉の21男の斉彊(なりかつ)が紀州藩主となる。斉彊も早世で藩主になって2年あまりで30歳の若さで亡くなっている。その後の紀州藩主は、父斉順をみることなく生まれた慶福(後の家茂)である。
一方、家斉の後の家慶は、1853年(嘉永6年)のペリー来航後、日本が大揺れに揺れる中、その19日後に亡くなっている。そして、病弱の家定が将軍となり幕末の将軍継嗣問題を経て、斉順の子慶福(よしとみ)が家茂として14代将軍となる。系図を見て気づいたかもしれないが、慶福及び15代将軍の慶喜の「慶」は、家慶の「慶」から賜ったものである。こうしてみると、慶喜の前4代までほぼ家斉の直系と言える。家斉の「家」に対する執念が、その支配を作っていたのかもしれないが、あまりに激動の時代の幕開けで、もはや幕府や家がどうと言っている時代の最後ともいえる。

7.「御三家」「御三卿」の制度を見て思うこと

以上、15代将軍の系譜を「御三家」「御三卿」を中心にして見てみた。徳川15代260年の時代を、大きな戦争のなかった平和な時代、とだけとらえていてはその後の日本を見る上で大きな欠陥となってしまう。世界にも類を見ない平和な発展の時代ではあったが、日本人の知恵と工夫で維持してきたものであることがわかる。平和とは勝手にできるものではなく、その時代に合わせ柔軟に対応しつつ伝統の柱を持つことで保たれてきた、と、江戸時代一つ見ても教えてくれているように思う。

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