安倍首相の硫黄島(いおうとう)の訪問から思う~「硫黄島の戦い」と遺骨収集~

報じられない、安倍首相の硫黄島(いおうとう)訪問と遺骨収集事業の推進に思う。

少し前の話であるが、今から5年前の平成25年(2013年)4月14日に安倍首相が硫黄島(いおうとう)の遺骨収集事業の視察に行っている。マスメディアの報道は極めて小さかった。本来、日本人として知るべき硫黄島の話を通じて、思うことをまとめてみた。戦争の頃の話ではあるが、それを通じた現在の話と思う。是非、参考にしていただきたい。

1.ほとんど報じられない安倍首相の活動

5年以上前になるが、安倍首相が再度登板し民主党政権から政権を奪いとったのが平成24年(2012年)の12月である。その直後から、民主党政権の3年間でボロボロになった諸問題を大きく転換しいろいろ改革を行っている忙しい最中であったが、その翌年の平成25年(2013年)4月14日に安倍首相は硫黄島(いおうとう)の遺骨収集事業の視察のために、硫黄島を訪問している。

もともと戦没者の遺骨収集は、第一次安倍政権の頃から安倍首相の強い意志で進められ、その後の麻生政権も引き継いだ。しかし、民主党政権になり、鳩山政権ではほぼストップ、次の管政権で多少進んだがパフォーマンスとの印象もぬぐえなかった。

しかし安倍首相には全く違う印象を持つ。この硫黄島への訪問の際、自衛隊の空港の滑走路の下に遺骨が埋まっていることの説明を受けたとき、ごく自然に正座をしその下を見つめる姿がある。また、遺骨収集事業を大幅に見直し、「硫黄島に係る遺骨収集帰還推進に関する関係省庁会議」を新設。網羅的に遺骨収集を行うことを積極的に進めている。

硫黄島の空港で説明を受ける安倍首相

硫黄島の空港で説明を受ける安倍首相

安倍首相がこうした事をしていることは多少は知っていたが、YouTubeの「虎ノ門ニュース」で青山繁晴氏が深く解説してくれて、初めて詳細を知ることができた。それも大分前の話だが、それを聞いたとき、本当に心より感動した。しかも、マスコミは意図的としか思えないほどに、そうしたニュースを報じていない中である。これほどの活動を報じないマスコミもどうかしていると思うが、先人に対する尊敬の念を込めたこうした姿や活動は、安倍晋三氏の個人の情熱を感じずにはいられない。

私は、日本の歴史を学びながら先人に対する尊敬を失わないように思っている。そう思うと、このような人が総理大臣でいることを本当に誇りに思える。ただし、種々の政策での不満はあるが・・・。

下記に、「内閣広報室」が出している遺骨収集事業の動画のリンクをご紹介する。少し古いものだが、安倍首相のこうした活動はなかなか報じられないので、是非見てほしい。

国のトップがこうした真摯な姿勢で過去の先人に向かい合っている姿は、もっと報じられるべきであり知るべき事であると思う。

2.硫黄島の位置と「硫黄島の戦い」の歴史的背景

硫黄島(いおうとう)について説明しておきたい。まず第一に、「いおうじま」ではなく「いおうとう」であることを言っておきたい。かくいう私もよく間違えた時期があったが、とにかく正確には「いおうとう」である。明治期の維新回天時期の混乱での名前が特に海外で使われ、映画等で広まったことが原因らしいが、名前は正確に理解したい。

硫黄島は、東京から真南に位置し、東京からおよそ1,700km南の島である。東京から遙か離れた島のように思えるが、第二次世界大戦中に「大東亜共栄圏」とよばれた版図から考えると、どれだけ日本の本土に近いかわかる。まさに、日本の喉元のどもとに当たる部分となる。

硫黄島の位置と大東亜戦争時の版図

硫黄島の位置と大東亜戦争時の版図

戦争は、開戦当初の昭和15年(1939年)は日本は欧米の軍隊を駆逐し、かなりの広い版図の制空権・制海権を握った。ただし、ここで間違えてはいけないのが「統治」したわけでは全く無い。そもそも、そこまでの国力も無かった日本は、アジアから西欧を追い出してアジアの国々と連携し、植民地支配ではない「大東亜共栄圏」を作る、という理想を持って進んでいたことは、建前も含んでいたとはいえ、間違いのない戦争理由であった。アジアにおける日本の「植民地支配」などという話は、そもそもそんな国力の無い日本で、まったくのでたらめである。

ここでは詳細は割愛するが、日本では陸軍・海軍と全く連携がとれないまま東京の政治の混乱もあり、戦略のないまま戦争は続いそれが結果的に敗北に走り出す。
そして、グアムを攻略しフィリピンを押さえたアメリカ軍が、その後の沖縄上陸の前提として、硫黄島の制圧に乗り出す。終戦の年の昭和20年(1945年)の2月から3月にかけて行われた戦いは、激戦を極めた。

3.激戦地であった「硫黄島(いおうとう)の戦い」

硫黄島での戦いは激戦を極めた戦いであった。

昭和20年(1945年)となればさすがに日本の敗戦も濃厚の状況であった。その中でのたった一つの島の制圧作戦として硫黄島があったが、日本にとってはまさに喉元であり、ここを取られることは後に来る本土の攻撃を容易にすることであることが認識されていた。

硫黄島の坑道

硫黄島の坑道

そこで日本軍のとった方法はアメリカ軍を誘い込み、全島の施設を地下道で結んでそこから攻撃することであった。地下道は28kmにも及び、当時は冬であったがその地熱で中は30℃~50℃にもなる灼熱の状況であった。その工事による死者・自殺者も後を絶たなかったが、日本の生命線として作戦は果敢に続けられた。また、海軍によるいわゆる「神風特攻隊」の作戦も行われ、まさに玉砕覚悟の決死の戦争となった。

星条旗を掲げるアメリカ兵

星条旗を掲げるアメリカ兵

この頃の残った文などを見れば、彼らはさすがに日本が勝つことを信じて戦っていたわけではなかった。負けるのはわかっているが、少しでも敵を減らすことで日本の祖国の家族や恋人が生きられる、という悲壮感であり、正義感であった。沖縄戦にも通じるものであり、心中を思うとやりきれない。

結果として、日本軍は敗れる。その被害は、日本側が死者20千人・負傷者1千人、アメリカ側が死者7千人、負傷者21千人で、両者まさに満身創痍であった。まさに激戦であり、アメリカにとっても、そのすぐ後に行われる沖縄戦と並び、深く刻まれる戦いとなった。今でもアメリカ軍では、硫黄島での軍人は一目置かれるそうである。

4.栗林中将の覚悟

硫黄島にて最後まで指揮を取った栗林忠道(ただみち)中将は、「硫黄島の戦い」の前年の昭和19年(1944年)に「小笠原方面陸海軍最高指揮官」となり、この地方の軍事責任者となった人である。「硫黄島の戦い」では全軍の指揮をとり「玉砕せよ」という大本営に従わず、徹底抗戦を指示した。無駄な死である「玉砕」ではなく、一人でも多くの敵を倒しその後の日本につなげるという、強い意志であった。

栗林忠道 中将

栗林忠道 中将

そうしたこともあってか、戦後には「若い人を死に追いやった」として地元では悪者にされた。法要すら出せなかったようである。しかし、栗林中将は戦闘前にいち早く島民を避難させると共に、作戦での無駄な特攻をやめるように動いている。
アメリカ駐在の経験もある栗林中将は、そもそもアメリカとの戦いに最も反対の一人であった。陸軍大学校では成績優秀で、本来は戦地に出るような人ではなかったが、それでも国のためにと戦い、散った人である。家族思いで、硫黄島から家族に宛てた手紙からその人柄がうかがえる。「常に諸子の先頭に在り―陸軍中將栗林忠道と硫黄島戰」という本があるので、興味のある人は是非見てほしい。

なぜか、アメリカでの栗林中将の評価は高い。あれだけの絶望の状況の中、軍をよく指揮し、アメリカを苦しめた英雄の一人として、その頃から言われた。勝ったアメリカの司令官ホーランド・スミスが「勝者なき戦い」と評したほどである。

大東亜戦争における他の戦いもそうだが、こうした先人達の奮闘は決して無駄にはなっていない。日本のこうした戦いが、日本を「植民地統治」させずまた「分割統治」もさせなかった要因となっている。「日本」という国の単位で、国体が維持されたまま戦争が終わったのは、こうした先人達の覚悟と犠牲があったからであることを、今に生きる者として胸に刻んでおきたいと強く思う。

新藤義孝 元総務大臣

新藤義孝 元総務大臣

なお、この栗林中将の孫と結婚したのが、新藤義孝氏である。新藤氏は衆議院議員で、古くから安倍首相と共に遺骨収集などに力を入れていた。新藤氏は、戦争で亡くなった人達への思いと不戦の誓いをすべく、靖国神社に当たり前のように参拝する。私が個人的に深く信頼する政治家の一人である。

5.現在の遺骨収集状況と、和楽器バンドの「風鈴の唄うたい」

話を「遺骨収集」に戻したい。
先ほど紹介した安倍首相の訪問は、もう5年も前の話である。そして遺骨収集は今も精力的に行われ、進んでいる。しかし予算は少なく、なかなか難しい面も多いようである。これだけの思いをもっている安倍首相をもってしても、なかなか行政の壁は厚いようである。それでも新藤大臣なども含め、地道に作業は進んでいる。過酷な地で散っていった先輩達の遺骨が、無縁仏のように地下に眠っているのは忍びがたい。少しでも進めばと思う。

和楽器バンドの鈴華ゆう子氏

和楽器バンドの鈴華ゆう子氏

話は飛ぶが、最近「和楽器バンド」というバンドの歌をよく聞いている。ボーカルの女性の鈴華ゆう子氏は、詩吟が「師範」で扇子と共に踊る「剣扇舞」を5歳から続けている。彼女を中心に、琴・和太鼓・尺八・津軽三味線などの和楽器の一線級の人達が集まってできたバンドで、「千本桜」などのヒット曲を出している。
その和楽器バンドの歌に「風鈴の唄うたい」というのがある。おそらく硫黄島の戦いなどをモチーフにしたと言われる。その歌唱力もだが、歌の内容にも圧倒される。感動する曲である。歌の力を思い知らされる。
下記にYouTubeでのリンクをつけるので、是非聞いてほしい。情景が浮かんで来て思わず涙した。なお、気に入った場合には、是非、購入して聞くことをお勧めしたい。

7.安倍晋三氏の硫黄島及び遺骨収集への取り組みを見て

こうした先人を尊敬する歴史観は、安倍首相は必ず持っていると思われる。「戦後レジュームの脱却」という言葉や種々の政策を見ても明らかである。また、でなければあのような行動が出来るとは思えない。
ただし、マスコミは見事にそうしたことは報道しない。日本人として、日本人を思うことがなぜいけないのか、今のマスコミ・野党の姿勢には、まったく理解に苦しむ。

歴史をしっかり見て、それを思い行動するという点において、安倍晋三首相の人柄と強い思いを感じる。歴史を直視し、それに学ぶことは決して過去を知ることではない。現在と未来を導く上で不可欠と思う。過去を否定しかしない人間に未来が描けるとは思えない。過去を尊重して初めて、未来を見出せると思う。その点において、安倍晋三氏は政治家が持つべき「国家間」であったり、「情熱」をしっかり持っていると感じる。私が安倍首相を信頼する大きな要因である。

もちろん政策について異論があるものも多いが、こうした日本人としての根本を大事にしている姿勢に対して、個人的には大いに応援したいし、それを通じて学びたいと思う。そして、安倍首相だけでなく同じ思いを持つ政治家もいるので、そうした人達を応援していきたいと思う。

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コメント

    • 優子
    • 2018年 8月 09日

    日本の為に戦った先人達の犠牲があり今の私達があることを改めて感じました。また安倍さんの地道な活動に頭が下がります。
    私事ですが、自分の事だけ考えている人が周りにいます。そういう人に是非このブログを読んでもらいたい、と切に願います。

      • てつ
      • 2018年 8月 09日

      安倍総理の真摯な姿には、本当に頭が下がります。すばらしい首相を持ったと、誇ってもいいと思えるけどね。

      先人達だけでなく、今も頑張っている人はたくさんいるので応援しましょ。

    • ゆうじ
    • 2018年 8月 09日

    総理が滑走路を手で触れる写真初めて見ました。心打たれます。青山氏も虎ノ門で「足が硬直して降り立てなかった」と(確か)言われていましたが、忘れていけない先人たちの思いを受け継いでいきたいですね。

      • てつ
      • 2018年 8月 09日

      本当に安倍総理の姿には、私も感動しました。しかもマスコミが全く伝えず報道もされないのに、こうした地道な活動をしている姿は、本当に心を打たれます。

      これで、移民の政策と消費税増税をやめてくれるといいんですけどね・・・。

    • ゆかり
    • 2018年 8月 14日

    青山先生の虎ノ門ニュースのおかげで硫黄島について深く知るきっかけになりました。
    クリントイーストウッド監督の硫黄島の戦いも栗林中将をきっちりと描いてくれていたり、新藤元大臣の代になり、日米が毎年慰霊祭を合同でやったりと、youtubeだけでなく、その背景から今に至る過程などを青山先生のように詳しく我々に常識として行きわたるように報道してもらいたいものです。合掌。

      • てつ
      • 2018年 8月 15日

      本当に心より「合掌」という言葉しかないね。

      先人達の努力と犠牲の上に今があることを忘れないようにしたい今日この頃です。

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