江戸時代から見た世界史【1】~17-19世紀前半の世界~

世界情勢

江戸時代期の世界情勢(17世紀~19世紀前半)を見る

先に江戸時代について述べてきた。
(➡江戸時代への誘い【1】
(➡江戸時代への誘い【2】
(➡江戸時代への誘い【3】
今回から4回にわたり、その江戸時代を前提にした上で、その頃の世界史を見ていきたい。

1.江戸時代を中心に世界史を見ることの意義

江戸時代からの世界史を見ることは、その後の、明治維新、日清・日露戦争そして大東亜戦争への流れを理解するために非常に重要である。一般的な授業だとどうしても「日本史」、「世界史(ヨーロッパ史)」、「中国史」と分断して説明しがちである。そこが私が、興味があっても歴史の勉強が止まってしまった理由であり、明治維新以降の歴史を学ぼうとしても、いきなり世界が出てきて戸惑ってしまった理由のように思う。
学生時代から何度も自分で年表や地図などを書きながらまとめてみようと思ったが、なかなかうまくいかなかった。しかし今は、インターネットやいろいろな本により、「分断」した歴史ではなくその流れを興味深く紹介するものがたくさんある。そういった情報により見えてきた歴史の見方であったり楽しさを、紹介できればと思う。

2.江戸初期~幕末(17世紀~19世紀前半)の日本・世界史年表

まず、先回に記述した江戸幕府の将軍を一つの柱に、世界史の有名どころの出来事をならべて記述した年表を見てほしい。ペリー来航の1853年までを記述してある。

江戸時代と世界史年表

江戸時代と世界史年表

恥ずかしながら、このようにまとめてみてようやく、フランス革命産業革命アメリカ独立ナポレオン戦争、といったことが、いつ頃の出来事か理解できた。もちろ18・19世紀頃、ということは知ってはいたが、今言えるのは、その頃は「子だくさんであり、徳川幕府随一の長い権勢をほこった将軍家斉の時代」であるということである。ヨーロッパの近代というと、すごく昔のイメージが強いが(私だけかもしれないが)、家斉将軍の頃であれば、徳川幕府も後半であり、明治維新の足音はすでにあった頃である。イメージだけでいえば世界から遅れていた日本が明治維新により急に近代化になったようになっているが、世界を見ても、それほど遅れていたわけではないと思う。

また、この年表を見て思うのは、徳川幕府という時代が如何に平和であったかということである。次回以降に記述するが、ヨーロッパでは「三十年戦争」から何度も悲惨な戦争の繰り返しで、何度も何度も国同士で争っている。年表には書かなかったがロシアとトルコ(オスマントルコ)の「露土戦争」だけでも、何度となく繰り返されている。ヨーロッパの世界は、まさに血塗られた戦争の歴史であり、悲惨な状況がずっと続いている。

それに引き換え、日本の年表を見てほしい。「関ケ原の戦い」以降大きな戦争はなく、徳川家康が作った仕組みを皆で守りながら、しっかり発展を遂げている時代と言える。ヨーロッパが悲惨な「三十年戦争」をずっと続けて、ようやく作ったウェストファリア体制も長く続かなかった。そんな時日本では、「明暦の大火」という大事件が起こった時に、幕府は民のためにと江戸城の天守閣を作らず江戸の町の再建を優先したのである(→江戸時代への誘い③前半)。
一般的に「平和ボケ」と日本を指して日本人がよく言うが、平和をしっかり維持してきた国だ、と誇るべきである。日本ではヨーロッパのような近親憎悪で虐殺と戦争を繰り返すことはなかった。それは、しないように努力したと言うべきである。その努力は、古くは聖徳太子の頃、もっと言えば「古事記・日本書紀」から脈々と継いだものであると思うが、そこはいずれ触れるとして、江戸の世を見ても、またその頃の世界と比べても、いかに日本という国が特殊な歴史をたどっているかわかる。日本人こそそれを知り、誇るべきだと強く思う。と同時に、先人たちがどのように平和を維持しようと努力してきたか、そしてそれがどうして戦争となり「敗戦」となってしまったか、しっかり知ることは、現在を正しく理解する上でも必須であると思う。

3.17世紀初頭(1600年)の世界地図と、ヨーロッパ列強の植民地支配状況

次に1600年の世界地図を見てほしい。年表だけでなく、世界のイメージが描けると思う。

これは私がよく見るサイトから引用させてもらった。スペインの会社のサイトである(http://geacron.com)。非常に勉強になるのでお勧めだが、やはりこうした情報は主観が入ることを忘れずにいたい。中国・韓国のように勝手に歴史を書き換えるのも注意しないといけない、歴史好きの私としては憤慨ものだが。上記の地図も、アメリカやアフリカに白い部分が多いが、もちろん人は住んでいる。あくまで、「国」として現在認識されたかどうかであることを断っておきたい。
その上で、上記で思うのは、
・アメリカはまだどの列強にも属していない。
・世界的に見ても、ヨーロッパ列強による植民地は、さほど広がっていない。
・ロシアがまだ小さい(正確にはこの頃は「ロシア帝国」でもなく「ロマノフ朝」)
といったところである。これが、日本では関ケ原の戦いが終わり江戸幕府が成立した頃である。

4.19世紀中旬(1850年)の世界地図と、ヨーロッパ列強の植民地支配状況

次に1850年の世界地図を見てほしい。
先の1600年の地図と見比べてほしい。いろいろな視点はあると思うが、その後の明治維新、日清・日露戦争を中心に見た場合、下記のことが特徴としていえる。

① イギリスが世界的に圧倒的な力を見せつけている。
② ロシアが東海岸まで力を伸ばしている。
③ アメリカが独立している(カナダ地域はイギリス領)。

まず、この当時で記述すべきは、①のイギリスの強大さである。今からでは想像しにくいが、当時のイギリスの力は圧倒的である。先の年表を念頭に見てほしいが、イギリスは1707年に「大ブリテン王国(グレートブリテン王国)」を成立させイギリス自体の体制を固めつつ、7年戦争ではフランスを下し北米・インドと広大な植民地を手に入れ、産業革命を経て北アイルランドも併合し、イギリスの体制を整えている。ナポレオン戦争後のウィーン会議(1815年)でヨーロッパ世界の体制は再度整備され、この時ヨーロッパは5大国と言われる体制となる。5大国は、イギリス・ロシア・フランス・オーストリア・プロイセン、である。この時、他の4国が束になってもイギリスに敵わなかったと言われる。まさに世界最強で、地図を見ても、現在のインド・カナダ・オーストラリア、すべてイギリスである。また、地図では色はイギリス色ではないが、支那地区の「清」に対してあまりに無茶な「アヘン戦争」を足掛かりに香港はイギリス領となっているし数々の港を開けさせて清は半植民地化されている。清の威信はすでになく、ほとんど列強の食い物になり始めたころである。

5.ヨーロッパ列強の動きと、当時の日本の危機感を思う

いかに日本に迫ってきたか、よくわかると思う。そして、日本の薩摩藩が薩英戦争(1863年)を挑んだということが、どれだけ無謀で危険であったか、と肝を冷やす。加えて言えば同年長州藩は下関戦争を行っている。対するは四国艦隊でイギリス・フランス・オランダ・アメリカである。日本が本当に瀬戸際であったが、それでも果敢にもがいていたことがうかがえる。
また、もう一つ見逃せないのが、②の「ロシアの拡張」である。気が付けばついに日本に接するまでに領土を拡張し、「清」にもかなり圧迫を加えている。

この①・②がまさに明治維新の「原因」と言える。その後の日本の動きを見ても、そう見た方がその後の歴史が理解しやすい。①・②に対処する上で③のアメリカという国があった、と考える。また、江戸時代に①・②について、当時の支配層・知識層はある程度の認識があったことがわかっている。「ペリー来航」は象徴的な事実ではあったが、ペリーに日本の開国が主眼にあったとはいえない。ペリーはあくまで「東インド艦隊司令官」でありインドから来ている。また、そもそもアメリカは建国間もない頃で体制固めに腐心している頃である。むしろ日本との連携を進めるべき時と見ていたと考えるべきである。ペリーが、船にもぐりこんだ吉田松陰を、勉強熱心な青年として出来るだけ寛大に扱うよう幕府に要請していた事実も、そんなことをうかがわせるエピソードといえないだろうか。

6.明治維新・富国強兵への原動力を思う

一方、日本の主眼はあくまで、イギリス・ロシアを中心としたヨーロッパ列強の東アジアの植民地化政策に対して、とにかく対処しないといけない、ということであった。そう考えると、明治維新とはあくまで過程であり、その後の日清戦争・日露戦争が出来る国づくりをした、と考えることが自然であろう。それも、日本から戦争を求めたわけではなく、当時の世界情勢を見ればいかに日本という国、もっと言えば東アジア圏が、列強の植民地化という危険な状態にあったかわかるし、その危機感の流れの中で、日清・日露戦争があったと考えることが、自然であると思う。明治維新を学んでも、その前の歴史を学んでも、また日清・日露戦争の詳細を学んでも、日本に「領土拡張」が主眼にあったとは全く見られない。あくまで、列強に対してどうすれば対処できるか、その一点のみがむしろ色濃く見えてくる。

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コメント

    • 岩ちゃん
    • 2017年 8月 18日

    第4回は特に大作ですね。楽しい時間でしょうがご無理なさらず。
    そうですね、日清・日露は領土拡張ではない!
    だからこそ「坂の上の雲」のような心打つ歴史小説が描かれるんですね。
    世界三大提督「東郷平八郎」…格好いいですよねー。

      • てつ
      • 2017年 8月 19日

      東郷平八郎の海外の評価の高さは現在でもすごいですねぇ。
      でも当時の世界をうならせた人は他にもいます。またいずれ、紹介しますねぇ。

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