明治維新150周年の今年の暮れに思う

五箇条の御誓文の奏上

明治維新の区切りである明治元年から、記念すべき150年の今年の暮れに思う

2018年も12月となり、今年も最後の月となった。毎年思うことだが、一年の早さを毎回感じる12月である。そして、今年は歴史好きの私にとって、気持ちとしても本当に特別な年である。
明治維新の一つの区切りである明治天皇が即位された年すなわち、明治元年及び慶応4年は、西暦で1868年であり、その年からちょうど150年が今年である。テレビや新聞は意図的としか思えないほど無視しているが、日本が近代へと乗り出した大変な門出の年から150年である。振り返って見てみたい。

1.150年前のこの年にあった出来事

下記に、明治維新の頃の簡単な年表を示す。

明治維新全体年表

明治維新全体年表

明治維新の全体の流れ等については、過去の記事を参照していただきたい(過去記事 ➡維新回天 全体編【1】明治維新への誘い ~明治維新の楽しみ方~等参照)。ここでは、150年前の1868年(慶応4年:明治元年)が明治維新の中でも大きな転機であったことを見てみたい。

慶応4年であり明治元年である1868年にあった出来事を挙げてみる。旧暦との関係で「ずれ」があるが、ご了承いただきたい。

1868年:明治元年(慶応4年)の出来事(時系列順)

・王政復古の大号令(徳川幕府の終焉)
・新明治政府と旧幕府勢力との戦いである「鳥羽伏見の戦い」勃発。これより日本を二分する「戊辰戦争」始まる
・徳川慶喜への追討令。徳川慶喜は大阪から江戸へ避難。
・明治天皇による「五箇条の御誓文」が出される。
・勝海舟と西郷隆盛による「江戸城無血開城」により、最大勢力の徳川が倒れる。
「江戸」を「東京」と改名
・明治天皇の即位式。「明治」に改元
・会津藩・庄内藩が新政府軍に降伏
・榎本武揚が北海道の函館にこもり、『箱館戦争」となる。戊辰戦争最後の戦争。

上記の通り、まさに明治維新の大きな曲がり角であり、一気に新政府としての明治政府が確立した年であった。これだけのことが一年で起こったのかと思うと、ものすごい年だったと、改めて思う。

明治維新はいろいろな流れがあり、どの勢力が日本をまとめることになるのか、全くわからない情勢だった。しかし一方で列強のアジア支配はどんどん進んでいたため、国の存亡をかけて近代化を進めないといけなかった。内戦をしている暇はないし、それをすれば実際にヨーロッパ及びアメリカに飲まれる事は明白だった。

そんな中で、一気に体制を固めた年が、まさに150年前の1868年であったと言える。まだよちよち歩きではあったが、天皇陛下を前面に押し立てて体制をつくった。そして、とにかく内戦をできるだけ少なくして近代化を進めるべく、半ば強引に事を進めたのが、この年である。まさに、「近代化元年」と呼ぶべき、大改革の年だった。

こうして出来事を見ると、これだけのことが起こったのがわずか150年前のことか、と感じ入る。

2.「五箇条の御誓文」から見る、明治天皇のそして明治政府の決意

この年に即位の礼が行われ、正式に明治天皇が即位されている。このとき明治天皇はまだ15歳にも成っていないお年であった。

明治天皇

明治天皇

明治維新は、当時の新政府の中枢であった薩摩・長州の実力者達が、明治天皇の権威を借りて行った改革であったことは間違いない。しかし、明治天皇は単なるお飾りではなく、相当に聡明な能力と判断力を持っていたと言われる。それは、これから45年間続く明治時代を見れば、全く予想が付く。それらについては、また記事にしたい。

ここでは、この年に出された「五箇条の御誓文」について触れたい。

五箇条の御誓文は、「明治天皇が天地神明に誓う」という形で発布されたものである。「御誓文」とあるのは、明治天皇が神仏に対して誓ったものであり、発足したばかりの明治政府にとっての宣言文である。

五箇条の御誓文の奏上

五箇条の御誓文の奏上

日本最大の内戦である戊辰戦争の最中にあって、このような宣言文を出したのは、維新三傑の一人、木戸孝允(桂小五郎)の強いリーダーシップによる。明治天皇や明治政府の元勲にとって、明治政府が成るまでの激動はあくまでプロセスであって、これからが本番であることが念頭にある。迫り来る欧米列強に対抗しないと、国が保てないためである。
作成は福井藩士の由利公正(ゆりきみまさ)、校正は長州藩の木戸孝允(きどたかよし)と言われる。

五箇条の御誓文

五箇条の御誓文

添付画像は全文と現代語訳例である。内容を見てみると、当時の明治天皇と明治政府の悲痛なまでの宣言が見て取れる。
最も有名な第一の万機公論ばんきこうろんにより決すべし」は、まさに聖徳太子の17条憲法の「和(調和)をもって貴しとすべし」と全く同義である。こうした日本の過去の歴史を踏まえて作られている。

五箇条の御誓文は、あくまで明治天皇や明治政府が、公家や諸侯に対して示した、政府の基本方針である。これから来る欧米列強との戦いがどうなるかわからない中、急ピッチでの国の組成のためにあえて「文」にした宣言文である。まさに今でも当てはまる内容である。是非読んでほしい。

個人的には、これこそ日本の国のあり方を規定するという意味での「憲法」としてふさわしいとも言える内容ではないかと思う。憲法を「不磨の大典」のようにして意味の無い議論をしている今を見ていると、これくらいシンプルにして、あとは法律で決めればいいと思うのは乱暴だろうか。

第5条の「天皇」のところで、「軍国主義が~」と噛みつく人がいるだろうが、125代もの御代をもつ天皇を維持しているのは世界で唯一日本だけである。誇るべき伝統であり、150年前のこの宣言を見ても、今も全く変わらない普遍的な内容と誇れるものと思う。

3.この頃に建てられた靖国神社

なにかと話題になる靖国神社は、この翌年の1869年(明治二年)に創建されている。その頃は東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)という名前であった。明治維新や戊辰戦争、そしてその後の西南戦争などによる戦没者をまつり、御祭神(ごさいじん)はまさにそうした戦没者そのもの、という神社である。

靖国神社の大鳥居

靖国神社の大鳥居

本当にお金がなかったこの頃に、こうした神社を建てることは財政的な負担もあったと思う。しかし、日本という国をまとめる上でこうした神社を建てることで、それまで「藩」でバラバラだった国民意識を統一していこうという意図があったと思われる。ただし、当時はあくまで政府側しか祭られていなかった。しかし、日清戦争・日露戦争といった国の戦争からは、結果的に国のために命を落とした軍人を等しく祭る役割を持っていった。

第二次世界大戦後の東京裁判におけるA級戦犯がどうとか、支那・韓国の抗議が動とか、あまりにも無根拠で腹立たしいのでここでは触れる気はない。しかし、江戸からの大変革からの歴史の重みを持つこの神社に対して、そしてここで会おうと言って死んでいった先人達を思うと、こうした歴史を侮辱するような議論が国外はおろか、国内からもされるのは悲しい。

こうした人々の犠牲があって、現在の日本があることに感謝の意を示しながら、首相だろうと誰だろうと静かにお参りできる場であってほしいと思う。

4.150年後の今年に思う

このように見ると、ほんとうにわずか150年前にはまだ日本は明治維新の最中にいた。明治維新の大改革といわれるのは「版籍奉還・廃藩置県・地租改正」の三つと言われるが、その三つもまだ行われていないのが明治元年の1868年である。

この年及び戊辰戦争が終わるその次の年を見ると、アジアにどんどんせまる列強にのまれないために進めなければいけない近代化への、悲壮なまでの決意を感じる。そしてそうした先人達の努力により、アジアで実質的には唯一と言っていい独立を保てた日本の礎(いしずえ)を作ってくれた。

今年は平成最後の年であり、また明治維新の大きな分岐点である明治元年から150年という節目の年である。そんな年に150年前を想像してみることも、今を見る上で大切と思う。

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コメント

    • ゆうじ
    • 2018年 12月 09日

    来年のご即位もあり、歴史に思いを馳せるには良い年末ですね。

      • てつ
      • 2018年 12月 12日

      平成も終わりますな。

      来年は御譲位もあり、また世界情勢をみてもすごい年になりそうです。歴史に学びながら、しっかり見ていきたいです。

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