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「なんじにこれを知るを教えんか~」に思うこと

「なんじにこれを知るを教えんか~」に思うこと

論語の一説を取り上げる。

添付が原文と読み下し分である。訳文は以下の通り。

【 訳文 】
「『わかる』ということはどういうことか、教えよう。自分には何がわかっているか、また何がわかっていないか、この区別がつくこと、それが『わかる』ということなのだ」
(論語:徳間書店)

この言葉は、シンプルなように見えて、非常に深いものを感じる。実際の場面で考えると、なかなか的を得た言葉であり、気づかされることは多い。
『「知る」すなわち「わかる」ということは、「わかっていること」と「わかっていないこと」をわけることである』
という言葉である。当たり前なように見えて、非常に重要な示唆を示していると思う。

「知っている」もしくは「わかっている」と言うことはよくあるし、それを他の人から聞く場面も多いだろう。その時に、この言葉を思う場面がある。

まずは、自分自身に対してである。仕事上などでいろいろ説明を聞いているときに、わかったふりをして、あるいはわかったつもりで、うなずくようなことがある。そんな時に自分を戒めるために、この言葉を振り返る。わかったふりではいけない場面の場合によく思うようにしているのだが、ここで重要なのは「これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずとなせ。」という、「わかったこと」と「わかっていないこと」を仕訳することである。
この仕訳が重要である。話全部をわからない、ではないはずである。その中で、どこまでを理解し、どこまでが理解できなかったか、それを自己分析することで理解はぐっと進むし、質問するときに非常に明確に論点を絞って行える。この「仕訳」をするうえで、「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなせ」はいつも意識させてくれる言葉である。
もちろん「知らず」としたものについて、理解するアプローチをしないといけないことは言うまでもない。ただし、ここでも重要なのは、「知らず」としたもののうち知らなければならないものは何か、という仕訳に思う。全部が全部理解する必要はない。

会計士として監査法人に入った時に言われた話で、印象的なものがある。
「会計士として未熟なうちは、わからないことをわかったふりをして話をしがちである。それを超えるとわからないことが少なくなり、自分から説明できる。しかし、その上は、わかっていることを知らなかったかのように話をする。」
前段・中段・後段すべて、「これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずとなせ」を実践したうえですべきことではあるが、前段はできていない場合であろう。ただし中断・後段は、それが出来た後の対応である。中断は、自分からその説明をすることであるが、後段は更に自分が理解していることを相手に言わせるという、「聞き上手」もしくは「引き出し上手」になる、ということと理解している。そういう意味でも、この論語の言葉は、非常に深いものと感じる。

もう一点付け加えておきたい。この言葉は、人の話を聞く時にも有効と思う。話はしているが、実際には「この人はわかっていないな」と思うことがある。そんな時には、まず聞いている方が「これを知るを知るとなし、知らざるを知らずとなせ」を行い、わからない部分を明確にした上で、そっと「この部分について詳しい人は誰ですか?」と聞くことであろう。本人が「わかっていないことをわかっていない」場合も多いので、失礼のないようにしたい・・・。

2件のコメント

  1. 興味あることに関しては自分が分からないことはどんどん聞くけど、英会話とか別の言語での会話になると、分からないことはついつい流してしまいがち。
    同じ日本語でも会話の相手の対応によっても、聞きやすい人、聞きにくい人がいるから、それもケースバイケースで流しちゃうかも。
    ということはつまり、分からないことを分かっているで良いのかしら。
    歳を重ねても、知らないことを知ったかぶりはしたくないなぁ。
    進歩がなくなってしまうから。

    1. そもそも知ろうとしないことには、この話はないけどね。
      ま、すべてを知ろうとしなくても、知りたいこと・知らなければいけないことについてだけ、この言葉があてはまるかと。

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