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「手段の目的化」に思うこと

手段の目的化

「手段の目的化」という言葉を、生活に当てはめて考えてみる。

少し哲学チックであるが、仕事でよく出くわす「手段の目的化」という言葉を考える。時々思うことではあるが、「手段の目的化」を自分の仕事や家族に対するスタンス、そして自分自身の方向性について考えることがある。ふと思うことをつづってみた。

1.「手段の目的化」とは

「手段の目的化」は、日頃仕事でよくそれを思う場面に出会う。やっている業務の意味をわからないまま、ルールやマニュアルのみを守って業務をしているケースなど、まさにそれである。その「ルール」はそもそも何のために作られたのか、それが理解されていなければ、実際にそのルールに基づく業務をやることは無意味といっていいと思う。

手段の目的化

手段の目的化

「目的」が理解されていないのに、ルールを実行するという「手段」には意味があるのか?過去の人がやっていたから、とか、前に言われたから、という話は良く聞くが、今やっている人が理解していなければ、私は、理解するように指導する。意味のない、若しくは、意味のわからない仕事や時間を過ごす必要は無い、と思う。やることそのもの(手段)が「目的」となってしまっているのである。仕事等でそういう場面を見た場合には、できるだけ、目的を理解してもらうか、そもそもその業務を変えるかを、促すようにしている。意外に人に言われないと気づかないケースが多いように思う。

また、私が仕事を依頼するときにも、その「やり方」の説明に力点を置くより、その業務の「目的」を説明する事に腐心する。その業務の「目的」さえ理解してくれれば、正直「やり方」は変えてくれてもいい。重要なのは「目的」を理解することと思う。

2.会社のために働くことは手段か?目的か?

「手段の目的化」という言葉を、仕事の時にはそのような形で使うが、自分に置き換えたときに、自分はどうだろうと思うことがある。一つは、膨大な時間を費やしている「会社での仕事の時間」は、生きる上での「手段」なのか「目的」なのか。

この問いは、なかなか答えが難しいときがある。普通に言えば、「お金を稼ぐための手段」であると、割り切って言う人が多いかも知れない。しかし、そうでないともいいたい。仕事でもよく言う言葉だが、「大の大人が一日の最も長い時間をかけて過ごしている時間が、単にお金稼ぐ事の手段でいいのか?」と思うからである。やはり仕事とは生活そのものであり、これ自体を充実させることも大きな目的と思う。となると、仕事の時間は単なる手段とは言えない。「充実させる」というのは、私にとっては、私自身が成長していると感じられるかどうか、といえる。

特に今、人を指示する事が多い立場の自分にとって、あえて言っているのは、「楽しくなければ(あるいは充実していなければ)仕事ではない」という言い方をしている。嫌々でやりながら人生を過ごすことは、自分にも家族にも周りの人にもいい訳がない。仕事そのものが、有意義に生きるための「目的」の一つとして捉えて考えたいためである。

仕事なので自分の意に沿わないことも多いだろうが、その中で楽しむことは人生において大事な目標といえる、と私は考える。

3.お金を稼ぐことは、手段か?目的か?

では、「お金を稼ぐこと」そのものは、生きるための「手段」なのか「目的」なのか。これも少し考えさせられる。お金がなければ生きていけないため、そのお金を得るための活動は、当然生活の重要な一部である。

では、仮に金が有り余っていた場合に働かなくなるだろうか?私の場合は、明確に答えは「NO」である。お金は必要最低限はほしいが、これが「目的」になったことは無い。あくまでそれを得るための「仕事」の対価としてあるだけで、大事なのは「仕事の内容」と思うからである。ただ私はお金がなくてご飯も食べられない、というほどに陥ったことがないのでなんとも言えないが、あくまでお金を稼ぐというのは「手段」であって「目的」ではないと、考えている。

しかし一方で、ある程度のお金を持つことは必要とも考える。やはりそれは、自分に対する社会の一つの評価であるし、「どんなに貧乏でも俺はいい」というほど確固たる物を持っている訳ではない。やはりある程度社会に認められている尺度としての「お金」を得ることは、自分の中で目標としている部分はある。

4.生きる上での「目的」とは?

このように、ふと自分の時間の使い方などを、特に仕事がらみであったり、家族がらみであったりと、考えることがある。普段しているウォーキングの時間に、こうした事を考える時間を持てる。

名古屋駅の夜明け(名古屋市の堤防より)

名古屋駅の夜明け(名古屋市の堤防より)

今は、「働き方改革」という名の残業規制でどんどん就業時間が短くなった。無駄な仕事だったらこれで減る事はいいが、仕事の場は人が育つ場とも思っている私としては、一律に減らすことに違和感と危機感を感じる。

時間はなんとなく過ぎていくことが多いが、「目的」を持って過ごしたいと思う。自分のこととなると「目的」と言えるものは意外に明確でないことがある。そんな時にも、自分は何をしたいのか、何をしようとしているのか、何をしているときが楽しいのか、という「目的」を考えることも重要と思う。そうすると、仕事であったり家庭であったりへのスタンスが、また新鮮になり、より充実して時間を過ごせると思う。

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