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江戸時代から見た世界史【3】~オスマン帝国とペルシャ~

オスマン帝国の版図

オスマン帝国とペルシャ帝国(17世紀~19世紀前半)

江戸時代の世界情勢についての3回目である。
前回はヨーロッパ世界について述べた。今回はヨーロッパ以外の地域について記述したい。

(シリーズ記事)
➡江戸時代から見た世界史【1】~17-19世紀前半の世界~
➡江戸時代から見た世界史【2】~ヨーロッパ戦争史~
➡江戸時代から見た世界史【3】~オスマン帝国とペルシャ~
➡江戸時代から見た世界史【4】~世界帝国イギリスと清と日本~

1.江戸初期~幕末(17世紀~19世紀前半)の日本・世界史年表

まずは再度、年表を見てほしい。

江戸時代と世界史年表

江戸時代と世界史年表

これまで、日本及びそれに関連したヨーロッパ列強についての歴史を記述した。ヨーロッパでは戦争ばかりで、その規模・悲惨さたるや日本で経験しているものとは全く次元の異なる物であった(詳細➡ 江戸時代から見た世界史②)。江戸時代の年表と並べてみると、本当に同じ時代かと感じるくらい対比がよく見えると思う。日本の平和さがよく見えると思う。

2.ヨーロッパの統治体制の確立と、江戸幕府を通じた日本の統治体制を考える

ヨーロッパ史を見ると、「帝政」とか「共和制」とか「革命」とか、如何に国として統治していくかの仕組みづくりに腐心したことは見えてくる。そこにはすさまじい虐殺が常に入るが。一方日本は、江戸幕府の平和のことはよく伝えられているが、それを、日本人の性格によるものだけで理解しては全く足りない。注目すべきは、日本が平和を維持するためにしっかりした「仕組み」を作ってきたことである。江戸時代でいえば、先に記述した、「御三家」「御三卿」はその一つで、将軍に権力を集中しつつ、各藩の自治を認める「幕藩体制」は江戸時代のまさに「仕組み」であり、それらがしっかり機能して、平和が維持されたのである。そして日本史を学ぶと痛感するのが、日本の最も重要な平和の仕組みは、天皇を頂いて治世を行うという仕組みである。有名な16世紀のヨーロッパの言葉で「国王は君臨すれども統治せず」と学校でもうやうやしく言うが、日本の方がよっぽど早く実践している。「天皇制」という言葉は戦前のソ連共産党が作った造語なので使いたくないが、日本が大事に育んだ天皇を頂点とする政治の仕組みは、「軍国主義」という下らない言葉ではなく、事実として冷静に知るべきである。江戸時代を通じてもそうだし戦国時代でもそうである。また、明治維新のような国難で天皇がいたことが如何に平和に進めるために重要であったか、よく知るべきことだと思う。

もちろん列強以外の国々もあるので、日本だけが平和だったわけではない。しかし、歴史としてしっかり残るのほどの文明があり、国の単位として確立した中では日本はやはり、いい意味で本当に特別だったと言える。この事実は知るべきことであり、また誇るべきことと思う。現在の日本を考える上でも、その事実を見た上で考えないと、歴史と整合しない。そしてそれは、大東亜戦争時の日本のアジア圏の植民地時代に、突然日本人が残虐になったなどというバカげたプロパガンダに騙されないための、重要な知識の基礎となるだろう。日本軍の残虐行為が一部あったとしても、事実は全く異なるのである。一部でない残虐行為は、むしろ列強側であったりChina(中国)側だったことを、事実として理解すべきと思う。

3.17世紀~19世紀前半の、世界の植民地支配の変遷

さて、このシリーズはあくまで世界である。上記の年表を頭に置きつつ、もう一度、徳川幕府の開設時の1600年とペリー来航時の1850年の、ユーラシア大陸の地図を見てほしい。

江戸時代の世界情勢の変遷

江戸時代の世界情勢の変遷

前回ヨーロッパ史について述べたが、ここでは他の地域に目を向けたい。まず、色も大きさもずっと変わらない日本とそれを支えた江戸幕府が如何にすごいかと思うのかは、日本史好きな私だけだろうか。また改めて思うのは、日本は「狭い島国」と言われるが、結構広いのである。それをまとめることは、ヨーロッパ一匡をまとめることと何ら変わらない。なお、日本の広さについて面白いサイトがあったのでぜひ見てほしい(→ プログラマが開発した~)。

4.オスマン帝国の略歴と19世紀前半

オスマン帝国の版図

オスマン帝国の版図

ここで注目したいのは、西アジアである。オスマン帝国(オスマントルコ)とペルシャについて触れたい。
地図を見ての通り、オスマントルコの広さはやはり特筆すべきであろう。バルカン半島、シリア、イラク、パレスチナ、エジプトといった現在の名だたる紛争地域を飲み込んで、しかもこの長きにわたり統治していたことは、今の地図と見比べてもすごいことだと感じる。また、「オスマン帝国」というとすごく昔のことのように思うが、その支配は非常に長く、トルコとして今の状況になるのは、第一次世界大戦後からである。それまでの間、これだけの版図を維持していたことは本当に驚愕する。
オスマン帝国が大きく台頭するのは、15世紀に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を滅ぼしたことからである。もともとは13世紀にオスマン一世がアナトリア半島(現在のトルコのある半島)の北西部で起こした軍事集団が由来である。
その後、イスラム地域も飲み込み、宗教的にも非常に大きな影響を与えた。キリスト教国には大きな脅威であった。
全盛期は16世紀のスレイマン一世の頃で、有名な「イエニチェリ」の常備軍がこの頃整備される。その頃はヨーロッパは大航海時代であるが、アジアにおいては、オスマントルコを筆頭に、ペルシャのサーヴァー朝、インドのムガル帝国、China(中国)地域の明と、西欧よりも優位に立っていた時代と言える。
しかし、やはりと言えるがその地政学的な位置から考えても、他国との衝突は絶えず、なんとかその広大な地域を保持していたと言える。代表的には、南下を目論むロシアとの戦争(露土戦争)である。幾度となく行われ、オスマン帝国の体力を奪っていった。またバルカン半島での民族対立やアラブでのイスラム勢力の勃興など、帝国の統治はどんどん及ばなくなっていったのが17世紀、18世紀のオスマントルコの実情であった。18世紀後半には「瀕死の病人(Sick man of Europe)」とまで言われ、結局第一次世界大戦により実質的には帝国は解体となり、現在のトルコとなる。
と見ると、今のロシアのプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領の接近ぶりは、歴史的なものに映る。また余談だが、1828年の露土戦争(9回目)はギリシャ独立戦争から端を発している。オスマントルコは基本的にはイスラム教国であり、ロシアはキリスト教国である。オスマントルコの支配するバルカン半島はキリスト教徒が多い。バルカン半島の諸国にとっては、ロシアは解放者という位置づけにあった。最近のギリシャ経済危機の時に、ギリシャがEUから抜けてロシアにつくと危険、といった事が言われたが、こうした歴史関係が背景にある。
また、第一次世界大戦は、まさにオスマントルコがメイン舞台である。オスマントルコの衰退により起こったバルカン半島の民族蜂起に列強が介入し、列強の民族自決も含めて、世界大戦となっていく。

5.ペルシャ帝国の略歴と19世紀前半

もう一つペルシャについて述べたい。今のイランの地域である。先の地図を見ると、ここの地図も基本的に大きな動きはない。なお、1850年にはアフガニスタンが分離している。アフガニスタンの正式名称は「Islamic Republic of Afghanistan」であり、純然たるイスラム教国である。アメリカ同時多発テロ時にオサマビンラディンをかくまった国としての印象が強いが、イスラムの流れから言えば、必然性はあった。
ペルシャとイランの呼び方について記述しておきたい。もともとペルシャであったが1935年にペルシャの要請により「イラン」と呼ぶようになる。ペルシャはギリシャ語で、一方でイラン人は古くからアーリア人の意味を持つ「イラン」と読んでいたことから、1935年に改名されている。地理的には同義と見ればよい。
このペルシャも、長くこの地域を統治している。「~朝」といろいろ変わってはいるが、「ペルシャ帝国」という視点でいえば、この地域は基本的に維持されている。
表は西アジア・北アフリカ地域の年表である。年表はイスラムの起こった7世紀からのものであるが、ペルシャ地域は古くはB.C.6世紀からのアッシリア帝国からずっとあるのである。イスラムの力のみではなく、「ペルシャ」としての地域はそういう意味でも非常に興味深い。
なお、この地域でも列強の支配が及び始めるのが19世紀前半からである。ペルシャから起こった「アフガン王国(1818年)」を利用してイギリスは東インド会社を通じて、その介入を強めた。ロシアの南下政策に対抗するためで、イギリス・ロシアの覇権争いは中東を巻き込み始める。「第一次アフガン戦争(1838~1842年)」ではイギリスがイランに対しアフガニスタンの独立を認めさせ影響を強めている。なお、その後反英活動によりいったんイギリスは撤退しているが、その後介入は続くこととなる。

6.オスマン帝国・ペルシャ地域に迫るヨーロッパ列強

オスマン帝国とペルシャ地域について見てきた。どちらもその独立を保ちつつ17世紀、18世紀を経ているが、後半はやはりヨーロッパ列強の植民地化に飲まれていく。ヨーロッパは王政から共和制に向かい、産業革命を経て世界に市場を求め植民地化を進めた時代である。日本は江戸時代という時代ではあったが、世界は大きく動き始めていたことに、日本の知識層も感じつつ開国を迎えるのである。

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