「順逆一視」に思うこと

順逆一視

「順逆一視」に思うこと

今回は、「菜根譚(さいこんたん)」からの一説を取り上げたい。
私は、「座右の銘」を一つだけ選べ、と言われれば、これを選ぶ。私にとって、それほど心に残っているし、また人生のいろんな場面で思い返す言葉である。

1.菜根譚とは

まず、「菜根譚」の紹介から。
菜根譚も中国で生まれたもので、明の頃に「洪 自誠」(こうじせい、1573年~1620年)という人物が編集したといわれる思想書である。本もいろいろあるが、ここでは守屋洋氏の本を紹介する(「菜根譚 PHP研究所」)。儒教・仏教・道教を合わせた思想からくるといわれるが、処世術をわかりやすく書いたもので、読みやすく非常に示唆に富んでいる。しかし、中国ではそれほど読まれていなかったようである。かえって日本で、江戸初期に、日本の加賀藩儒者、林蓀坡(はやし そんぱ、1781年~1836年)によって編集され広まったようである。「論語」も、古くから日本の方が中国より真剣に学んだといわれる。論語も菜根譚も日本人に理解しやすく、しっかり活用していると、勝手に思っている。

私が「菜根譚」を知ったきっかけは、はっきり覚えていないが、たまたま学生時代か社会人になりたての頃にラジオか何かで耳にした。ただし、「菜根譚」そのものというより、今回取り上げる「順逆一視」というフレーズをたまたま耳にし、それが非常に印象的でこの本を読んだ。本自体は、あまりに仙人のような悟りを開いた内容だったので、若いころはあまり心に響かなかったが、この年になると時どきまた読みたくなるような深みのある内容である。興味のある方はぜひ。

2.菜根譚の中の「順逆一視」

「菜根譚」は論語のように、一説一説が短文でなく、一つの文章で少し長い。「順逆一視」も文章の一部であるので少し長くなるが、次が読み下し文と日本語訳である。
【読み下し文】
子生まれて母危く、きょう積んで盗窺う、なんの喜びか憂いにあらざらん。貧はもって用を節すべく、病はもって身を保つべし、なんの憂いか喜びにあらざらん。
ゆえに達人は、まさに順逆一視して欣戚ふたつながら忘るべし
【和訳】
子どもが生まれるとき母親の命は危うくなる。お金を貯め込めば盗っ人がそれを狙う。どんな喜び事も心配の種にならないことがあろうか。
貧乏すれば費用を節約し、病気になると体をいたわるようになる。どんな心配事も喜びにならないことがあろうか。
だから、達人といわれる人は、順境も逆境も同一視し、喜びも悲しみもともに忘れ去るのである。

3.「順逆一視」という言葉から思うこと

原文どおりに読むと、最後は「喜びも悲しみもともに忘れ去る」とあり、元も子もないというか、はかない文章に見えてしまう。しかし、「順境も逆境も同一視する」という考え方は、非常に深く思える。
うまくいっている時には、油断は禁物であり、見落としがないかと顧みるようにしたい。また一方、うまくいっていない時や、つらい時には、「今はいい勉強であり人生の糧となる時間を過ごしている」、と考える気持ちの余裕を持てるようになれれば、といつも思う。悟りを開いたお坊さんか仙人が言いそうな言葉にも見えるが、一つの「処世術」として読むと気軽である。「順逆一視」という言葉は、むしろ心に余裕をくれるように思う。

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