「言志四録」の「少にして学べば 壮にして為すことあり・・・」に思うこと
1. 「少にして学べば 壮にして為すことあり・・・」とは?
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今回取り上げるのは「言志四録(げんししろく)」からの言葉である。取り上げたい文は以下のとおり。(第42条)
壮にして学べば老いて衰えず
老にして学べば死して朽ちず
(意訳例)
青少年時代に学べば、壮年になって為すことがある。
壮年時代に学べば、老年に なって気力が衰えない。
老年時代に学べば、死んでもその人望は朽ちない。
この言葉は見ての通り、「学ぶ」ことの重要性を説いている。学ぶことに、年は関係ないことも教えてくれる。
2.佐藤一斎と「言志四録」と西郷隆盛
「言志四録」とその著者について、簡単に説明したい。
「言志四録」は江戸末期の儒学の大家「佐藤一斎(さとういっさい)」がまとめた本で、特に幕末において西郷隆盛が熱心に愛読したことで知られる。
西郷隆盛は決して最初から「開明的」な人間ではなかった。むしろ、がさつな「戦争家」っだった。しかし西郷隆盛のすごいところは、人や本との出会いによりそれを吸収していき、自分の物にしていくことである。そしてその西郷隆盛がまだ若い頃に出会ったのが、佐藤一斎の「言志四録」である。その後、生涯にわたって、そこから気に入ったものを101選んで肌身離さず持っていたという。
佐藤一斎は江戸末期の儒学の大家で、門下生は3,000人を越えている。美濃の岩村藩(現在の岐阜県の岩村城を拠点とした藩)の出身である。
文化2年(1805年)頃から塾頭をまかされ活躍する人で、幕末より少し前にその名をとどろかせた。弟子には、あの佐久間象山や横井小楠がおり、その教えをまとめた「言志四録」は吉田松陰や勝海舟にも愛読され、深く影響を与えている。
3. いくつになっても「学ぶ」姿勢を
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佐藤一斎の人生を見ても、この言葉を実践した人と言える。
「学ぶ」事は、学生だけがやる物ではない。社会人になっても、学ぶべき事はたくさんある。そして社会に出た方がある意味、学ぶべき事に出会う機会は多い。そしてそれは、より実践的な物となる。仕事にぶつかったときに学べば、それは給与やキャリアに反映されることもあるから、ある意味学生よりも勉強する要因はあると思う。
また佐藤一斎の言うように「老」になっても学び続けたい。学ぶ事の楽しさと、いつまでも成長し続ける自分を見ながら生きていたいと思う。
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