マクロ経済における国の政策である「財政政策」と「金融政策」を「IS・LM分析」により考える。
今回は、「マクロ政策」と言われる「財政政策」と「金融政策」についてまとめてみた。マクロ政策とはマクロ経済学の考え方であり、マクロ経済学は難しいもののように思える。確かに種々いろいろな議論があり、なかなかとっつきにくい面がある。しかし学ぶと、世の中を見る上で非常に重要な考え方であることに気づく。素人の理解ではあるが、まとめてみた。是非ご覧いただきたい。
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1.マクロ経済学とは
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経済学はとっときにくいが、非常に重要な学問である。「不況」があると給与が下がったり、失業したりする。それは社会の不安を広げ、将来を悲観したり、歴史的には戦争に進んだり、という効果をもたらしてしまう。そこで、経済を「学問的見地」から分析し、経済が理由の不況や社会不安を回避する手法を探るのが経済学であるといえる。
経済学は、大きく「マクロ経済学」と「ミクロ経済学」と二つの分類がある。その定義一つとってもいろいろ論争があるが、あえて単純化して解説すると以下の通りとなる。
マクロ的な視点から政府や個人といった経済主体を分析する。統計等の実践的な手法が用いられる。
【 ミクロ経済学 】
ミクロ的な視点から、理論的に経済を分析する。マクロ経済学との大きな違いは、種々の前提条件を置いた上で「理論的」に導くことにある。
マクロ経済学は、「マクロ経済学の父」といわれる、イギリスのジョン・メイナード・ケインズ(1883年~1946年)により提唱されたといわれる。「ケインズ経済学」とまで言われるゆえんである。といっても、経済の分析は古くから行われており、ケインズに近いことを言った人は先にもいたようだが、やはりケインズが提唱したことが影響力を持ち、経済学に「ケインジアン」といわれる一派が形成されるほどである。
ケインズの提唱は、市場がうまくいかないときの特に「国」(政府)の役割を明確に示し、どのような行動をとることが経済の発展と安定に向かうかについて、学術的に論じたものであった。その影響は計り知れない。特にケインズは、第一次世界大戦が終わったのちのドイツの賠償金を決める際に、自らの主張を展開したことが有名である(トランスファー論争 ➡過去記事 トランスファー論争とJ.M.ケインズ))。結論としてはケインズの主張に反してドイツに多額の賠償が課せられるが、ケインズはこの時、ドイツの経済力を算出しこのような多額の賠償は必ずドイツ経済及びヨーロッパ経済に無理をきたし、「次の大戦がある」とまで言った数少ない人であった。結果、第二次世界大戦がドイツをきっかけに生じることとなった。
ミクロ経済学は、アダムスミスの国富論(1776年)から始まるといわれる。ミクロ経済学の基礎があった上でのマクロ経済学であるが、その手法は「理論的」なのがミクロ経済学で、より「実践的」なのがマクロ経済学といえる。
このように、マクロ経済学とミクロ経済学は分類されて論じられるが、近年はアメリカの経済学者ロバート・ルーカスによる「ルーカス批判」(1981年)により、二つは分けるべきではないとしてそれらの融合が提唱されている。
経済学はその歴史を見ても、このように区分があったり、その批判があったり、また「〇〇派」といった派閥があったりで、バラバラの感がある。しかも現実に即していないような「仮定」を置いたり、難しい数式を利用するために、なかなか理解が難しい。しかし、経済を分析しどのように行動すればいいかの考察をそうした手法を用いて行うことで、ともすれば「感覚的」「精神的」に言われてしまいがちな経済活動や経済政策を理性的に説明し導こうとするものである。少し難しいものではあるが、日々の生活に直結する重要な学問であり、世の中を知るうえで非常に重要なツールである。
2.マクロ経済における「国」の2種類の政策
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マクロ経済学において、国の役割は2つある、といわれる。1つは「財政政策」でもう1つは「金融政策」である。
政府が行う財政支出をいい、具体的には社会保障や公共投資を指す。とにかく、「政府がお金を使うこと」が財政政策と考えればいい。政府は巨大なためこの「財政政策」が経済そのものに影響を与えることが、個人の支出と全く異なる点である。
【 金融政策(Monetary Policy) 】
中央銀行(日本でいえば日銀)が行う金融面からの政策をいう。通貨の発行権を握る主体が、通貨の発行等を通じて市場に送る通貨を調整し、物価・為替の安定を図るものである。具体的には、銀行に貸し出す利率の公定歩合の調整や、通貨の発行などの手法がある。
財政政策の方は直感的に理解しやすいと思う。政府が行う支出のことをいい、種々のことが挙げられる。重要なのはその支出に関する国の方針であったり手法である。政府という一つの主体は巨大なため、その行動が経済そのものを動かす力を持っていることを知った上で財政政策を行うことが「賢い」お金の使い方となる。しかし現実には、なかなかそれが実践されないため、経済を悪い方向にもっていくことが多い。
一方の金融政策は、直感的には少しわかりにくい。「物価の安定」「為替の調整」といわれてもなかなかピンとこない。しかしこれは、「財政政策」と並ぶ重要な経済要素である。
金融政策は、経済活動に不可欠な「お金」の量を調整するものである。これは一見あまり重要でないように見えるが、これをうまくやらないと、「人工的」に不況が発生してしまう。経済に与える影響は「財政政策」と並ぶほどに大きく、実はこの政策が国の行く末を占うといってもいいほどのものである。
といっても新しいものではない。江戸時代でもこれを調整することが、時の政権での重要課題であり、調整されてきた。それが失敗した方が多いが・・・。江戸時代での成功例としては、徳川綱吉の時代の荻原重秀、徳川吉宗と大岡忠助、また幕末近づく頃の田沼意次であったりと、果敢にその調整が行われている。日本では、ケインズの経済学を待つこともなく、ケインズに匹敵する政策がとられていたことは、しっかり知っておきたい。
金融政策の具体的手法は以下のとおりである。
② 公開市場操作:日本銀行が金融市場で民間金融機関に国債や手形を売買することで、市場に資金を供給(または吸収)し、通貨供給量の調節を行うこと。
③ 支払準備率操作:日本銀行が国債や手形を買ったり(買いオペレーション)売ったり(売りオペレーション)を行うことで、通貨供給量の調整を行う。
金融政策は地味に見える上に、中央銀行が独自に行っていくため、あまり目立たない。しかし、ケインズ経済学において、経済を成長させるために必要不可欠な2本柱の一方なのである。
国の政策は種々あるように見えるが、このように「経済運営における国の役割は、財政政策と金融政策の二つしか無い」と考えておいた方が理解しやすい。
3.財政政策・金融政策の経済に与えるメカニズム ~IS-LM分析~
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ここで、「IS-LM分析(アイエスーエルエム分析)」について説明したい。先に示した、国が行う2大政策の、①財政政策、②金融政策の効果を、グラフを用いて明示的に示したものである。「IS-LM分析」は、「IS曲線」と「LM曲線」による分析である。これ一つでも本一冊かけて解説されるほどの内容である。
ここでは細かいことはすべて飛ばして、「財政政策」と「金融政策」の効果に特化して、図示していく。興味がある方、詳しく勉強したいは、是非本など買って、学習することをお勧めしたい。ここではその一部のみを紹介する。
(1) IS曲線による「財市場」の分析
「IS曲線」とは、投資(Investment)」と「貯蓄(Saving)」が等しいという前提における、国民所得(Y)と利子率(r)との相関を示すものである。結論を言えば、横軸に国民所得(Y)、縦軸に利子率(r)を取ると、右肩下がりのグラフとなる。すなわち、利子率が低ければ低いほど、国民所得は高くなる、というものである。
この結果を導き出すにはいくつかの数式を用いるが、ここでは単純に言葉での説明としたい。利子率(r)が低ければ、一般的に企業は借り入れがしやすくなり、投資が増える傾向にある。それはすなわち国民所得の増加をもたらす、というものである。これが、「財市場」の観点からの利子率(r)と国民所得(Y)との相関である。
(2) LM曲線による「金融市場」の分析
一方、「LM曲線」というものがある。LM曲線は、貨幣需要(Liquidity)と貨幣供給量(Money)とが均衡させる利子率(r)と国民所得(Y)の相関を示したものである。
これも結論を言えば、それを図示すると右肩上がりのグラフとなる。すなわち利子率が上がれば、金融市場においては、国民所得は大きくなる、というものである。
すなわち、財市場と金融市場で縦軸に利子率、横軸に国民所得を表せば、IS曲線は右肩下がりでLM曲線は右肩上がりの正反対の相関を示すこととなる。
(3) IS曲線・LM曲線を用いた分析
このように、財市場・ 金融市場で見た場合に、利子率(r)と国民所得(Y)は逆の相関があることが説明される。となると、利子率(r)と国民所得(Y)はそれらを均衡させる形で決まるというのが、IS-LM分析での重要な指摘である。
財市場・金融市場を考えたとき、国民所得と利子率(金利)はある一定のところに収束していく、というのが、IS-LM分析が明示することである。ではここで、財政政策・金融政策を実施するとどのようになるのか、考える。
財政政策として政府が財政出動をした場合を考える。財政出動は財市場において国民所得を直接的に増やす方向に作用する。数式でいろいろな段階を踏むが、乱暴に結果だけを説明すると、「政府による財政出動はIS曲線を右に移動させる」という作用をもたらす。
一方、日銀の金融緩和(マネーサプライの増加)による金融政策を考える。これも乱暴に結果だけをまとめると、金融緩和(マネーサプライの増加)は金融市場において利子率(成長率)の低下を招く。すなわち、「日銀による金融緩和(マネーサプライの増加)はLM曲線を上に持ち上げる」という作用をもたらす。
そしてどちらも、実施した後には財市場・金融市場の均衡のメカニズムが働き、最終的な均衡点に落ち着くこととなる。結果、両者とも国民所得の増加を招くことが、図により明示される。図を見てほしい。
ここではいくつもの重要な点が指摘できる。例えば以下のようなことが言える。
・政府の財政出動、日銀の金融緩和(マネーサプライの増加)は、どちらも国民所得の増加をもたらすが、その経路は全く異なる。全社は利子率(成長率)をプラスに押し出し、後者は利子率(成長率)をマイナスに引き下げる。
・財政政策、金融政策を実施しても、それぞれの曲線の傾き等により、その効果の幅は大きく異なる。
など、いろいろな経済上のプロセスがそこから読み解くことが出来る。ここでは、非常に単純化して説明しているので、これだけで語れるものではないが、このような分析手法があることは、頭に入れておきたい点である。政策を実施するということは、こうした効果のプロセスをよく考えて、効果的に実施することが重要なのである。
4.正しい経済政策を実施した日本人 ~池田勇人 元首相・高橋是清 元大蔵大臣~
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国が取る経済手法としては、財政政策と金融政策の二つのみである。これらをうまく組み合わせることで、国民経済が発展しながら経済の暴走(ハイパーインフレやバブル、恐慌)を起こさせないことが可能となる。
これらをバランス良く実施することが、賢い政府であり、正しい成長をもたらす。時の政権は、常にそれを上手に舵取りし正しい経済運営をした上で、国を正しい成長へと導くことが必要不可欠である。しかし、なかなかチグハグな経済運営がまかり通る。経済学が全てではないが、あまりに経済に無知な政治家であったり官僚の運営であったりで、うまくいかないことが多い。
もちろん経済学は万能ではないし、また、人間のやることなので現実の世界は理論だけではうまく進まない。しかしそれを考慮しない政策は絶対にうまくいかない。日本でもそれをうまくやった政権はあった。近代以降に絞った場合に、ここでは私としては大きく二人をあげてみたい。
池田勇人氏は、1960年から1964年まで首相を務めた人で、元大蔵官僚の政治家である。吉田茂の元でGHQとの折衝を進め、戦後の日本の礎を築いた一人である。大蔵省でも苦労の連続で、最終的には事務次官まで務めるが、大きな病気で生死をさまよい大蔵省を一度退職しているほどの苦労人でもある。
池田勇人が打ち出した「所得倍増計画」は有名である。今でこそ「経済政策をしっかり打ち出すことが政治家の務め」ということが言われるようになったが、当時は経済を語る政治家など珍しく、批判も多かった。「経済は政治の一部であって、大蔵省は日銀にまかせておけばいい」といった認識が主流であった。今でも実態はそうだが・・・。しかし、池田勇人は果敢に経済政策を打ち出す。そこには「軍事費を抑えつつ経済を発展させ、日本を通商大国にする」という、池田勇人の確固たる信念があっためである。
かくして、池田勇人の、「1961年からの国民総所得(GNP)を10年間で倍増させる」、という「所得倍増計画」は、計画以上の結果をもたらし、倍増以上となった。現在の日本の基礎を築いたといってまちがいない。
池田勇人氏は病気を理由に1964年に首相の座を降り、その翌年にガンで亡くなっている。65歳であった。ケインズ経済学に精通し、力強く日本を引っ張った人である。今の日本を見て、どのように思うのだろうか・・・。
高橋是清は、昭和初期に活躍した政治家であり、元官僚である。仙台藩に生まれた人で首相も務めているが、財政のプロとして大蔵大臣としての功績が大きい。昭和初期の混乱期において、「高橋が大蔵大臣なら首相はだれでも大丈夫」とまで言われたほどの信頼をもたれた人物である。その風貌と人格から、「だるまさん」と国民から呼ばれ愛された人であった。1936年の「2・2・6事件」により暗殺されてしまうが、国を立て直した功労者であり、経済を知らない軍人の暴徒により誤って殺されたとしか表現のしようが無い。
高橋是清の功績で最も語られるのが、昭和2年(1927年)の昭和恐慌と言われた金融不安における対処である。昭和恐慌が少し落ち着きかけた頃に、当時の財閥である「鈴木商店」の倒産に波及して、金融機関の倒産が連鎖しかかった時期であった。その頃政界を引退していた74歳の高橋是清に白羽の矢が立ち、高橋是清は期間限定で大蔵大臣を務めることとなる。
高橋是清はこの危機に対し、とにかく不安を取り除くことが重要と、大胆な金融政策を打ち出す。借金の返済を一時凍結させる「モラトリアム」という信じがたい手法をとったり、社会の不安を取り除くために「札束」をみせつけるべく銀行に文字通りの『紙幣」を置かせて、倒産はないことをアピールした。なお、このとき印刷が間に合わなかったため、「片面のみ」印刷した紙幣を使っている。
経済理論に立脚しつつ、当時の混乱を収めるために非常に奇抜なアイデアも含めた方法を使って、昭和恐慌は比較的早くに収束する。その後の昭和4年(1029年)の「ブラックマンデー」から端を発する「世界恐慌」が世界を席巻するが、いち早く抜け出したのは、他ならぬ日本であった。それは、その後も何度も大蔵大臣を歴任した高橋是清の正しい経済政策によるところが大きい。こうした政治家が当時続かなかったことが、その後の日本の経済をおかしくし、人々を戦争へと進めていった要因となってしまったことは歴史の事実と言える。
日本を深く愛し、波瀾万丈の人生であった。アメリカに奴隷として売られた時期もあり、明治期には英語の教師もしている。「坂の上の雲」で有名な秋山真之の先生でもあった。日本を支えた大政治家は、苦労人でありかつ経済を熟知した人物であった。
5.理論に立脚した政策を
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経済学はあくまで学問であり、必ずしもすべてを表現している物ではない。経済は生き物で、理論だけで割り切れるものではないようである。だからこそ、経済学も諸説ありそのどれもが事実を表す一方で、誤りも含んでいるようである。
また、経済とはあくまで国や個人を豊かにする「手段」であって、生きるための「目的」ではない。
しかし、経済が安定していなければ、人々の心も安定しない。経済の不安はそのまま人々及び社会の不安をもたらすため、やはり経済を理解し適切に運営することは、人間の生活において必要不可欠のものである。それは現在だけでなく、過去の歴史からも言える。
となると、そうした経済を分析した学問としての経済学を理解することは、世の中を理解することにもつながる。少し理解しずらい学問ではあるが、できるだけ興味を持って見ていきたいと思う。
また、政治やニュースを見る上で、経済を知っているのか、ちゃんと勉強しているのか、という基準で見てみるとよく見えてくるものがある。単に感覚だけで語る政治家やコメンテーターがほとんどであるが、それらは「感情論」ばかりが先行しているように思う。「感情論」だけでは、方向性を誤る。そうしたものを見極める一つの手法として、経済学に興味を持ってみていきたい。
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