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「治安維持法」は本当に悪法か?戦前の真実

加藤高明(たかあき)首相

天下の悪法と言われる戦前の「治安維持法」の真実を検証し、現在を考える

戦争前の「治安維持法」と聞いたら、その法律による悪影響しか思わない人がほぼ全員と思う。それほどに苛烈な逮捕や取り調べが行われたのは事実である。しかしよく勉強すると、治安維持法の誤解あるいは戦後の情報操作を感じるし、その重要性が理解できる。現在にも大きく当てはまる当時の状況と治安維持法の真実をまとめた。是非、ご覧を。

1.「治安維持法は天下の悪法」は大嘘!

戦前の「治安維持法」と聞いて、どう思うだろうか?私も含めて、圧倒的大多数がいい印象を持っていないと思う。「言論弾圧に用いられ、日本を戦争に導いた」「軍のいいなりにならないと逮捕された」「政府にいいように使われて国民弾圧の道後となった」などなど、そうした印象しかない人は多いと思う。

また、戦前の「治安維持法」を批判する人は、昨今の「特定機密保護法」や「スパイ防止法」に反対の人々に多い気がするのも、気にかかる。私の定義で言えば「反日」にかたよっている野党・マスコミ・知識人、が特に戦前の治安維持法の批判の急先鋒に見える。

治安維持法成立時の当時の毎日新聞
治安維持法成立時の当時の毎日新聞

しかし、結論から言えば、こうした「治安維持法は天下の悪法」という認識は、戦後に植え付けられたものであり、まったくの「感情論」で現実を表わしていない、と言える。日本の近代を学べば学ぶほど、それが分かってくる。
実際は「悪法」どころか、当時の日本・世界情勢を考えたら、日本にとって絶対に必要な法律であった、と結論づけられる。治安維持法の結果一部の暴走的な取り締りはあったとしても、法律全部を否定するものではなく、実際には「治安維持法」の存在は大きく日本を守った。逆に、「日本に治安維持法がなかったらどうなっていたか?」とぞっとするほどに思う。

治安維持法を理解するには、下記の3つのポイントを知ることが重要である。

① 治安維持法の実態
② 当時の日本の状況
③ 当時の世界状況、特にロシア革命後の共産主義革命運動の動き

上記を見ていくと、治安維持法の全体像が見えてくる。

2.治安維持法とは? ~アクセルとブレーキだった治安維持法と普通選挙法~

(1) 法律の中身

では、ここまで言われる治安維持法がどんなものか、名前を聞く割には内容はあまり知られていない。その全てを表わすのが「第一条」と思う。下が第一条の条文である。(原文を読みやすくするため、段落分け「・」を付してある)

治安維持法(大正14年:1925年、4/22)

第一条
・国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的卜テシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
・前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

カタカナ書きのためにわかりにくいかも知れない。ひらがなにし句読点を加えて、現代文にすると以下になる。

第一項
「国体を変革し、又は私有財産制度を否認することを目的として結社を組織、又は情(報)を知りてこれに(加)入したる者は10年以下の懲役又は禁固に処す」
第二項
「前項の未遂罪はこれを罰す」

なお、昭和に入っての改正後、懲役だけでなく死刑が加えられる。ただしそれは戦争が激しくなった昭和16年(1941年)と約20年も後である。
一見、弾圧を加えるための非常に厳しい法律のように見える。だがその結論は少し待って欲しい。法律を見るときには、法律そのものの条文とその「趣旨」が重要である。どのような「趣旨」で法律があるのか、それが現在においても重要であり裁判でも問われる。

この法律は、未遂も含めて取り締まる強力なものだが、この法律が問題とする行為は
① 「国体」を変革する
② 「私有財産制度を否認することを目的」とした結社等
である。

まず①の「国体」とは何か。これは天皇陛下を中心とした日本全体の仕組みを指す。これを「天皇制」とマスコミや共産党はレッテルをはるが、それは言い方に悪意を感じる。「天皇陛下を頂点とする日本の仕組み」とでも言うべきと思う。これを「変革」することを禁じている。
そしてもう一つ②の「私有財産制度を否認することを目的」とした結社、を禁じている。
これは何か?どういう文脈でこれは導かれているのか?そこにこそ、この法律の「趣旨」が現れる
この①・②を犯すと判断した者を取り締まった。確かに、解釈を広く取れる条文だが、わざわざこれを大正末期の大正14年に制定したのはなぜか?法律の「趣旨」は何だったのか?これを考えないと、法律の全体像は見えてこない

(2) 治安維持法成立時の日本の背景

治安維持法が成立したのは、大正14年(1925年)である。明治政府の設立から簡単に流れを言えば、明治政府が難産の結果成立し、植民地支配を強力に進める西欧列強に対して対抗すべく、明治政府は「富国強兵」を進めていった。
そして日本が経験した対外戦争として、
日清戦争(明治22年:1894年
日露戦争(明治32年:1904年
第一次世界大戦(大正3年~6年:1914年~1917年)
を経ていた。これらは「10年おき」と覚えると覚えやすい。

明治・大正・昭和の流れ
明治・大正・昭和の流れ

ここで、「第一次世界大戦は日本は参加していないのでは?」、と思う人があるかも知れない。しかし、実際には大いに参加し、かなり重要な役割を果たしている。そしてそれがその後の日本にも世界にも深く影響する。
第一次世界大戦については、いずれしっかりと記述したい。

治安維持法に絞って年表を見てみる。そしてその当時の時代の特色として言えるのが、
① 第一次世界大戦を経た後の約10年後であったこと
② 大正の末期であったこと
③ 関東大震災の後で混乱期にあったこと。
が言えると思う。

大正時代の年表
大正時代の年表

第一次世界大戦の印象は、日本では小さい。あまり教えられないからである。しかし、その後の世界を考えると、第一次世界大戦により世界にとてつもなく大きな変化が生じた。「共産主義の台頭」である。

この「共産主義の台頭」は現在にもその影響を色濃く残すほどの大事件である。人類の歴史の重大な転換点の一つ、といってもいいと思う。
「共産主義の台頭」とは、あえて語弊を怖れず簡単に説明するなら、「異常な暴力組織の怪物(モンスター)の台頭」といっていい。議論はいろいろあろうが、歴史の結論から言えば「共産主義」を掲げた国は、ほぼ間違いなく独裁となり自国民を虐殺し他国を侵略している。「共産主義」の説明はいろいろあるし非常に難しいが、「国家」として見た場合は、結論ははっきりしている。

その「共産主義」が活動として行われ「コミンテルン」という組織が成立し、世界は「共産主義」という名の「暴力組織(モンスター)」にさらされることになった。それが第一次世界大戦後であり、大正時代なのである。それは日本だけではないが、日本にも「共産主義」という名の「暴力組織」がどんどん浸食している時期だった。それが「治安維持法が生まれた時代背景」であることをよく理解する必要がある。
令和2年の現在もよく似ている気がするが・・・。

そして「共産主義」は「私有財産」の所有を否定する。いわゆる「社会主義思想」で、個人による財産の所有を否定することを理想として取り上げていた。実際は全く違うが・・・。
ここで、治安維持法の条文が何を狙っていたか、良く分かる。治安維持法では条文で『「私有財産制度を否認することを目的」とした結社等』と掲げて、これ禁じている。つまり、治安維持法は「共産主義」の取り締りを意味していることは明白だった。

そしてもう一つ重要で絶対に忘れてはいけないのが、「治安維持法は普通選挙法と一緒に成立した」ことである。これが治安維持法の背景を物語る。

先の「共産主義・コミンテルンの台頭という時代背景」と、「普通選挙法と一緒に成立した」ということに、治安維持法の「法律の趣旨」の鍵がある。

(3) 普通選挙法と治安維持法は「アメとムチ」ではない!「アクセルとブレーキ」と見るべき!

加藤高明(たかあき)首相
加藤高明(たかあき)首相

学校の授業では、大正14年(1925年)に同時に成立した普通選挙法と治安維持法をセットにして「アメとムチ」とたとえて教えられる。どちらも大改正で、難産の末の法案成立だった。

このときの内閣総理大臣は、加藤高明(たかあき)首相で、在任期間中に肺炎で亡くなってしまう。尾張(現在の愛知県)出身の加藤高明首相は、大久保利通や伊藤博文などと並べても「(その)一角の人物だった」(西園寺公望)と言われたほどの人物だった。地元名古屋の人間としては、長生きして欲しかったと思う。

なお、加藤高明の銅像が名古屋市の鶴舞公園にあったが、戦争中に「銅」が不足したため撤去され、現在は台座のみが残っている。

名古屋市鶴舞公園の加藤高明像
名古屋市鶴舞公園の加藤高明像

普通選挙法の制定により大きく変わったのは、それまで納税額が一定程度ないと投票出来なかったのが、すべての25歳以上の男子になったのである。女性はまだであったが、当時の世界でも先進的な内容で、有権者は一気に4倍にもなった。
しかし、これは非常に危険な制度改正といえる。先にも述べたとおり、当時の「共産主義」の浸透は日本にも相当入り込んでいた。となると、過去の日本を全て否定し「暴力革命」によって日本そのものを「共産主義」化しようとする勢力は、どんどん大きくなっていった。
しかし一方で「大正デモクラシー」とよばれる民衆の政治関与への高まりは、「普通選挙」実施を強く要求していた。政府は「共産主義」の危険を理解しつつも「普通選挙」という劇薬を実施せざるを得なかったのである。

普通選挙法により有権者が一気に4倍にもなれば、日本転覆ということも「工作」によって可能になる恐れがある。それでは国が成り立たない。そんな時代背景を前提にして、普通選挙を認めると同時に「共産主義」を取り締まるための「治安維持法」が制定されたのである。
「アメとムチ」などというものではない。「普通選挙法」という劇薬が日本をおかしくする可能性を憂慮したのである。私の理解で言葉を換えれば、

普通選挙法により民意を広く取り入れるという劇薬アクセルを入れるなら、その暴走を止める制度ブレーキとしての役割を「治安維持法」により実施

と言う方が実態に近いと思われる。普通選挙法と治安維持法は、「アメとムチ」ではなく「アクセルとブレーキ」と言うべきと思われる
ブレーキのない車に乗る人はいるだろうか?普通選挙法という劇薬はまさに日本を転覆させかねない力を持っていた。だからこそ、それを「暴力的に実施」しようとする「共産主義」を押さえつける制度が必要だったのである。

(4) 行き過ぎた取り調べ・誤認逮捕は実際にあった

これだけの権限を与える法律であったため、行き過ぎた取り調べや逮捕は確かにあった。逮捕者数は数十万人にも上り、まったく無根拠であった人達もかなり含まれていた。特に昭和の時代に入り、第二次世界大戦・大東亜戦争となり戦局が厳しくなると、取り締りも厳しくなった。こうしたことを口実にされて、現在では治安維持法は「天下の悪法」となっている。

しかし、先に見てきたとおり、この時代は世界各国も含めて、とにかく「共産主義」という波に飲まれ、個人も政府も国も、どのように取り扱っていいか対処できていなかった。日本の治安維持法に類似した法律は諸外国(ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス)にもあった。それほどまでに対処しなければならない課題だった。
各国でも浸透工作はどんどん進み、誰が「共産主義」でそもそも何が共産主義か、すら分からなかった。ただ一つ大きな危険として、国の転覆を狙う「暴力革命」があったことは間違いないなかった。

もともと取り締まる対象がはっきりしない中での法律で、そう言ってしまえば確かに法律自体が問題だった、と言えなくもない。しかし、この見えない「共産主義」という名の「暴力革命」を防ぐためには、何らかの権限を取り締まる側につけなければならなかったのである。その結果一部に生じてしまったのが、「理不尽な逮捕・取り調べ」だったと言える。

(5) 治安維持法による死刑は一人もいない!

ソ連スパイのミヒャルト・ゾルゲ
ソ連スパイのミヒャルト・ゾルゲ

治安維持法は大東亜戦争真たっだなかの昭和16年に改正され「死刑」が量刑に追加された。これも社会の教科書ではよく教えられる。しかし、実際に治安維持法で死刑になった人は一人も居ない、という事実は教えられない。

取り調べるによる死亡、等はあったにせよ、スパイや扇動工作が確定したような名だたる逮捕者も「死刑」にはなっていない。日本を戦争に引きずり込んだ工作をし日本を震撼させた「ゾルゲ事件」の「ゾルゲ」ですら、死刑にはならなかった。戦後処理に当たる総司令官マッカーサーの情報参謀だったチャールズ・ウィロビー氏は戦後にその事実を知り、「刑が軽すぎる」と驚いたと言われる。なお、ウィロビー氏は当時から「東京裁判」といわれる戦勝国による「日本たたき」に対して疑問を呈していた人である。

治安維持法は確かに運用の面での問題が多かった。しかし当時の日本と世界の状況を考えて、決しておかしい法律ではなかったし、その運用も比較的理性的に行われていた、というのが実状と思われる。

3.本当に危険だった当時の世界と共産主義運動(コミンテルン)

第一次世界大戦以降、共産主義という名の怪物(モンスター)が世界中を席巻していった。「社会主義」だとか「マルキシズム」だとか、「レーニン主義」だとか「トロツキズム」だとか、いろいろな「理論的」な議論があるが、結果行き着く先は権力争いの果ての独裁と虐殺だった

「悪のカリスマ」ウラジミール・レーニン
「悪のカリスマ」ウラジミール・レーニン

ロシア革命により、帝政ロシアが倒れたことは誰もが知っていると思う。しかし、その倒れたロシア帝政の最後の皇帝ニコライ二世とその家族(妻、娘4人、息子1人)の死に方はあまり語られない。「ロマノフ家の処刑」と言われるが、筆舌に尽くしがたい殺され方をする。まだ幼い子供達も容赦なく、しかも苦しみながら死んでいった。

ロシア革命では、革命を引っ張る側も何度も仲間割れを起こし、殺し合う。それを制したのがレーニンであった。レーニンはその過程で「共産主義インターナショナル」(通称:コミンテルン)を組織する。それは世界でも「共産主義革命」を実施し、世界を混乱に陥れるというものである。コミンテルンの設立は1919年。それは大正時代の真ん中にあたる大正8年で、それから世界は「共産主義」活動との戦いとなる。国の中に「革命組織」が出来て外国勢力と繋がりながら、国内を混乱させていくのである。そのコミンテルンの日本支部日本共産党である。現在も「暴力革命」の考え方は変わっていない。

h非情な独裁者 ヨシフ・スターリン
非情な独裁者 ヨシフ・スターリン

レーニンは1924年(大正14年)に亡くなるが、その後を引き継いだのが、レーニンですら警戒したヨシフ・スターリンである。スターリンは、レーニンすら超える独裁者だった。スターリンはレーニンから更に組織的かつ構造的に「革命」という名の混乱の種をまき散らし、すさまじい虐殺をしていく。統計の取り方はいろいろあるが、実に6,000万人もの人を虐殺した、と言われる。広島・長崎の原爆の犠牲者が合計して30万人であるのを見れば、如何に桁違いか分かる。20世紀の最悪の虐殺者、といっていい
こうして「共産主義」とよばれた勢力は、すさまじく伸長していき、日本を大きく危機に陥れた、それが大正末期から大東亜戦争までの時代背景なのである。

本当に余談だが、現在参議院金の有田芳生(よしふ)氏の「芳生よしふ」は、このヨシフ・スターリンから取ったそうである。反日色が強い氏の主張・行動を見ていると、筋金入りの出自といいたくなる・・・。

4.もし治安維持法がなかったら日本は・・・

このように見てくると、逆に「もし治安維持法がなければ、どうなっていたのか?」という想像をしてしまう。当時の状況が分からない私が予想をしても仕方がないのかも知れないが、現代を見る上でも重要な考察と思う。

それでは治安維持法がない昭和初期の日本を想像すると、おそらく完全に当時のソ連に飲み込まれていただろう、と推測する。そしてそれは現代で言えば、北朝鮮に近い形の統治になっていた、と思われる
どこの誰かも分からない人を突然連れてきて、「この人が今日からこの国(地方)のトップ」と言われてトップとして祭り上げている、そんな日本が想像される。経済は「統制経済」となり、まともに豊かにはなれず餓死者も出て、人口はまったく増えるどころか減る。

こんなシミュレーションは意味がないかも知れないが、歴史を見ることは現在を知ることと思う。となれば、このシミュレーションは「治安維持法」に相当する法律を持っていない現在の日本に当てはまるところが多いのではないだろうか。となりのChina(中国)・韓国にいいようにやられ、国会ですらまるで彼らの手先のような人達が我が物顔で荒らしている。マスコミについてはいうまでもなく、徹底した反日報道に終始している。
さすがに現代では、当時のような軍事的な領土の拡張は難しいとは思う。しかし、「侵略」は軍事的に動かなくとも出来る。今の日本が恐ろしく当時の日本と似ているのではないかというのが、私の危惧であり認識である。そんな現在こそ戦前の「治安維持法」を当時の状況と合わせて見つめ直し、その理念を引き継いだ法律が必要なのではないだろうか

5.治安維持法とその背景を見て

「治安維持法」を「悪い法律」と簡単に決めつけることは、ある側面では正しいとも言える。しかし、このように背景や世界情勢まで見ると、「悪法」として単純に切って捨てるのは、「大嘘」とあえて断じたい。

「治安維持法は悪法で、日本を不幸に導いた」というのはほんの一部しか見ていない意見で、当時の状況を見れば、そんなに単純な話ではないことが分かる。
そして、そうした大正・昭和初期の状況を見ることは、。それは「治安維持法が怖い」というまったく空虚な感情論ではない。むしろ、あまりに厳しかった当時の国際情勢の中で「治安維持法」の果たした役割はなんだったか、そして現在は大丈夫か?ということを、現在に生きる我々は考えるべきと思う。
このように見てきて、現在を考えれば
「現在にこそ「治安維持法」の趣旨と同様の法律が必要である」
と強く思う。
その上で「選挙権」を行使できれば、と思う。少なくとも「スパイ」を直接的に取り締まる法律がない現状は、どう考えても「法整備」が出来ていないと言えるのではないだろうか

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