- 2019-4-7
- ⑨ 昭和期-戦前・戦中
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昭和初期に駐日フランス大使を務めたポール・クローデル氏の言葉と時代を見る
なかなか聞きなじみのない人であり言葉かも知れないが、大正末期から昭和初期に駐日フランス大使であったポール・クローデル氏の言葉を取り上げたい。「軍国主義」と言われた時代であり暗い時代の印象があるこの時期であるが、実態は大きく異なる。フランス人の言葉を通じてはあるが、この時代を見てみたい。是非ご覧を。
1.フランス人駐日大使、ポール・クローデルの言葉
ポールクローデルという、親日のフランス大使がいた。彼は大正10年(1921年)から昭和2年(1927年)まで駐日大使を務めた人で、その経験から日本と日本人を深く知る人だった。
そのポールク・ローデル氏が昭和18年(1933年)敗戦濃厚の日本を憂いて、本国フランスのパリでスピーチした内容の一部が下記である。
そしてこう付け加えた。
「彼らは貧しい。しかし、高貴である」
このように日本を高くたたえてくれたフランス人がいたことは、いかにその頃の日本人が彼の言う通りの「高貴」であったかがうかがえる。現代に生きる日本人として、先人に感謝するとともに今の自分を振り返りたい。
2.ポール・クローデルの居た当時の日本
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ポール・クローデル氏は大正10年から昭和2年の間に駐日大使として日本にいた。その頃といえば、なんといっても大正の最後の頃に起こった「関東大震災」(大正12年:1923年)が最も大きなニュースであった。
ポール・クローデルは、関東大震災に駐在していたフランス大使館で遭遇する。クローデルはその時の日本人の冷静さや我慢強さに驚いている。避難する大群衆を見て「唐突な動きとか人を傷つける感情の爆発によって隣人たちを煩わせたり迷惑をかけたりしてはならないのである。同じ一隻の小舟に乗り合わせた人々はみなじっと静かにしていなければならない」と、その冷静さに触れている。
クローデル氏は「廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も『助けてくれ!こっちだ』というような差し迫った叫び声ではなかった。『どうぞ、どうぞ(お願いします)』という慎ましい懇願の声だったのである」とも書いている。
ここでの体験だけでなく、クローデル氏は日本をたたえている。それほど評価していた。ただし、日本の「軍部」批判や、関東大震災での「朝鮮人虐殺」といった批判もしていることは付け加えておきたい。
3.当時の日本とそれを見たフランス人を見て
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昔からの疑問であったのが、『なぜ第二次世界大戦当時の日本は、暗くて言論の自由はなく、他国の侵略ばかりを考えていたのか?』であった。そして学んでわかったことは、そうした「事実」として伝えられたことが事態が、明確にNoであったということである。
いわゆる「自虐史観」というものであるが、よく勉強するといかに実態が違うかを知る。日本人は常に冷静で我慢強く生きてきた。他国を侵略することなど、現実的に考えられるものではなかった。そこまで余裕がなかったといってもよい。
そして、経済的には貧しくアジアで単独で欧米支配に対抗した日本を、ここまで評価し愛してくれたフランス人がいたことを、日本人として誇らしく思うのと、クローデル氏と共に先人に改めて尊敬を感じる。
(動画でのポイント解説)
コメント
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パール判事の主張といい、ポール・クローデル氏のスピーチといい、日本人以外の人から日本人として誇りを再認識させられるとともに、捻じ曲げられた事実に憤りを感じますね。引き続き、祖国を愛するブログ発信をよろしくお願いします。
昭和初期は間違いだらけで擦り込まれています。しっかり歴史を見たいですね。
微力ながら教わっていない歴史を発信できたら、と思います。