明治維新とヨーロッパ世界【5】 (まとめ)19世紀後半50年の世界と、連動していく日本

19世紀後半のヨーロッパ世界
  • 19世紀後半の50年の世界情勢と共に、連動していく日本の動きについて考える

4回に渡って19世紀後半の世界を見てきた。
(シリーズ過去記事)
明治維新とヨーロッパ世界【1】 徳川250年間の世界史と、19世紀後半の世界情勢
明治維新とヨーロッパ世界【2】 世界帝国イギリスと日本
明治維新とヨーロッパ世界【3】 ロシア・アメリカの動きと日本
▶明治維新とヨーロッパ世界【4】 ビスマルク外交とその終焉、及び日本

これらをまとめた上で、私の疑問である「明治維新はなぜ始まったか」について再度考察したい。

1.19世紀後半の50年における日本と世界の変化

今まで19世紀後半の世界と、日本とのかかわりを見てきた。「19世紀後半」という言葉だけだと、単なる1850年~1900年の50年となる。しかし、日本で言えばペリーの来航が1853年であり、大政奉還が1867年、第一回帝国議会の開催が1890年、そして日清戦争が1894年・日露戦争が1904年と続く。まさに、徳川幕府が倒れ、明治政府設立、及び列強の一つとの戦争までの期間にあたり、この間の日本を激動と言わない人はいないだろう。徳川幕府250年も深く見ればいろいろあるが、やはりそれに比した時の激動ぶりは、日本史上でも特筆すべき期間であった。

では、その間世界はどうであったか。下記は、1900年頃の、世界情勢地図である。

1900年頃の世界情勢

1900年頃の世界情勢

19世紀後半の各国の動き

19世紀後半の各国の動き

これまで見てきた通り、日本だけではなく、世界にとっても激動の50年であったと言える。表にまとめた通り、世界の列強は産業革命を経つつ、その力を一気にアジアやアメリカ大陸・アフリカ大陸へと吐き出し、むき出しの帝国主義に走り出した大変革期であった、といえる。イギリスの超膨張戦略、ドイツ帝国の成立とその発展、ロシアの戦略の移り変わり(東へ)、フランスのナポレオン戦争からの復権、そしてアジアでは日本が台頭し、また、南北戦争を終えたアメリカはいよいよ体制を整え世界の列強となっていく。イタリアは国として初めて発生している。

そんな中での、明治維新であった。こうしてみると、ヨーロッパもアメリカも、明治維新級の変革にあったとすら言える。

2.19世紀の世界とその中での日本


こうして世界情勢を見た中で明治維新という時期を見てみると、決して日本だけが特別に変革をしたわけではないことが見える。明治維新という改革は、アジアで唯一日本だけが成しえたこと、その犠牲が非常に少なかったこと、等より、世界にも類を見ないといわれる。そういう意味では明治維新は特殊ではあるが、この時期に始まった必然は、西欧列強自体も大きな変革の中にあり、その結果としてアジア地域のみならず世界中が植民地支配という目的の下、そこに組み込まれていったためである。

この50年間で西欧諸国も目まぐるしく国も体制も変わってきた。ではその原因はと言えば、「産業革命」が大きな要因であると言えるだろう。産業革命により経済圏の規模が巨大化し「市場」あるいは「搾取の対象」として西欧社会は植民地を更に欲した。また、産業革命は国の戦争能力を格段に上げ、それが容易にできる環境ができた。
まずイギリスにて産業革命が始まり、経済及び技術が新たな段階に入る。それを目の当たりにした他の列強がそれを模倣し同様の力をつけていく。その過程でアメリカという西欧諸国のもう一つの大国が生まれる。また、農業国家であったロシアが、わずか14年で大陸を横断するシベリア鉄道を完成させるまでになっている。
更に「第2次産業革命」と言われる、石油の出現による産業及び人類の大きな飛躍も、19世紀最後から見え始めていた。

まさに、世界が近代になろうとしている中で、日本にも変革が求められた。さもなくば、植民地という切羽詰まった状態の中である。それを乗り切る体制と国力を何とか構築したのが、明治維新であり明治政府ではあるが、江戸時代の蓄積なしにそれは語れない。明治維新の成功の要因は、列強の外圧のみでは決してない。大きくは以下の3つが挙げられると思う。

① ヨーロッパ列強(及びアメリカ)のアジアへの植民地支配という、「国防の脅威」
② 徳川250年で培っていた技術力により、「列強に追いつくことが可能」という目算
③ 「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」というスローガンの下、「尊皇(そんのう)」という明確かつ、日本全体でまとまることができる天皇陛下の存在、そしてそれを後押しする思想学(水戸学、国学等)の存在

やはり、①が最も大きな要因であることは間違いないが、それを支えた②・③を理解しないと、明治維新と言われる、この時期の政変を見誤ると思う。決して突然「維新志士」たちが発生し、突然変異のごとく国が生まれ変わったわけではない。長らく②・③の下地があって、それらを利用して奇跡的に政治体制を「江戸幕府」から「明治政府」に、世界的にみても類を見ないほどのスピード及び犠牲者数で、変革させたのである。西欧列強とのぎりぎりの交渉でも、やはり②・③の力が発揮されている。
明治維新については、またしっかり記述したい。

なお世界は帝国主義の時代をより強め、19世紀後半の時点から、2つの世界大戦へと進みつつあったし、日本もそのうちの一員となっていく。明治維新のスピードも速かったが、世界の動きも激しく、日本は明治維新から明治政府になったばかりで、西欧列強の世界の中に白人以外で唯一入っていく、という道を進み始める。

3.1900年時点の日本の直接的脅威

明治政府の1900年時点の直接的脅威は、完全にロシアに絞られていた。

1900年頃の世界情勢

1900年頃の世界情勢

ロシアによる極東への南下はすでに進んでいて、「三国干渉」という形で更に外圧として迫ってきていた。日清戦争の勝利でロシアに備えるべく日本が獲得した遼東半島を、日本から清へと迫っておきながら、その後自国の領土としている。
また、「三国干渉」は、ロシア・フランス・ドイツの三国が行ったが、特にドイツにもアジアに対する人種差別含め領土的野心は大きくあった。日本にとっての脅威は、決してロシアだけではなかった。
その頃の世論は、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」を合言葉にロシアに対する反感感情は、まさに国民感情となっていた。一方、ヨーロッパ列強はビスマルク外交が破たんした後、バルカン半島の民族紛争を抱えながら、なんとか均衡を図っている。
日本の諜報活動もバルカン半島情勢に注目しつつ、ロシアの出方を注視していただけでなく、世界情勢を把握していた。その結果が、奇跡の日英同盟であり、その後の、まさに奇跡の日露戦争の勝利なのである。

日露戦争及びその後については、いずれ記述したい。

4.19世紀後半の世界をみて、再度「明治維新はなぜ始まったか」を思う

このような世界情勢を見て、改めて明治維新及び日本の置かれていた立場を考えると、アジアを見れば、唯一大国となる道を選び成功した特殊な国であった一方、西欧の世界的に見れば、産業革命を経た後の必然的に起こった変革であった、という二面を思う。一方で背伸びをし、一方で追われながら、必死で環境に対応しようと国全体で必死であった。
「明治維新」がその変革の初期と考えると、その変革の一つの区切りとしてはこの後の「日露戦争」の勝利と言えよう。列強に互するまでの国力に一気に押し上げたのは、江戸時代を含めた日本の総合力の結果と思う。

「明治維新はなぜ始まったか」という私の疑問は、世界情勢も合わせてみることで、理解は深まった。しかし、そのきっかけとしての世界情勢はある程度理解したが、それを可能にした日本の総合力も「なぜ始まったか」という問いに対する大きな要素と思う。江戸時代を含め、また記述したい。

一方、「明治維新」が武士の時代から現代へと続く変革の初期と捉えるなら、現代に至るまでの「2つの世界大戦」を巡る世界と日本の動きを見ないと、そのつながりは見えてこない。それらについても、また記述したいと思う。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

Calendar

2018年10月
« 9月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

ピックアップ記事

2017-10-30

「八紘一宇」(はっこういちう)の精神で!

ページ上部へ戻る
TOP
HOME