「坂の上の雲」を通じて見る日露戦争
先に書いた通り、私は司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」が非常に好きである。今回はその記述を紹介しつつ、小説の魅力を紹介できれば、と思う。
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1.小説「坂の上の雲」から知る日露戦争
先に断っておきたいが、私はいわゆる「司馬史観」と言われるものには賛同しない。そもそも歴史とはいろいろな理解がある、という考えのため、正しいとか正しくないとか言う気はない。ただ、この本を読んで司馬氏が歴史を多角的に分析する人である、と思ったため好きであるということである。
これから、「坂の上の雲」を呼んだ時に印象に残った一説を示しながら、本の魅力を伝えたい。なお、本の宣伝が目的ではなく、あくまで日露戦争の頃の日本を知る手がかりとして紹介させてもらいたいしそのように理解してほしい。私の思いは、私が興味を持った過程を紹介することで歴史に、日本に興味を持つ一助になれば、ということである。もちろんその意味で、是非読むことをおすすめするが。
巻・ページはあくまで私が読んだ本の編集のものなので、あまりあてにはならないことをご容赦願いたい。
2.日露戦争時の明治政府の主眼と日本
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左のように、当時の明治政府はとにかく列強の脅威に対し、ばらばらの「藩」ではなく「日本国」としてどのように対処するかに腐心した。小説の主役たる、秋山兄弟は愛媛の田舎から出てきて、東京にて勉学に励み、兄の好古(よしふる)は陸軍に、弟の真之(さねゆき)は海軍に従軍し、両者とも目覚ましい活躍をした。この二人が日露戦争で活躍した頃は、2人とも40代前半である。そしてそれは左にある通り、明治政府が教育に力を入れた一つの成果であったと言える。
薩摩・長州の軍閥は形成されるが、それらを超えた「日本」としての一つの形を作りそして守ることに、全体で機能したと思う。そこにあるようにパークスが驚いたのも、日本人同士で争うことではなく、列強に対してどう対処するか、若い世代も含めて考えて行動した時代と言えよう。また、そこにあるように江戸時代の蓄積も重要な要素であったことは付け加えておきたい。小説ではそこは詳しくは述べられていないが、やはりあれだけの国の変革が起こる素養は、江戸時代ひいてはそれまでの日本の国そのものにあると、学べば学ぶほど思う。
3.日露戦争時のロシアとそれに対する明治政府の世界認識
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上記は第2巻のあとがきにあった記述である。この本を読んだ当時は、特に右の記述に関しては、司馬氏の深い取材に基づいた感想なんだな、と感嘆し、わざわざ赤字にもしたくらい、印象に残ったものである。しかし、今は少し違う感想を持っている。前段の部分については基本的に賛成である。ロシアに救われた部分は大きいような気がする。ただ、それを明治の日本人がよく分析し行動した結果だともいえると思う。後段のところは、あまり賛同できない。日清・日露戦争を経て、満州の制圧・盧溝橋事件・日中戦争・真珠湾攻撃、と続いていくが、ある時を持って日本人が変わってしまったということは正確ではないと思う。その当時もいろいろな議論を経て苦難の末にたどり着いた結論がそれらの戦いであり、その判断に誤りはいくつかあったとしても、それを「痴呆化した」というほどの表現で切ってしまうのは、片手落ちのように思う。
もう一つの文は、日露戦争を表現する上で非常に適格のように思う。本当に圧倒的国力のロシアに対し、よくも戦争を決断しよくも勝ったものだと、感嘆しかない。当時の当事者たちも本当にそう思いながら進めたと思うと、その無謀さとその勇気に脱帽としかいいようがない。
4.「戦術」という視点での日露戦争
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左は、第3巻で印象に残ったものを記述した。信長の下りは非常に対比的で面白い。日露戦争もこれと同じことか、と感じ入る。
また2つ目の文は、当時の政府要人の思慮の高さを表現したものとして印象的であった。
3つ目の文は、仕事をする上でいつも心掛けているものである。仕事をする際、一つのプロジェクトを実施するもそれがうまく動かない場合の理由の一つがこの文にこめられている気がする。
「指示は簡単であること」または「ルールは簡素であること」は、その指示の達成あるいはルールの順守を進める上で必須のことと思っている。戦争という極端な状態でなくとも、現在にも非常に有用な考え方だと思う。
5.日露戦争で見せた東郷平八郎の高い戦略
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最後に第5巻での記述をお見せしたい。1文目は、いかに日本の戦略及び練度が卓越していたかがよくわかる内容である。また2文目は日本が単なる軍事だけでなく、政治的にもしっかり熟慮に熟慮を重ねて戦争をしていたことがよくわかると思う。
日本が日清・日露戦争に勝ち、その後満州を制圧し、当時の支那(中国)に入り、また台湾・フィリピンなどにまで勢力を伸ばせたのは、単に「軍国主義」という言葉だけでは表現できない。日露戦争の時にもすでに、世界に先駆けた戦略を使い世界を驚かせている。その頃の海軍司令官の東郷平八郎は、単に列強に苦しめられていた国々から英雄視されただけでなく、列強からもこのような戦略をやってのけたこと、またその飾らない人格が高く評価されていたと聞く。もっと言えば、いまだに東郷平八郎元帥の評価は、むしろ海外で高いということのようである。
6.日露戦争以外でも見せている、世界を驚愕させている日本の高い戦略
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ここで日露戦争とは関係ないが、一つの事実を記述したい。1941年12月8日から3日間に日本海軍は世界の航空常識を覆したといわれる。1941年といえば真珠湾攻撃の年で、日本が世界を相手に戦うこととなっていった頃である。
原因は3つある。
1つは真珠湾攻撃、1つはそれから2日間のフィリピン沖米軍攻撃、そして最後はイギリスの誇る最新浮沈艦「プリンスオブウェールズ」をマレー沖で沈めたことである。
活躍したのは日本の誇る「零戦」で、当時の「戦艦を飛行機で落とすことはできない」という常識をことごとく覆してしまった。真珠湾攻撃では、民間の犠牲を全く出すことなく正確な攻撃であったと聞く。イギリスはこれにより海洋国家の大国から落ち、列強は日本という国の強さを認識せざるを得なかった。
「戦争に強い者が正義」という気はないが、日本が限られた資源の中、多数の犠牲を出しつつも、列強という植民地支配を続けていた大きな脅威に対し果敢に挑戦していった姿は、決して日露戦争で途絶えたというわけではない、という事実は日本人として知っておきたいと思う。
今書いていても、「坂の上の雲」をきっかけに自分の世界が広がったなと思う。読んだのが5年以上前なので再度読みたくなってきたが、なにせ長いため、なかなか手に取れない自分が情けない・・・。
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