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日本史の流れを4つの段階で理解!古代から現代までの伝統と歴史の変遷

日本史の全体像を理解する:4つの段階と続く伝統

 日本史を知れば知るほど、むしろ現在を正しく理解できることは、私の実感である。そして、日本史を知る上で重要なのは「流れ」あるいは「連続性」を知ることと思う。

 私なりにその「連続性」を考えつつ日本史を見ると、「4つの段階」に分けて見えてくる。日本史の見方の一つとして、是非、お付き合いを。

1.日本の歴史の概要:世界で最も長い歴史を知る

私は歴史・政治を見る上で、まず日本の歴史を見て、そこから世界の歴史と関連付けて勉強するようにしている。それが現代を知る上で、重要どころか必須であるということは、特に大人になって学べば学ぶほど強く思う
となると、その入り口である日本の歴史を見られないと、なかなか次へ進めない。
教科書だと、あまりに人名や年号の話に終始し興味を持てなかったが、日本史の「流れ」を意識して見ると年号も人の名前も入ってくると思う。

長い歴史を持つ日本史には、大きな「流れ」がある。「流れ」とは「連続性」と言い換えてもいい。日本は常に「連続性」を持って歴史をつむいできた
こうした、「流れ」に各時代を当てはめて見ていったら、日本という歴史が理解でき、それは引いては、現代日本人のルーツを知る事であり現在の我々を見つめ直すことにもなると思う。

あまり知られていないが、「最古の国」として日本がギネスブックに認定されている。ギネスに認定されたからすごい、などと言う気はないが、日本の歴史は世界史上類を見ず長く統一されて続いている。

年表を見ると、日本だけが「区切りがなく続いている」ことがわかる。

世界史年表
世界史年表

小学校・中学校・高校で習ういつもの年表を、「日本の歴史の長さ」で見た時に、如何いかに世界から見ても特殊な国か分かる。

その「世界最長の日本の歴史」を意識して、日本の歴史の「流れ」を見ていきたい。

2.日本史を理解するための4つの段階

日本史の流れをみる上で、私は「4つの段階」を意識している。その「4つの段階」とは、主に政治体制に着目して日本史を見た場合の「段階」である。「首都」あるいは「都」の変遷、ともいえる。

下記が「4つの段階」として私が区分する時代の分け方である。

日本史年表と4つの段階
日本史年表と4つの段階
日本史にみる「4つの段階」

段階①: 平安時代の貴族・公家の時代
奈良・京都が都として機能し、「平城京」「平安京」と長く政治体制が維持された(710年~1192年)。およそ400年もの間、この時代であった。
段階②: 鎌倉からの幕府時代
平安の世に台頭した武士が、政治を担い「幕府」を作り政治を行うという日本の機構の大改革がなされ、その後の日本の基礎を作った鎌倉幕府とその後の幕府時代(1192年~1600年頃)
京都から鎌倉へ政治機構が移ったこの時代は、日本史上とてつもない変化と言える。現在にも続く政治体制がここで確立された。
しかし、安定には程遠く、応仁の乱や戦国時代に見られるような、まだまだ混乱の時代だった。
段階③: 江戸時代
幕府体制が揺らぐ中で、再度盤石の幕府体制を確立し260年もの間維持した江戸時代(1603年~1868年)
260年もの間、平和を維持し続けた幕府と藩の体制は、日本を豊かにし日本人の文化・教育の発展に非常に大きく寄与した時代だった。
段階④: 明治時代以降
海外列強による侵略・そして世界の貨幣経済のうねりに日本も巻き込まれ、海外列強による侵略をどう防ぐか、または防ぎ切れていない明治維新以降から現在に至る日本

各「段階」について、詳しくは後述するがここでは簡単に「流れ」を解説したい。

まず、前段階として古事記・日本書紀に示されているような「神話」も含めた「古代の時代」があった。この時代こそ日本の基礎がつくられた時代とも思えるが、あえて「神話の時代」とし歴史の「前段階」として位置づける。

段階①:奈良・京都の平城・平安時代」は歴史の勉強としておなじみの、「なんと(710年)見事な平城京」、「なくよ(794年)ウグイス平安京」で覚えた奈良・京都の時代である。この時代は存在感は薄い人も多いと思う。しかし実に400年近くも続く長い時代だった。ここで、日本の文化も醸成され様々な日本の基礎が出来上がる

段階②:幕府の時代」は、日本の政治機構が一気に変わり、京都から鎌倉へ、公家から武士へと政治機構が移った。基本的にはこの体制は現在にも続くものであり、日本にとってとてつもない大きな変化であり、大きな改革だったといえる

15代将軍 系譜図2
15代将軍 系譜図2

段階③:江戸時代」は、正確には「段階②」の幕府の時代の一部だが、決定的に違うのは「安定」である。徳川15代による治世は、混乱もあったが戦争と言えるような争いもなく、よく日本をまとめ、また諸外国からの圧力も受けないようにして、平和な日本を作った。現在の日本の基礎をつくる上で最も重要な時代だったともいえる。

段階④:明治以降」は、それまでの歴史と全く異なる要素が入ってきた時代であり、まさに今の日本が直面している時代と言える。主にアングロサクソンを中心とした海外列強の「侵略」ともいえる経済・貿易・人などを通じて、自分たちの思うがままにしようとする勢力が入ってきた。「貨幣」というツールを作り出し「お金で世界を動かす体制」が世界中を席巻し、それに基づいて人々が戦争を起こす時代となってしまっている。現在では、戦争というより「経済侵略」という形で迫ってくる。日本としてどのように対処するか、また、必死で対処してきた時代が実は明治以降の共通した日本の置かれた状況なのである。

3.日本史の4つの段階とは

(1) 段階1: 平安時代(710年~1192年)

京都の平安京の時代を作ったのは、平安遷都せんとを行った第50代天皇の桓武かんむ天皇である(794年)。その後、いろいろあるにせよ400年近くも都は京都にあり、天皇を中心とした公家文化が続いた。それが、「段階①:平安時代」と区分した時代である。

「都」と天皇陛下
「都」と天皇陛下
最澄と空海
最澄と空海

その公家文化の基礎は、神道であったり仏教であったりする。各地に神社・お寺が建てられ、人々はそれを囲んで町を作り、祈り、生活していった。平安時代は公家による時代としても挙げられるが、平安仏教(最澄・空海の天台宗・真言宗)の全盛期であり、またその後半には鎌倉仏教が生まれる時代でもあった

そうした平安時代の基礎を作ったのは、その前の聖徳太子であったり、天武てんむ天皇(第40代天皇)の飛鳥時代である。そうした基礎があったからこそ、平安時代の長く成熟した時代を持つことができた。

平安の時代はとかく、「公家の時代」「京都の時代」と理解されがちではあるが、仏教という形で日本の基礎を築いた重要な時代だった。
最澄・空海による2大天才による天台宗・真言宗が生まれた時代であり、その後の鎌倉仏教も含めれば、今の日本の全国にあるお寺の大きな割合がこの時代に生まれた宗教に基づく。

「段階①:平安時代」は、まさに、日本の基礎が築かれていった時代として認識したい。

(2) 段階2: 鎌倉からの幕府時代(1192年~1603年)

富士浅間大社 源頼朝像
富士浅間大社 源頼朝像

長く続いた「段階②:平安時代」に大きな区切りが来て、次の段階になるのが「いいくに(1192年)作ろう鎌倉幕府」で覚える鎌倉幕府の成立である。
なお、現在の教科書では鎌倉幕府の成立をわざわざ1185年に変えているがこれはおかしい。創設者の源頼朝みなもとのよりともが征夷大将軍として就任し天皇に認められたことをもって「武家政権」の始まりなのだから、ここでは従来通り源頼朝みなもとのよりともが征夷大将軍に就任した1192年をもって鎌倉幕府の始まりとする。

源頼朝みなもとのよりともにより成立した鎌倉幕府は、それまでの日本の歴史上類を見ない大きな変化だった。それまで公家や貴族が京都で行っていた政治を、「幕府」という新しい機構を作りそこが政治を行うこととした。そしてその位置を、なんと京都ではなく「鎌倉」という別の場所に設置した

政治は京都から鎌倉へ
政治は京都から鎌倉へ

しかも天皇という「権威」はそのままにしていることが、この仕組みの大きな特徴と言える。
「権威(天皇)」と「権力(幕府:政府)」の分離、という日本が長く続く源泉となった仕組みが、明確に定義づけられた。

その後の江戸幕府、そしてその後の明治政府から現在の政府を考えても、基本的にはこの機構に基づいているといえる。

(3) 段階3: 江戸時代(1603年~1868年)

徳川家康 像
徳川家康 像

「段階②:幕府時代」は、幕府という機構はできたが、安定には程遠かった。創設者の源氏は早々に北条氏にとって代わられ、その後の室町時代も混乱が続き、応仁の乱・戦国の世を迎えることになる。

しかし、そうした混乱の間も、なんとかして「権威(天皇)」と「権力(幕府:政府)」という機構は維持され続けた。そして、その集大成ともいえるのが「段階③江戸幕府」と言っていい。私が「段階③:江戸時代」と定義づけた時代は、まさに平和を維持し続け、それまでの日本の歴史がつむいできた機構がよく機能した時代と思う。

江戸時代と言えば15人の徳川将軍の時代である。その初代である徳川家康は、深く源頼朝みなもとのよりともを尊敬していたという。ここにも、日本の歴史の連続性が見られる。
また、徳川幕府の全盛時代にあっても、天皇という権威を崩すことなく統治した。力関係こそ幕府の方が上であったが、「権威」としての天皇を尊重しながら幕府は政治を行っていったのである。

(4) 段階4: 明治以降の近代(1868年~現代)

そしてその次の「段階④:明治以降の時代」が、現在にも続く時代と言える。前段階までの日本とあまりに決定的に違うものが入ってきて、それと日本の歴史との融合を図りつつも、そうした勢力に抵抗し、日本をいかに守るか(保守)、あるいは日本としてどのようにふるまっていくのか、もがき苦しんでいる時代と言える。

何が入ってきたかと言えば、外国勢力である。物理的な「侵略」こそなんとか免れているが、「貨幣」あるいは「資本主義」といった言葉で表現できる「金による支配」が横行し、日本はそれに対して「伝統」を守りつつ体制を作ろうとしている時期と言える。今にも続く時代である。
日本だけでなく世界的に、一部の巨大資本により世界が動かされている時代である。日本は長い伝統のために、特にそれに対して抵抗し、そして取り入れてもきた。

明治の出来事
明治の出来事

明治維新はとかく、日本が「開国をするための改革」とみられるが、すべては海外列強の侵略に対する防御策であった。その後の日清戦争・日露戦争そして大東亜戦争(第二次世界大戦)を見ても、日本のスタンスは一貫している。海外列強の乱暴で身勝手な軍事的・経済的侵略に対して、日本はどうすべきか、悩みそして抵抗し、また受け入れてきた

現在にもその脅威は突きつけられ答えが出ていない。苦難の時代と言えるかも知れない。

4.日本の伝統が維持された要素

(1) 古代からの「日の本」と「日の丸」

こうした「4つの段階」でみても、日本は変わることなく日本であり続けた。日本人として当たり前のように思うこの事実は、世界で見たら驚きの事ばかりである。
世界は、国名すらよく変わる。そして「統治の機構」も大きく変わっている。しかし、日本は「日本」であり続け、「日の丸」は日の丸として存在していた

日の丸
初代 神武天皇
初代 神武天皇

日本という言葉は、古事記や日本書紀でも出てこない。しかし、「日」を常に中心に考える考え方は至る所で表現されている。

古代の古墳時代から「日の本」というのは意識されていた。飛鳥時代に変遷された古事記でも、初代天皇の神武天皇が、奈良の生駒山で負けた後にこう言ってその進路を変えている。

「私は日の神の子孫として日に向かって(東に向かって)戦うのはよくない、日を背にして(西に向かって)戦おう」

こう言って熊野に迂回して近畿地方の征服を成し遂げた。このように日をあがめる考えは日本では定着していた。
また、701年頃には文武天皇(第42代天皇)が「日の丸」の原型である「日像」の旗を揚げていたことは知られている。
また、平家物語で語られる「屋島の戦い」(元歴2年:1185年)で、弓の名手那須与一(なすのよいち)が、遠く離れた「日の丸の扇子」を見事居抜き、敵・味方から喝采された、というエピソードがある。

また、室町から戦国にかけて行われた勘合貿易の船に「日の丸」が描かれている。まだ「国」という意識がない当時でも「日の丸」が使われていたということは興味深い。

勘合貿易船
勘合貿易船

このようにして、「日本」は古代から「日本(日の本)」であり続け、それを象徴する「日の丸」が変わることはない。日本の長い歴史の連続性を物語る。

(2) 天皇の権威とその持続

第126代 今上陛下
第126代 今上陛下

日本が「日本」として維持した大きなまとめ役が、「権威」たる「天皇」である

「天皇制」という言葉は、共産党が天皇批判のために作った言葉と言われる。私はこの言葉を使うのは不適切と思っている。日本の歴史を見れば「天皇」というのは「制度」ではないといえる。「制度」であれば、歴史は為政者が変われば簡単にその「制度」を変えていく。

しかし、日本ではどんな戦乱の世でも「天皇」という権威は維持され続けた。明治維新の時には、それにすがるしかなかったためその後歪んでいったが、なんにせよ「天皇」という権威は今も純然と日本にあり続け、日本はそれを守り続けている

表現は難しいが、「天皇」とは日本として当然にある「存在」であり、そしてまさに日本としての「象徴」であると思う。「象徴天皇」とは、私が批判的な日本国憲法の言い方だが、ここに関してはそれほど間違っていないように思う。
現在の今上陛下(きんじょうへいか)は、第126代である。

天皇系譜 126代
天皇系譜 126代(宮内庁HPより)

126代もの系譜けいふを持つ天皇を守り続けた日本という歴史は、日本人が誇るべき非常に重要な「事実」である。これに対して、軍国主義だとか、神話の世界だ、とかいう批判がある。126代の中には、歴史の証明ができていないと言われる人もいる。初代神武じんむから疑い、全部を否定する人もいる。
しかし、今の科学で何がわかるのか、ということと、多少の間違いが入っていたとしても、これを守り続けてきたという日本の歴史の事実は変えようがない

日本にとって、日本人にとって「天皇」とはまさに日本を「象徴」する存在、と思う日本史を「4つの段階」で見ても、どの時代にも「天皇」という権威が守られてきた。記録にあるだけで2000年もの間であるこの天皇の存在そしてそれを守ってきた日本の歴史自体が、日本という国が連続性をもって存在していることの、まさに「象徴」と言えると思う。

(3) 変わらない日本語の維持

持統天皇の百人一首
持統天皇の百人一首

これも当たり前のように思われるが、「日本語」は常に変わらずに存在している。もちろん、変化はあるが、現在に生きる我々でも、1000年近く前に変遷されている百人一首の意味が理解できるのは、日本語が少なくともその頃から変化せず維持されていることの証拠と言える

世界の歴史を見ても、同じ言語がこれだけの規模の国で、この長さで維持されているのは類を見ない。

日本語は、「大和やまと言葉」ともいわれる源泉があり、「あ、い、う、え、お」の母音の構成からずっと続いていたといわれる。
言語が維持されるというのは、当たり前のように見えて、それこそが歴史の継続を示す。先人達とのつながりは、縦の軸でつながっている日本語によって、日本は自然にできているのである

5.4つの段階と続く伝統から学ぶ日本史の流れ

日本史の見方として「4つの段階」と「続く伝統」としてまとめたが、もう一つ触れておきたいのが、その更に前の時代に「日本のルーツ」がある、ということである。

それは「日本史」を飛び越えて縄文時代にあることが、近年わかってきている。また、古事記・日本書紀など文献が出始めた頃の記述や神社や地名を見ると、縄文時代にすでに日本の文化は醸成されていた、と言われる。

次の年表は縄文時代も取り入れて作った。そして、「年」の縮尺を正確にして作成してある。すると、現代知る我々の歴史の遙か前に「縄文時代」があり、そしてその長さを感じると思う。

縄文時代と日本の歴史
縄文時代と日本の歴史

そして更に、縄文時代はその長さだけでなく、遺跡には現在の人も驚くような物があったことが、昭和になって発見されている「事実」である。実は、その頃から既に「日本の文化」は作られていっているのである。

縄文時代の日本のルーツについては別の回で触れたい。ここでは、日本のルーツは更に深い、「縄文時代」にも歴史を持っていることを触れておきたい。

6.日本史を「4つの段階と続く伝統」で流れを知り、先人に学ぼう!

「日本史」というと、その「流れ」というより時代時代で区切って見てしまうと思う。
しかし、日本史は「連続性」が重要であり、それこそが世界に冠たる日本史である。歴史教科書のように、それぞれの時代を「区別」しては日本史を正しく見られない。

それをあえて「4つの段階」に分けているのは、その「4つ」がすべて「連続性」を持っていることが見えてくるからである。その段階の前の段階をしっかり受け継ぎながら、日本という国が出来ている。
そして、それにプラスして日本は「続く伝統」を持っている。それは「4つの段階」を通じて常に維持されている。この日本史の、そして日本の持つ伝統と先人達の蓄積が今の日本である

日本のこの何千年も続く歴史のいしずえの上に、我々がいる。それを意識することは日本人の誇りとして勇気になる。誇りある先人と共に、現在の日本人として、先人に恥じないよう、まっすぐに生きて生きたいと思う。

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