- 2019-11-11
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大嘗祭と、その元である新嘗祭の由来と歴史を見る
令和元年11月11日現在の今、もうすぐに行われるのが新天皇陛下による「大嘗祭(だいじょうさい)」である。11月14日から15日にかけて行われる。天皇陛下の「一代一度」の行事として、即位の礼と合わせて最重要儀式の一つである。この「大嘗祭」とその元となる「新嘗祭」は天皇としての努め、という位置づけより、国民として天皇陛下と同じように祖先や神々に感謝すべき重要な日と思う。歴史を含めてまとめてみた。是非ご覧を。
1.大嘗祭とは
現在、令和元年11月11日である。令和の世となり初めての11月を迎えることとなった。そして令和の世になって天皇陛下として即位された>徳仁陛下が初めて迎える11月に行われるのが、大嘗祭(だいじょうさい)である。
令和元年の大嘗祭は11月14日から始まり翌日15日の朝にかけて行われる。長く重要な行事である。毎年行われる「新嘗祭(にいなめさい)」のうち、新しく天皇陛下として即位された年にのみに行われるものを言う。
天皇陛下がご即位の後の最初の秋に、新穀(新米)を神々に供えて自身もそれを食する。その意義は、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣(ごごくほうじょう)を天照大神と天神地祇とよばれる神々に感謝し祈念することにある。天皇陛下が「神々に対座する神聖な儀式」となる。
当日は10時から儀式が始まる。詳細は割愛するが、次第はかなり大がかりに古式に則って長時間にわたり行われる。5,000人もの準備をする行列が「大嘗宮」へ向かい準備が始まる。その後に天皇陛下が入られ、服をきたままでの沐浴(もくよく)をされたり(廻立殿の儀)、皇族の方々また、演奏の奏者なども入り式が行われ、天皇陛下が神々に神饌(しんせん)を捧げる「神饌行立」が行われる。
そしてその日は、天皇陛下はそのまま儀式の場(大嘗宮)にて寝ることとなる。天皇陛下が神々と一夜を共にするという神聖な時間を持つという儀式である。
この儀式のために種々の準備の儀式が行われてきた。例えば、この日にお供えするお米を収穫するのが「斉田抜穂の儀(さいでんぬきほのぎ)」で、古式に則った占いにより撰ばれた栃木県で9月に行われている。
「大嘗祭」は「だいじょうさい」と読むのが一般的だが、別の読み方で呼ぶ人もある。「おおなめまつり」、あるいは「おほにへまつり」といったりする場合もある。あくまで公式には「だいじょうさい」であるが、特に昔においては「おおなめまつり」などと呼ばれたりもしていた。しかし、現在は「だいじょうさい」という名前が公式とされている。
新しく天皇陛下が即位された年にのみ行われるのが大嘗祭である。しかしその内容は宮中祭祀のため細かには報道されない。一方で、その重要性は非常に高い。天皇陛下の宮中祭祀で最も重要と言われる「新嘗祭」は毎年行われるが、その中でも、天皇陛下が即位された年にのみ行われるのが「大嘗祭」で、格式は別格のものである。
天皇陛下の即位において「即位礼正殿の儀」が終わると、大嘗祭が行われる。どちらも「一代一度」の儀式で、両者を合わせて「御大礼(ごたいれい)」または「御大典(ごたいてん)」と言われる。すなわち「即位礼」とこの「大嘗祭」を経て初めて天皇陛下が天皇陛下としての役割を継承したということが確定する儀式なのである。
2.大嘗祭のためだけに作られる大嘗宮
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この儀式が行われるのが「大嘗宮(だいじょうきゅう)」である。この日のためだけに作られ、のちに壊される。
この大嘗宮はかなり広い。
その最も重要な設備が、そのお米をお納めする場所である。それは東と西とに分けられそれぞれ「悠紀殿(ゆきでん)」「主基殿(すきでん)」である。この二つの施設では全く同じ儀式が行われる。お米をとることを「斎田(さいでん)」というが、それを二つに分けて「悠紀(ゆき)」と「主基(すき)」とで行う。悠紀は東から、主基は西から選ばれるのを原則として、古式に則って選ばれる。今回は、東は栃木、西は京都が選ばれている。
大嘗宮は、この「悠紀殿(ゆきでん)」「主基殿(すきでん)」を中心に作られるが、この儀式の身に使われ、のちに取り壊される。まさに一世一代の設備である。
ここでは深くは触れないが、この大嘗宮の建設に際してあろうことか「もったいない」という議論で、勝手に先祖伝来の方式を変えてしまった。本来は「茅葺屋根」のはずが、なんと「板張り屋根」になっている。
神々が設備にこだわるとは思えないが、何千年にもわたり伝統的に行われてきた行事をなんの根拠もなく、単に「経済的に」という理由だけで変えてしまったことは、触れないわけにはいかない。この暴挙は許しがたい。
3.新嘗祭とその歴史
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そもそも大嘗祭の前提となる「新嘗祭(にいなめさい)」とは何か、見ていきたい。
新嘗祭は大嘗祭より伝統が古い。古くは、古事記の天照大神から行われたといわれ、神話の世界にも出てくるものである。つまり、いつ始まったのかはわからないほど古い、と言ってよい。2000年以上は続く、日本が誇る伝統の儀式である。
新嘗祭も11月に行われ、明治から「11月23日」に行われることとなった。
なお、11月23日というと現在では「勤労感謝の日」となっている。これには天皇陛下の行事を軽んじるためにあえて祝日の名前を変えたGHQの占領政策がある。GHQにより名前を変えられた休日の一つである。本来は「新嘗祭」のはずが現在は「勤労感謝の日」という意味の分からない日となっている。しかし、本来は11月23日は「新嘗祭」であり2000年以上続く、日本の大事な儀礼の日である。
新嘗祭の始まったのは天照大神からという神話の頃からといわれるほど古い。いつ始まったのことかはわからない程である。そして、それを国家的行事にまで高めた人は第40代の天皇の天武天皇といわれる。天武天皇は西暦でいえば673年から686年まで即位した人で、「壬申の乱(672年)」により兄である天智天皇と争って政権を握った人である。アジア大陸との朝貢関係をやめ、日本を一つに国として独立したものにしようとした、まさに「第二の建国」を成した人である。「日本」と名付けられたのもこの頃といわれる。
新嘗祭も、天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に供え、また、自らもこれを食べ、その年の収穫に感謝し、国と国民の反映を願うものである。
更に、新嘗祭は天皇陛下でなくとも全国で小規模含めて行われる。まさに、一年を通じた非常に重要な儀式として長年親しまれ、今日も生き続けている伝統儀礼である。
現在の徳仁陛下に至る126代の天皇陛下が連綿と続けてこられ、国家・国民の安寧と平和を祈るのが、新嘗祭なのである。
4.新嘗祭は「嘗(な)める」祭り?
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ここで、新嘗祭で言われる説をご紹介したい。
「新嘗祭」といわれるように、その意味として「嘗(な)める」がある。文字通り読めば、物理的に「嘗める」ことを言うかと思うが、これを神様に「奉(たてまつ)る」という解釈をする。
しかし一方で、これを「嘗める」とそのままとるべきとする説もある。「新しい米を『嘗める』」ことで、作物に感謝するとともにそれを生んだ土や水、そして人々に感謝するという祭りの趣旨にも全くそれていない。そしてそれを、「神社の神主のトップ」である天皇陛下が行うことで、国としての統一を図るのである。と考えれば、まさに、大嘗祭は「おおなめまつり」という説もうなづける。
説はいろいろあろうが、こうした名前の由来を見ても新嘗祭や大嘗祭の意味が見えてくる。
新嘗祭・大嘗祭、また別に神嘗祭(かんなめさい)と「嘗める」という字のある宮中祭祀がある。土に根差した日本の伝統にふさわしく、現在の日本人にも共通した認識として受け入れられる儀式といえると思う。
5.大嘗祭のあとの11月23日は?
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では大嘗祭をし終わったのちの新嘗祭の日、すなわち令和元年の11月23日はどうするのか。それは、天皇陛下のご即位が決まった時に行事として、伊勢神宮に天皇皇后両陛下が参拝される、ということで決まっている。
天照大神をお祀りする「伊勢神宮」に大嘗祭後に参拝することで、さらに新しい天皇陛下としての神々への報告がなされることとなる。
6.大嘗祭と新嘗祭の歴史を見て
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即位礼にしても大嘗祭にしても、ニュースなどでその表面だけを切り取ってみても単なる「セレモニー」にしか見えない。
しかし、本来は日本の歴史に根差した大事な「儀式」であることがわかる。天皇陛下が2000年にも渡る歴史を経て、連綿と続けてきた大事な「神事」である。
それは、決して「天皇の繁栄」を祈るものではなく、「国民・国家の繁栄」を祈るものとして行われるものである。それはこの皇室行事に限ったものではない。
また、新嘗祭・大嘗祭は皇室行事だけのものでもない。国民全体が、その年の豊作に感謝するとともに翌年のそして未来の国と国民の幸せを願うものなのである。
それを新しい天皇陛下がはじめて行う「大嘗祭」を、大切に、そして厳かにお祝いしたい。
コメント
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こうした節目で、「母国を想う」ことは大事ですね。
即位礼正殿の儀の10/22に虎ノ門ニュースで、百田さんと有本さんが同じ話をしていたことを思い出しました。
https://www.youtube.com/watch?v=utWPPOsCT2E
歴史の重みを知った上で、天皇陛下の存在を考えたいですね。
126代続いている伝統を、壊そうとする人間を理解できません・・・。
しっかり守っていきたいですな。