京都のお寺を「宗派」や「歴史」から分類してみると、違って見えてくる!
武漢コロナ騒ぎも、ようやく落ち着いてきた。今の時期(2021年10月)だけの「一息」なのかも知れないが、こんな時こそ日本人が日本を巡ると、よい出会いや気づきがあると思う。そこで、京都の「お寺」に絞って、その「うんちく」をまとめてみた。是非、参考にしてもらって、久しぶりに秋の京都に出かけてみよう!
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1.日本のお寺(仏教)は「6ー2-6」で見るとわかりやすい!
日本には、日本の歴史を物語る神社・お寺が数多くある。その中でも、歴史でもなじみのあるお寺や神社が多いのが、古都の一つ平安京の京都である。ただ、京都の神社・お寺を巡ると言っても、その「予備知識」を知っていないと、どうしても同じような物に見えてしまう。それでも楽しさはあるが、知識を持ってから見に行くと又見方も変わると思うし、感慨も大きい。
では「お寺」に絞って、どのように知識を持てば良いか。私流に思うに「宗派」を知るとお寺を「色分け」できる。ただし、「宗派」と言っても仏教の宗派はあまりに多い。それを一つ一つ覚えるのではない。日本全国どのお寺もだが、「6-2ー6」のどれに分類されるか、それを見るだけでも時代背景やその流れが見えてくる。
【6】南都六宗:飛鳥・奈良時代の仏教伝来時の仏教
【2】平安二宗:平安時代に隆盛を極め後の日本に大きく影響を与えた、最澄・空海の二人の天才が改組した、天台宗・真言宗
【6】鎌倉仏教:平安末期から鎌倉時代に大きく花開いた6つの宗派。現在の日本で圧倒的に信者の多い仏教
特に京都に多いのは、このうち「平安二宗」と「鎌倉仏教」のお寺である。
最澄の「天台宗」(てんだいしゅう)
空海の「真言宗」(しんごんしゅう)
法然の「浄土宗」(じょうどしゅう)
親鸞の「浄土真宗」(じょうどしんしゅう)
日蓮の「日蓮宗(法華経)」(にちれんしゅう)
一遍の「時宗」(じしゅう)
栄西の「臨済宗」(りんざいしゅう)
道元の「曹洞宗」(そうとうしゅう)
2.京都のお寺を「宗派別」に見ると!?
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では先ほどの分類に従って、京都のお寺を色分けしてみた。無数にあるお寺から、私の趣味で有名どころをピックアップした物なので、足りない分はご容赦を。
このように見ると、特に「天台宗」「真言宗」「臨済宗」が目立つ。
天台宗・真言宗は、平安が産んだ「2人の天才」と言っていい、最澄・空海の宗派のお寺である。最澄・空海は、平安時代にその全盛を極めたのだから、多いのは理解できる。
「臨済宗」は鎌倉仏教なのに、実は京都にお寺が相当多い。そこには明確な理由がある。臨済宗の拠点は「京都五山(ござん)」と「鎌倉五山(ござん)」と言われる二本柱だからである。もともと、当時の最強だった「天台宗」に異を唱えて禅宗を広めようとした臨済宗の開祖「栄西」は弾圧を受けていた。そこで、京都での布教ではなく、当時の「鎌倉幕府」の鎌倉での布教を強めたのである。
それが当時の北条政子や次の源頼家に受け入れられ、「臨済宗」は鎌倉で大いに広まった後に、京都にもお寺が作られるようになったのである。「臨済宗」は鎌倉幕府と共に大いに広がっていった。それが、京都にこれだけのお寺がある理由と言える。
3.押さえたいお寺はここだ! ① 各宗派の「総本山」「大本山」は行こう!
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お寺の「宗派」を見た上で、どこのお寺に行くべきか?独断と偏見でまとめてみたい。
京都の各宗派のお寺は「総本山」あるいは「大本山」と言われる「宗派の本拠地」が多い。そこは是非訪れたい。「総本山」「大本山」を見る事で「開祖」の時代や気持ちに触れられるように思う。
臨済宗(栄西):南禅寺(大本山)
真言宗(空海):東寺
天台宗(最澄):(比叡山)延暦寺
浄土真宗(親鸞):東本願寺・西本願寺
浄土宗(法然):知恩院
流石に長い間「古都」として君臨した平安京の京都らしく、名だたる仏教の各宗派の「総本山」「大本山」が京都に集まっている。
なお、特に多い臨済宗は、「総本山」を持たず臨済宗の各宗派が「大本山」を持つ。鎌倉にも京都にも「五山(ござん)」という5つの大きい宗派を持つ。臨済宗の京都五山のトップは天龍寺で、鎌倉五山・京都五山の格上とされるのが「南禅寺」という位置づけになっている。「禅寺」の最高峰とも言われる。
4.押さえたいお寺はここだ! ② 意外な歴史を持つお寺は?
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次には、歴史と共にお寺を見てみたい。お寺と言えども仏教だけが歴史ではなく、それぞれの「逸話」を聞くと面白い。
【 京都大原 寂光院 】
京都大原 寂光院 は京都の遙か北に位置するが、なんとその創建に関して聖徳太子の名前が出てくる。平安京の歴史よりずいぶん古い。
寂光院は推古天皇二年(595年)聖徳太子が父 用明天皇の菩提のために建立したのが始まりとされるが、創建に関して確たる史実はまだわかっていない。聖徳太子の御乳人である玉照姫、藤原信西の娘で崇徳天皇の寵愛を受けた阿波内侍など、代々高貴な姫君によって歴史が紡がれてきたと伝わる。
特に平清盛の娘 建礼門院徳子が平家滅亡後に一族と自身の子である安徳天皇の菩提を弔い終生を過ごした地として有名で、境内には御庵室跡に石碑が建てられている。
【 毘沙門堂 】
京都市ではないが山科市に位置する毘沙門堂も、歴史は平安京よりも古い。更に言えば、奈良時代よりも前の飛鳥時代に創建されたと言われる。寺伝によれば、毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703年)に行基が開いたという。
行基は668年、和泉国大鳥郡(現在の大阪府堺市)で生まれた。奈良時代より前の飛鳥の時代の人である。 15歳で出家したのち、仏道修行を経て、民間布教や社会事業に尽力し、 後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺の大仏造立に奔走、ついには、日本最初の大僧正の位を授けらた人である。平安のはるか前の飛鳥の時代の人が、京都のこの地にお寺を建てていることは、歴史を見ても非常に興味深い。京都と奈良の関係もうかがえる。
【 仁和寺 】
仁和寺は京都の北西に位置するお寺である。仁和寺は第58代の天皇陛下、光孝天皇により建立が宣言されたがその後に崩御されてしまったため、それを第59代の宇多天皇が引き継ぎ、建立された(仁和4年:888年)。
宇多天皇は、学問の神様と言われる菅原道真を信頼し重用した人である。また、菅原道真も宇多天皇を深く信頼し、両者により数々の政治改革を行った。遣唐使を廃止し、日本文化の隆盛を促したのもまさに宇多天皇の時代であった。
その宇多天皇が、自分が上皇に退いた後に出家し、899年に仁和寺の第一世「宇田法皇」となった。法皇とは「出家された天皇(=僧侶になった天皇)」のことで、仁和寺は創建から、明治維新に至るまで、皇子皇孫が代々、住職を務めた門跡寺院と言われている。
5.京都のお寺に行って、日本を楽しもう!
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京都のお寺、ということでなんとなく巡るのも楽しい。しかし「宗派」や歴史を知ることで、また違って見えて違った景色が見えてくる。
「お寺だから仏教」と楽しむのもいいが、「日本の歴史が詰まった宝庫」として歴史に触れて見ることもできる。そして京都はそうしたお寺が非常に多い。
武漢コロナの昨今だが、そんな京都のお寺を楽しみながら、日本を楽しみたい!
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