北の霊場「恐山 菩提寺」の魅力 ~神秘的な境内と温泉~
「恐山」というと、名前は知っていてもあまりイメージがない人が多いと思う。ご多分に漏れず私もそのうちの一人だった。しかし、行ってみて「すごい体感をした」としみじみ思っている。そんな恐山の魅力を改めてまとめてみた。是非、ご一読を。
1.「日本三大霊場」の一つ、恐山 菩提寺
恐山と言っても、名前は聞くが場所も歴史もあまり知らない、という人が多いと思う。東北の人たちにはなじみが深いだろうが、そうでないとなかなか知ることがない。しかし、その歴史や温泉などを見ると「行きたくなる」と思うし、実際に行ってみて、「是非、体感してほしい場所」と思った。
恐山は、本州の最も北に位置する半島である「下北半島」にある。青森市よりさらに北に行った場所で、近くの「むつ市」から山道を超えると、そこに行ける。
「日本三大霊場(れいじょう)」という言われ方がある。霊場(れいじょう)とは、「神仏の霊験あらたかな場所の意で、神社・仏閣などの宗教施設やゆかりの地など、神聖視される場所(Wikipediaより)」と説明される。
日本には数々の「霊場」があるが、その中でも「日本三大霊場」と言われるのが、下記の三つである。
・恐山 :菩提寺(青森県)
・比叡山:延暦寺(滋賀県、京都府)
・高野山:金剛峯寺(和歌山県)
どれもお寺があるが、むしろ、霊が集まる場としての「霊場」が先にあってそこにお寺が建てられた、と考える方が自然に思う。
その中で、特に「霊が集まる場」としての霊場を強く感じさせる、恐山の菩提寺を深く見ていきたい。
恐山の菩提寺は、本州の最北の半島である下北半島に位置する。青森市より更に北に行かないと行けないし、なかなか行くには苦労する。しかし、「霊場」としての恐山は、広く東北地方では「恐山信仰」として根強く信じられ、今は観光も含めて多くの人が参拝する。
是非、東北のみならず日本人として、「死者の霊が集まる」と言われる恐山に訪れると、感じられる物が多いと思う。
2022年現在で、恐山の菩提寺の院代(住職代理)は南直哉(みなみ じきさい)氏である。南直哉氏は長野県の出身で、サラリーマンとして百貨店で働いて後に、福井県の禅寺永平寺(曹洞宗)で20年修行されて、その後に恐山に入った、という異色の経歴を持つ人である。
数々の著書もあり、ブログも発信しているという、非常に積極的な活動をされている。私が手に取った本の印象では、著書は読みやすく、堅苦しくないので、親しみやすいと思う。
2.「死者の霊が集まる」恐山 菩提寺と境内
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恐山の菩提寺は、境内を含めてぐるっと回ると3kmほどあるらしく、それなりに時間がかかる。そこで見られるもの、体感できるものは、まさに「霊場」と言われるにふさわしい物に思う。
恐山は、862年に円仁(えんにん)によって創建されたと言われる。円仁は平安仏教の祖の一人「最澄」の弟子であり、当時は天台宗であった。しかし、お寺はその後の衰退を経て現在は曹洞宗の寺となっている。
しかし、曹洞宗は基本的には「霊魂」の存在を認めていない。それでも、その曹洞宗のお寺である恐山菩提寺が「死者の霊が集まる」と言われて1200年もの間、親しまれていることは興味深い。
恐山は、「恐山」という山があるわけではない。「恐山山地」としてこのあたりの山々を総称して言う。このあたりは活火山の地域で、境内でも噴気や温泉の湧出がありボコボコと音を立てている。硫黄の匂いは境内全体を覆っている。その硫黄ガスは境内の建物を腐食させていくほどである。
「地獄巡り」とも言われるらしいが、境内には、硫黄が立ち込め火山岩が堆積しているところを歩くコースがある。一時間弱で歩けるコースでは、ボコボコと硫黄泉が噴出していて、匂いもきつい。しかし、「なぜこの地に円仁は寺を建てたのか、そして1000年以上も親しまれているのか」、と思うと、歴史の重みとこの地の「力」のようなものを感じられる気がした。
そしてすぐ近くにあり散策のコースでもある「宇曽利湖(うそりこ)」は、火山で出来た「カルデラ湖」で、湖は酸性が強すぎて、ごく限られた生物しか生きられない。澄み切ったその湖は、見た目とは別に非常に過酷な世界で、それが恐山のシンボルとして存在し、「霊場」の雰囲気を出している。
1200年前に円仁は、こうした光景を見て、そして修行した唐の知識から、この地こそ霊的なものが集まる霊魂の地、として寺を創建したという。
2022年の現在でも、それが感じられるほどの、ある種「異様な」雰囲気を感じられる空間だった。
3.境内に「自然に」存在する温泉
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これほどの活火山の中にある恐山の魅力の一つが、「温泉」である。
とは言っても、本当に「温泉」で設備も何もない。ただお湯があり、湯船がある、という「温泉」である。しかもそれが、お寺の境内にある。いわゆる「温泉施設」といった温泉ではない。
この温泉も酸性が強く、長く入ることは推奨されていない。しかし、その雰囲気たるや、まさに「温泉」だった。曹洞宗では「入浴」も「修行」であるというのを見たことがある。「身を清める」という意味で、修行と同等に重要視している。私は仏教にそこまで詳しくはないが、ここのお風呂に入るとその意味が分かる気がする。
まさに、自然の力で地から出た「温泉」に「つからせてもらう」という気分で入った。「身を清める」という気持ちになれる。
境内にあるお風呂は全部で4カ所(宿坊も含めれば5カ所)ある。その中には「混浴」もある。あまりに自然に「混浴」があることは驚きだった。
どれも飾り気のない建物で、というより、ほとんどボロボロだが、それが歴史を感じさせ、雰囲気を更に引き立てている。建物の中は本当に「湯船」しかない温泉である。
どのお風呂も質素で飾り気がない。しかし、趣と歴史と、なにか重みを感じられる非常に良い温泉だった。
本当にお勧めの「温泉」である!
4.境内にある宿坊「吉祥閣」
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話は変わって、境内にある「宿坊(しゅくぼう)」について記述したい。「宿坊」は定義的には本来は「仏教寺院や神社などで僧侶や氏子、講、参拝者のために作られた宿泊施設」であるが、現在は観光用にも使われ、その敷居はずいぶん低くなっている。
恐山の菩提寺には「吉祥閣」という宿坊がある。宿坊初体験の私は、事前の予測として「厳しいのかな」「きれいではないだろうな」と思っていたが、その予測はことごとく裏切られた。
建物・設備はきれいで、部屋は高級旅館と遜色ないほどに整備されている。夜食・朝食は当然「精進料理」であるが、予想を上回る質と量だった。
また、朝には法要があり、宿泊者は6時半に集合し法要の場に行く。その時のピリッとした空気も良かった。また、宿坊全体の静かな雰囲気は、一般のホテルや旅館で味合う物とまた違って、本当に良かった。
恐山の宿坊で特に良かったと思ったのは、「拝観時間を終えた後の菩提寺を散策できる」ことだった。夜、朝、の独特の雰囲気の中で見るお寺は、また違った景色のように見えるし、より「恐山」の空気を感じられるものだった。
また、この宿坊のお風呂も非常に良かった。境内の温泉とお湯は同じだが、ここは流石に設備がしっかりしていた。ありがたいお湯にゆっくりつかり、非常に良いお風呂だった。
恐山に行くなら、是非、宿坊で一泊して、恐山菩提寺を体感することをお勧めしたい。
5.恐山を体感しよう!
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「日本三大霊場」の一つと言われる恐山菩提寺を見てきた。本州の最北端とも言えるその場所は、行くには大変だが、「行ってみて絶対に損はない」、と言いたい。「霊場」としての歴史の重みを感じつつ訪れて、そして格別の温泉に入り、厳かな宿坊に泊まることは、日本人として最高の体験になると思う。
行ってみて、しみじみ思い返すと、本当に何か「すごい体感をした」という想いを持つ。観光としても温泉としても最高の場所だが、それとは別に、普段「霊」を意識しない私が、何か「感覚的」に感じる事ができる不思議な場所だった。
歴史もそのままに残り、まったく飾り気のない恐山菩提寺は、一度は体感することをお勧めしたい。そして、私は、機会があれば再度訪れたいと思う。
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