日本が世界を驚愕させた3日間 ~日本海軍と零戦の真実~

日本が世界を驚愕させた3日間から、戦後の歴史では語られない、日本海軍と零戦と当時の世界情勢を見る。

近代史の一つとして、昭和16年(1941年)の3つの出来事を取り上げたい。日本の近代史として、世界を驚愕させた3日間である。大東亜戦争について勉強していくと、あまりに正しい情報を得ていない事に気づく。しかし、事実を見ないと、当時の日本と日本人、さらには今の日本の認識を大きく誤らせる。決して「戦争賛美」ではない。「日本の真実」の一端を記述した。是非ご覧いただきたい。

1.昭和16年(1941年)に至るまでの世界情勢

今回取り上げる「3日間」とは、昭和16年(1941年)の12月8日、9日、10日のことである。まず、この頃の世界情勢について記述したい。

年表を見てほしい。明治維新の終わりを告げると言っていい「大日本帝国憲法」の発布から、昭和までを簡単にまとめた。いわゆる日本の「近代史」である。

日本近代史

日本近代史

明治・大正の頃、すなわち、19世紀の終わりから20世紀の始まりまでをみると、ほぼ10年毎に大きな事が起こっている。

① 明治27年(1894年)に日清戦争
② 明治37年(1904年)に日露戦争
③ 明治天皇が崩御された後の大正3年(1914年)に第一次世界大戦が勃発、その後4年間続いた。
④ 大正12年(1913年)に関東大震災

と、ほぼ10年毎と覚えると理解しやすい。日本史としてもそして世界史としても、時代は一気に動いていた。もはや列強による植民地支配は苛烈を極め、また、産業革命を経た後で工業能力は飛躍的に伸びており、残念なことに、それはすなわち人間の虐殺のレベルが数段上がった事を意味しいていた。欧米列強同士での殺戮も悲惨を極めていたのである。
そんな中で、世界が大きく動いたのは③の「第一次世界大戦」であった。これにより、ドイツは「帝国」が倒れ「共和国」となり、ロシア帝国は「ロシア革命」により、「ソビエト連邦」と形を変える。それが及ぼしたアジアへの影響は、この「ロシア革命」による共産主義の国際化である。当時、産業革命により工業能力が飛躍的に上がったが、従来の生活は大きく崩され集中生産制になっていった。更に貧富の差もどんどん出るようになると、人々の不満は政府や「資本主義」といった漠然とした物を対象としてたまっていった。
そうした不満を吸収しながら大きくなったのが「共産主義」の思想である。「コミンテルン(Comintern)」というと戦後の歴史から完全に抹消された言葉だが、「共産主義インターナショナル」の組織のことをいう。共産主義を世界に広める、という名目の国家混乱の組織であったり思想を指すが、この影響がその後の世界に与えたものは絶大であったし、今もなお生き続けているのである。名目は「共産主義」だが、具体論は何もなく結局のところ「革命思想」であり、国家を混乱させて新たな秩序を、という漠然とした考えに基づいているといっていいと思う。

そして、その萌芽を持ちながら昭和に入る。先の共産主義思想がひたひたとアジア、特に清が滅んで混乱著しい支那(China)大陸に影響を与え始めた中で、日本は日清・日露戦争を経てそれなりに国力をつけ始めていた。しかし、昭和に入ると経済的な危機が訪れる。関東大震災の経済混乱も続いていた中で、「昭和恐慌」がありその後にニューヨークの株下落による「世界恐慌」に巻き込まれ、経済は大混乱に陥る。そうした経済困窮を脱するために日本は「満州を制圧した」というのが、現在の歴史上で語られる文脈だが、まったく正確ではない。ここではその説明は割愛するが、とにかく、結果として満州という地を得た。

満州は、日本が入ったことで大きく発展し人口も大きく増加していく。そのころ、支那(China)では清が完全に倒れ内戦状態であったが、日本に対する抵抗を強めていった。それが続いた結果として、「北支事変」(後に「支那事変」と改名)が勃発。これにより、支那との継続的な争いが続いていた。

そうしたアジア情勢の中で世界の強国の一つとなっている日本に対して、欧米からの圧力も大きかった。欧米のアジア植民地政策において日本という存在を叩くことも、欧米にとっては重要な政策となっていたと言えるだろう。そこで、先ほどの満州の日本統治を口実にして列強の圧力がどんどん強められていく。それに対して日本外交は、ただただ反発するだけで孤立を深めていった。それに加えて、支那(China)との戦いも泥沼化していく。

世界情勢と日本の情勢がその状態の中、ヒットラーのドイツが大きく動いた(ポーランド侵攻)。「第二次世界大戦」が始まるのが、昭和14年(1939年)である。世界情勢は一気に変わる。そして日本は孤立した者同士で集まり「日独伊三国同盟」という同盟を結んでしまうのが、その翌年である。
その流れの延長で、遂に、アメリカ・イギリスに対しての戦争の火蓋を切ったのが、昭和16年(1941年)の12月の、真珠湾攻撃と、ほぼ同時に行われたフィリピン米軍への攻撃、そしてイギリスの最新鋭艦『プリンス・オブ・ウェールズ』を沈めた「マレー沖海戦」であった。

真珠湾攻撃、フィリピン海戦、マレー沖海戦

真珠湾攻撃、フィリピン海戦、マレー沖海戦

その3つの戦いは、世界を驚愕させた。その主役は零戦ぜろせんであった。一般的な印象では「真珠湾攻撃」のみがクローズアップされるが、この3つの作戦をほぼ同時に遂行し、列強への圧力に対する物理的な抵抗を行った。
日露戦争で有色人種として初めて白人に対して勝っていたとはいえ、アジア人種が白人に対して完膚なきまでに勝利したのである。この勝利によるアジア植民地への影響は非常に大きかった。植民地支配に甘んじることなく抵抗する気運を大きく醸成させた。ただし日本にとっては、それから孤独な戦いとなり敗戦となってしまうのであるが・・・。

零戦(産経新聞ニュース 2017/5/27記事より)

零戦(産経新聞ニュース 2017/5/27記事より)

この日本の勝利は世界史的に非常に大きいものであり、意義があった。アジア植民地支配に対して、遂にアジアでの最強国の日本が立ち上がった、という構図あった。そのころ「中国」という国家は存在せず、ただただ内乱を繰り返す支那大陸があっただけである。他のアジア諸国は経済的にとても欧米と戦争することも出来ず、列強にいいように支配されていた。そんな中で、日本は孤立していたにもかかわらず、遂に直接欧米との戦争に踏み切ったのである。現在ではそれは暗い歴史としてしか語られないが、この時点では日本は日本なりに考え、そして西欧列強を驚愕させるほどの戦果を得ていたのである。

2.昭和16年12月8日 真珠湾攻撃

真珠湾攻撃の歴史的背景等はここでは割愛したい。ただし、戦いそのものに対してどうしても記述しておく必要があるのが、「真珠湾攻撃は宣戦布告なき卑怯な奇襲作戦だった」という嘘についてである。

特に宣戦布告がないことで責められる節があるが、そもそも当時の状況でまともに宣戦布告することなど、それほど重要視されていない。それをもって日本が非難されるのは、完全に戦後の左翼思想に基づくものといえる。決して日本側に少なくとも「卑怯」とまで言われるほどのことはしていない。
真珠湾攻撃に至るまでの経緯を見ていけば、アメリカは完全に日本を挑発し日本が出ざるを得ないところまで意図的に追い詰めていることは明白である。特にルーズベルト大統領の執拗な日本への挑発政策は露骨だった。更に言えば、真珠湾攻撃の1年以上前から大陸における支那事変において、アメリカは戦闘機「フライングタイガース」を送り、明確に戦争加担している。中立国といっておいて一方に加担しているこれこそが、国際法違反である。
一方の日本は綿密に練りに練った戦略であった。「ハル・ノート」が決定的となったが、アメリカとの開戦は日本にとって望まざる戦争であり、大きな決断であった。その最初を決める攻撃であるため、綿密に計画を練った。

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃

ただし「奇襲攻撃」という点については、アメリカ海軍にとってはまさにそのようであった。先に述べたルーズベルト大統領などの政府中枢は日本軍のハワイ攻撃は予測の範囲であり、暗号は読まれていたため知っていたというのが自然であるし、その論調は根強い。しかし、現場は日本の零戦が来てもそれが日本軍による攻撃とは思っていなかったほど、大混乱した。
日本軍は空母をフルに利用して、零戦により次々と艦隊を沈めた。当時「空母」というものはあくまで補助的な役割だったのを、日本海軍は当初から重要視し、まさに今の空母の位置づけのように「要塞」として活用したのがこの真珠湾攻撃であった。アメリカ海軍に与えた戦果は大きく、戦艦8隻を沈めアメリカ軍の犠牲は2千人以上にのぼった。また、当時は戦闘機で戦艦を沈める、などという発想はなく、それをここまで組織的に実施したのは日本軍のみであった。しかも、攻撃は非常に正確で民間に及ぶことはなかった。民間の死者があるが、これはアメリカ軍の誤射によるもののようである。

それほど綿密に練られた戦いであり、日本は大きな戦果を得た。アメリカにとっても、この前もこれ以後もこれほどの戦艦を沈められたことは一度も無い。最強アメリカに強烈な打撃を与えたことが出来たのは、後にも先にも日本一国である。ただし、アメリカの主力空母はすべて出払っており、アメリカの被害は想定内という見方もある。この戦いにおける「戦闘」そのものは日本の勝利であったが、その後を考えた「戦略」においてはアメリカの方が一枚も二枚も上手だったといえよう。

この戦いは、これから述べる「南方作戦」という東南アジアへの戦争拡大において、アメリカの出鼻をくじき戦意を消失させることが狙いとしてあった。結果的にはむしろアメリカ国民を「反日」にさせてしまい、戦争は更に苛烈さを増していく。

3.昭和16年12月8日~10日 フィリピン海戦

フィリピンのアメリカに対する攻撃は、真珠湾攻撃と呼応するように行われている。東南アジアでの制空権をアメリカ・イギリスなどから奪うべく動いていた。これらの戦いは「南方作戦」という大きな作戦の中の一つであり、大事な初戦であった。

ダグラス・マッカーサー司令官

ダグラス・マッカーサー司令官

フィリピンのアメリカ軍に対する空襲は、真珠湾攻撃が始まって間もなく攻撃されるはずだったのだが、霧があって出発が数時間遅れたと言われる。それでも米軍はまさか日本軍がこちらに来るとは考えておらず、最初の攻撃の時点で圧倒的な不利にあって、多くの戦闘機を失った。総司令官のマッカーサーは、戦闘機が台湾(当時日本領)から来れるはずもない、と考え、空母の位置を数日間探したと言われる。実際には、超軽量としている零戦は空母なしでフィリピンに到達し攻撃している。このときの空母は、すべて真珠湾に向けられていたため、こちらの作戦に戦力が避けなかった。そのため、日本は低燃費で飛べる訓練を繰り返しし準備していた。
真珠湾攻撃だけでなくこちらの戦いも日本に取って綿密に練られ準備されたものであった。

wikipediaを引用させてもらうと、
「この日、アメリカ軍はB-17 18機、P-40 53機、P-35 3機、その他25ないし30機を喪失し、多数が損傷を受けた。日本軍の損害は陸攻1機に過ぎなかった。」
という成果である。これだけの成果を得た結果、アメリカはこの地方の制空権・制海権を失う。このフィリピン戦線は「フィリピンの戦い(Battle of the Philippines)」と言われ、昭和17年(1942年)の5月まで続き、結果的に言えばアメリカ軍総司令官マッカーサーは脱出し、その後アメリカ軍は撤退を余儀なくされることとなった。マッカーサーの有名な「I shall return(必ず帰ってくる)」というセリフは、このとき言われたものである。

4.昭和16年12月10日 マレー沖海戦

プリンス・オブ・ウェールズ

プリンス・オブ・ウェールズ

マレー沖海戦は、当時のイギリスの最強戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパレス」を戦闘機で沈めるという、世界的衝撃を与えた戦いだった。真珠湾攻撃では、あくまで奇襲作戦として「止まっている戦艦」に対する攻撃であったが、マレー沖海戦における「プリンス・オブ・ウェールズ」は作戦行動中のイギリス艦隊であり、当時の常識から、まさか戦闘機が最新の戦艦を沈めるなどと言うのは、衝撃であった。当時のイギリス大統領チャーチルは、それを聞いて初めて人前で涙した、とまで言われる。それほど衝撃的な事件であった。まさに海洋国家イギリスの凋落を象徴する戦いとなったのである。

マレー沖海戦の記念はがき

マレー沖海戦の記念はがき

これによりイギリスは、最新艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパレス」を失い死者も多数出た上に、完全にこの地域の制海権・制空権を失った。これも日本の「南方作戦」の一翼を担う作戦である。これ以後、日本の東南アジアでの欧米との戦いを大いに有利にした。それには植民地支配に苦しんでいた現地人も加わっている。
また、この勝利はある意味で真珠湾攻撃よりも衝撃を与えた。これにより、「戦闘機で戦艦は沈められない」という常識はくつがえされ、各国とも制空権の奪い合いに力を入れていく。その先鞭をつけた日本が、「戦艦大和」に象徴される巨大戦艦を作り沈められて敗戦に至っていくことは、皮肉と言うにはあまりに悲しい結末だが・・・。

5.昭和16年(1941年)12月の3つの戦いを見て

この昭和16年の12月の3日間は、世界史上も大きな出来事であったと言える。しかし、「真珠湾攻撃が卑怯な攻撃」という事でしか語られない。また日本人としても、大東亜戦争に向かう悲劇的な戦いであり、悲壮なやけっぱちの結果、としか認識せず、そこで止まっているように思う。私も、あまり見たくない時代としてしか認識していなかった。

しかし、この3日間ひとつとっても、学んだ歴史に「嘘」あるいは、隠蔽いんぺいがある。実際には大きな成果があったし、欧米列強から大きな勝利をもたらした事は間違いない。ここに記したことは、事実なのになかなか世の中で大きく取り上げられず、単に「日本が悪かった」という感情論しかないように思う。学べば学ぶほど、特に第二次世界大戦及び大東亜戦争について嘘と隠蔽がまかり通っていることに気づく。
そうした嘘や隠蔽を取り除いた上での事実を見つめて、「近代」と言われる日本を見つめ直せればと思う。あの大東亜戦争及び第二次世界大戦がなぜ起こり、あの悲劇がなんだったのか、正確に見つめることは今の日本と世界を知る上でも重要と思う。

そして少なくとも真珠湾攻撃を含む3日間で、日本は欧米列強に大きな打撃を与え、実際にアジアの植民地の解放への足がかりをつけたことは、明確に言える。この時点の戦いとして、決して無謀に挑んだわけではなかった。

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