- 2020-7-29
- ⑨ 昭和期-戦前・戦中
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7/29は日本人が絶対に忘れてはいけない「通州事件」の日
この記事がアップされる7月29日は、日本人は知らなければいけない事件があった日である。しかし、ほとんどの日本人が知らされていない事件でもある。私がこれを知ったときの衝撃は、一生忘れない。およそ人間のやることとは思えない虐殺が行われ、朝鮮人を含む当時の日本人の一般市民が惨殺された「通州事件」があった日である。隠されている「通州事件」と当時の背景をまとめた。是非、見て欲しい。
ページ目次
1.筆舌に尽くしがたい「通州事件」とは
7月29日は、日本人が絶対に忘れてはならない日である。
通州事件とは、昭和12年(1937年)の7月29日に、当時の支那の「通州」で行われた日本人居留民に対する虐殺事件である。まったくの無実の居留民が、およそ人間の所業とは思えない殺され方で虐殺された。
事件を起こしたのは、当時日本と協同で治安維持に当たるとした「支那人の保安隊と学生」である。日本軍が手薄なのをみて一気に陵辱と虐殺を行った。
この事件のことは、今も当時もChinaにとって都合のいい物ではなかった。そして現在の歴史教育及びマスコミは徹底的に隠している。しかし、当時大々的に報じられ、日本の世論は大きく動いた歴史的事件である。
私がこの事件の存在を知ったのは、社会人になってからだった。これを知り、この背景を知った時の衝撃は、計り知れない物だった。あまりの衝撃にしばらく悩んだことをよく覚えている。
内容のエグさもだが、その後のChina・日本のマスコミの情報の隠しぶりも、その衝撃を更に加えた。私が、戦前の日本をすべて悪とする、いわゆる「自虐史観」を完全に脱する大きなきっかけとなった事件である。
事件はおよそ200名の日本人居留民の犠牲者を出した虐殺だが、どうしても表現せざるを得ないのは、その残虐性・猟奇性である。
「表現せざるを得ない」といっても、あまりにひどいために自分で書くのもはばかられる。
通州事件を実際に目撃しその後生きていた数少ない証人の「佐々木テンさん」の証言をまとめた本がある。その本の書評から、いくつかの表現を引用したい。
1937年7月29日、今でいう中国人による、日本人大虐殺が行われた。
当時の日本人居留地で暮していた、日本人の大半が惨殺された恐ろしい事件。女性の多くは強姦された上で惨殺されている。犠牲者の殆ど全てが、ごく普通の暮らしをしていただけの一般人。その殺され方は凄惨を極め、目玉や陰部をえぐり出されたり、強姦された上で陰部に銃剣を突き刺されてさらし者にされた女性、身体を切断された遺体、腸をぶちまけられた遺体ありと、とても人間のやる行為とは思えない残虐さだった。腹を裂かれて殺された妊婦もいる。男性、女性、損傷が激しく性別不明の遺体、老若男女あわせて少なくとも260名前後の日本人が虐殺された。勿論、まだ幼い子供たちも容赦なくいたぶられ殺されている。牛の鼻輪のように針金を鼻に通された子供の死体まであったという。
「通州事件 目撃者の証言」の書評より1
通州事件の惨劇の概要は、ごく最近になって知った。知れば知るほど、史上稀な残虐性だけが際立ってくる。佐々木テンさんの貴重な証言は他書でも読んだ。「悪魔でもこんな無惨なことはしないのではないか」と書かれている。それをやった者たちは人間ではなく、鬼畜以下の存在だ。憤りだけが込み上げてくる。調 寛雅(しらべ かんが)さんが生前に著された『天皇さまが泣いてござった』は必読。犠牲となった方々の無念の思いを忘れてはならない。通州事件は1937年(昭和12年)7月29日。この日を慰霊の日として、毎年手を合わせたい。
「通州事件 目撃者の証言」の書評より2
改めて日本人が知るべき事件 3章の佐々木テンさんの証言だけでも読むと、全く知らない人でも何かが変わると思う
「通州事件 目撃者の証言」の書評より3
是非、本を読んでいただきたい。内容が強烈すぎて、書評にあるとおり気分を悪くするが、事実として知るべき事と思う。
なお、犠牲者の半数は「朝鮮出身」の人達だった。当時の朝鮮は日本と一緒だったので犠牲になってしまったし、朝鮮半島からの居留民も多かったためである。この不幸は、本来、日本人と朝鮮半島の人達が共有すべき虐殺行為なのである。
「通州事件を知るべき」と思うのは、Chinaの残虐性を煽るためではない。残虐性を知って「Chineseに対する敵対心を煽る」では、当時と同様になってしまう。
むしろ、その残虐性のあった事件を知る事と当時の日本人がこれをどう思いどう行動したか、を知る事が重要と思う。そういう事を学ぶ事が、現在を生きる我々が先人の犠牲を有意義に使うことである。重要なのは「歴史の事実」を正しく知る事である。
それでは、その背景等を見ていきたい。
2.通州事件の背景
(1) 当時の歴史の流れ
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事件のあった昭和12年(1937年)は大変な年だった。
年表にあるとおり、「通州事件」の日本は、満州事変を経て、5.15事件や2.26事件などの事件を通じて、いよいよ日本の世論が「軍」で一色になっている頃であった。また、国際連盟の脱退もあり、日本は孤立化を深めていく時期だった。
そして昭和12年(1937年)にあった大事件が、7月7日の盧溝橋事件で、その後に種々の事件を経て、「通州事件」があった(7/29)。そして、その年の冬に、南京攻略がある。Chinaが主張する、幻の「南京大虐殺」があったとされる年にも当たる。
(2) 「盧溝橋事件」はどちらが手を出したか? ~日本を挑発し続けていた当時のChinaの国民党と中国共産党~
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盧溝橋事件について詳細はここでは述べないが、当時の状況を簡単に触れておきたい。
盧溝橋事件は、突然の発砲事件から生じた事件で、これをもって「支那事変(しなじへん)」が始まったと言われる。大日本帝国陸軍と蒋介石率いる「国民革命軍」との争いが始まった。
今では「日中戦争」の開始、と言われるが、当時に国の単位での「中国」はない。宣戦布告する相手すらいない状態である。「支那事変」と言うべきで、今後「支那事変」として表現する。
そして、7月7日のこの盧溝橋事件は、どちらがしかけたか今だに分からないことになっている。「謎の発砲事件」からスタートして、現地軍の衝突となった。
しかし、ここで最初に発砲したのは日本軍である可能性は限りなく少ない、という状況にあった。日本軍は本当に戦う予定はなかったのである。当時の軍人の証言を集めるとそうなる。教科書では違う教え方だが。
実際の所、この盧溝橋事件はなぜか犯人がはっきりしない。しかし、日本と蒋介石の国民党軍とが戦うことを望んでいた国がある。日本の陸軍の強さに大きく警戒していたスターリンのソ連と、蒋介石と内乱状態にありほとんどつぶれかけていた毛沢東の中国共産党である。
そうした背後を前提とし、盧溝橋事件は誰が行ったか分からないテロであった。
この盧溝橋事件の後は、日本も蒋介石もすぐに手を打っている。すなわち4日後の7/11には現地停戦が行われているのである。
しかし、やはり蒋介石は日本との戦争に突き進もうとする。背後にはソ連のスターリンの圧力があったと言われる。また、毛沢東率いる中国共産党も日本が蒋介石の国民党軍と戦うことは最も都合がいい。
こうした背景もあって、昭和13年(1937年)は細かいテロも含めて「中華国民党」と日本軍との衝突が頻発した。8月には海軍の中山中尉をテロにより惨殺され、それにともない日本海軍と中華国民党とも敵対関係が明確になった。その結果として、第二次上海事件が起こる。また、12月には南京の攻略が行われる。ただ、この間「中国」などと言える体制にはなかった。Chinaは蒋介石の国民党と、毛沢東の共産党との争いが続いている中で、日本はそこにズブズブと入っていく形であった。
(3) 世論を完全にあおった、近衛文麿内閣と新聞メディア
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ただし、日本の国内も完全に「戦争状態」になりつつあった。「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」と言われるが、「暴れる支那を、懲らしめる」という意味のこの言葉は、当時の新聞、特に朝日新聞・毎日新聞が徹底的にあおっていた。それに伴い、世論も完全に支那への戦争を主張していた。
そしてもう一つ大きいのが、「近衛文麿(このえふみまろ)内閣」の第一次の頃がこの頃だったことである。近衛文麿については、相当黒い人脈と行動が指摘される。ここでは詳細には触れないが、あの戦争の張本人とも言っていいほどの状況証拠がそろっている。如何に「共産党かぶれ」あるいは「共産主義革命かぶれ」だったか、ということはここでは触れないが、徹底的に日本をボロボロにした人として、私は認識している。
すなわち、近衛文麿はこの「盧溝橋事件」等により、徹底的に日本の世論を「支那との戦争」へと向かわせた節がある。
すなわち、結果として「通州事件」はその中で利用された事件とも言える。
3.当時の写真が、なぜか「南京大虐殺」での日本軍の「罪」に
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およそ人間の所業とも思えない残虐ぶりを、あろうことかChinaは「日本軍がやったこと」としてすり替えてきた。全くのデタラメといえる「南京大虐殺」の嘘に「通州事件」での写真を使ってきたのである。あの残虐ぶりを、日本人が支那人に対してやった、というのである。
日本軍がこうした情勢の中で南京を攻略したのは12月である。ほとんどまともには日本と戦う力のなかった国民党軍はゲリラでしか対抗できなかった。
「南京大虐殺」と言われて出された写真がたくさんある。しかし、それを真面目に検証すると、ほとんど矛盾することが判明している。そしてその写真には、「女性の性器に鈍器を突き刺した写真」や「さらし首の写真」がある。また、公開処刑よろしく軍人が人を殺している写真があるが、なぜか、冬に侵攻した南京に関わらず夏の服装のものもあった。
つまり、「南京大虐殺」という世論操作(プロパガンダ)に、通州事件の写真が使われたことは間違いない。「加害者」と「被害者」がすり替えられて、それを堂々と出しているのである。
真実を知ればすぐに分かる稚拙なものである。真実を知る事が如何に重要か、このいきさつを知れば良く分かる。通州事件は、二重三重にChinaに利用されているのである。
4.大日本帝国軍が一般市民を陵辱・虐殺する行為を一度でもしたのか?
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では、大日本帝国軍と言われる陸軍・海軍はそうした行為をしたことがあるのか。それは明確にNoである。どこをどうみても、最初に示したような虐殺行為を組織的に行った記録はなく、まったくの嘘といえる。もちろん、戦争なのだからそれなりに残虐行為はあったかも知れない。しかし、通州事件に見られるような組織的な物は、Chinaのみならずどの戦争でも行われた証拠がない。少なくとも「間違いなくやった」という証拠がないのである。
これこそが「世論操作(プロパガンダ)」である。日本が悪いと都合のいいのが、Chinaだけでなく世界中にその状況にあった。結果、「日本が悪い」と徹底的にすり込まれ、いつしかそれを日本人が受け入れる状況になっていたのである。
「通州事件」は絶対に忘れてはならない。そしてそれをどのようにChinaを含めた国際社会が利用してきたか、それを知る事が日本の現代を生きる人の大事な「知恵」と思う。先人の犠牲・誤りを、しっかり学ぶ事が我々の努めと思う。
5.日本人は絶対に忘れてはいけない「通州事件」
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およそ、人間の所業とは思えない「通州事件」である。しかしその事件は戦後完全に伏された。知らなかった私も含めて、「日本人で知る人の方が少ない」という、信じられない状態といえる。
あれほどの残虐事件をもって今のChinaも同じ、とまでは言いたくはない。さすがに昔の話ではあるが、事実として日本人は知るべき事である。
しかし、残念ながら今のウィグル(東トルキスタン)やチベット、そして香港に対するChinaの所業を見ると、やはり変わっていないのか、と思わざるを得ない・・・。
「歴史を学ぶことは過去を学ぶ事ではなく、現在を考えること」というのは、私の尊敬する人が言っていたことである。通州事件のこうした事実を知った上で、今の日本としてどうすべきかを考えるべきと思う。
「7/29は通州事件の日」、と、日本人がしっかり認識することは、歴史認識の第一歩と思う。
コメント
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知らなかった…。地上波マスコミに踊らされず、正しい過去を知って今を考えていきたいと改めて思いました。相変わらず内容濃いですね
ゆうじさん、でも知らないとは、私の発信がよわいですな。
この話は支那(China)の実状をしることと、大東亜戦争を知る上でも重要です。
広めていかないといけないですな。