幕末の志士 高杉晋作の言葉「 万物元来始終あり ~」に思う
幕末の長州藩を導いた高杉晋作公の言葉を取り上げたい。歴史の教科書上はあまり語られないが、その功績と人物の影響力は幕末の動乱にあって突出していた。その高杉晋作公の言葉である。是非ご覧を。
「 万物元来始終あり ~」
高杉晋作(たかすぎしんさく)公という人物は、私が最も尊敬する人物の一人で、このブログでも何度も取り上げている。
(➡維新回天 全体編【3】明治維新の流れを追う②「倒幕期」
➡高杉晋作による「功山寺決起」に見る「決断力」と「覚悟」)
幕末の長州藩を大きく導いた人だが、長州藩だけでなく、広く日本と世界を見て行動した日本の国士(こくし)だった。
騎兵隊を作ったり、時には常識を覆すような行為を行ったりと破天荒な人のイメージがつけられているが、深く学べば学ぶほどその深謀遠慮たるや、突出していたと感嘆する。
結核によりわずか28歳で亡くなる。亡くなった慶應3年(1867年)は明治元年の前の年である。明治を大きく導いた主役の一人は、明治の世を見ずして去っていった。高杉晋作公が長生きしていたら、日本の歴史は全く違ったものになっていたと、私は確信している。
その高杉晋作公の言葉を取り上げたい。
万物元来始終あり
人生況や百年の躬少なし
名を競い利を争う営々として没す
識らず何の楽しみか此の中に存せむ
漢詩に深く通じていた高杉晋作公の言葉である。現代語訳の一例は以下の通り。
言うまでもなく人間に百年もつ身体は少ない。
名誉を競い利益を争うことに夢中になったまま死んでいき、
そこに何の楽しみが在るのか私には分からない。
最後の「識らず何の楽しみか此の中に存せむ」(そこに何の楽しみがあるのか私にはわからない)という言葉が、高杉晋作公の強い心意気を表している。名誉や利益だけを追い求めた人生など意味があるのか、と強く言っているように感じる。
若くして亡くなっているが、高杉晋作公の人生を見れば、名誉や利益を考えずただただ、国と日本という歴史を思い行動していった。先人たちを尊敬し、かつ次の時代につなげていこうとした情熱の志士だった。
高杉晋作公は、まさにこの詩の通りの思いを持って人生を突っ走った人だったと思う。そしてその生き様は、現代に生きる自分にも貴重な教科書として受け継いでいきたいと思うものである。
また、いわゆる「死生観」とも言えると思うが、「万物元来始終あり」という気持ちを持ちながら今を生きていきたいと思う。「死」を意識して初めて「生」があると思う。「万物元来始終あり」という高杉晋作公の思いは、「死」というものを真正面に見つめた上での生き方として、「名誉や利益だけを求めること」のむなしさを伝えている。
名誉や利益を追うことは悪いこととは思わない。しかし「それだけ」を求めることが「万物元来始終あり」の人生において重要なのかは自分に問いかけたい。そこで見えてくるのが自分の生き方になってくると思う。自分の「理念」あるいは「哲学」と言えるのかも知れないが、そうしたものを大事にしながら、日々を過ごしていけたらと思う。
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