- 2021-2-18
- 日々の思料
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「ジェンダーフリー」や「男女同権」で社会は幸せになるとは思えない!日本の歴史に見る「男女の尊重」
最近、日本でも「ジェンダーフリー」という言葉が市民権を得ている。「男女同権」あるいは「男女平等」という言葉は昔からあり、それなりの成果を社会にもたらした。しかし、最近の「行き過ぎたジェンダーフリー(男女同権)論」には、違和感しか感じない。日本人として、日本の「男女の尊重の歴史」を守っていきたい。日本の歴史と共にまとめてみた。是非、ご覧を。
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1.「ジェンダーフリー(男女同権)」など、無意味であり不自然
アメリカ大統領選が明らかにおかしい形で行われバイデン政権が生まれた。その周りは、見事に「左翼」あるいは「リベラル」と言われる極端な人々が集まっている。
そこで強く出てきたのが、「ジェンダーフリー」という横文字と共に、異様とも言える考えである。日本語で言えば「男女同権」と言ったところかと思うが、あまりにも極端すぎる今の動きは、どう考えても「異常な考えの押しつけ」にしか見えない。
・ セクハラ(パワハラ含む)の行きすぎた警戒と運用
・ 「女性を登用することを義務」とすることで生じる「逆差別」
・ 「男らしさ」「女らしさ」を言っただけで、「セクハラ」となる異常さ
・ 「LGBT」の名の下に、男女の区別すら否定する風潮
さすがに、日本においてアメリカほどの異常な「ジェンダーフリー」は今のところはない。しかし、その兆候は至る所に見られる。
結論から言えば、私は現在の「ジェンダーフリー」というカタカナも、「男女同権」という考えもまったく賛成できない。昔ならいざ知らず、現在において男女差別と言われる程のことがあるとは思えない。そして、日本は特に古代から女性を尊重し大切にしてきた文化がある。
そもそも、男性と女性は違うものである。それを認めないことが、如何に不自然であり、無意味な事か。
「男らしく、女らしく」の何がいけないのか?また、それを否定して強要する人達は、そう思う人達を認めないことで「逆差別」をしていることにならないのか?
更に不快にさせるのが、「女性差別」という言葉をヒステリックに使う人ほど、人を徹底的にけなして攻撃する「凶暴性」があるように思う。
どう考えても「異常」と思えるレベルの、「男女平等」あるいは「ジェンダーフリー」という考えには、明確にNoといいたい。そして日本は、古来から「女性を尊重」し、男性・女性は支え合ってきた誇らしい歴史を持つ、と、強くいいたい。
2.行き過ぎた「男女同権」は男も女も不幸にする
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ここでいう「男女同権」あるいは「ジェンダーフリー」は、あくまで行きすぎたものを指す。あからさまに、女性だからとか男性だからとかの差別をするのは、論外というのは言うまでもない。
その上でだが、「行き過ぎた」形での男女同権は、本当に「女性のため」に言われているのか?あるいは、本当に「よりよい社会を目指して」言われているのか?
どう考えてもそうは思えない。むしろ「対立を生む為の材料」として「男・女」という「性」が使われているようにしか見えない。なぜなら、両者を一緒にして扱うのなら、必ず無理が来るからである。
体力は男女で違う、男は子供を産めない、男には生理はない、筋肉の量は圧倒的に異なる、など、挙げるのも馬鹿らしい違いがあるのに、何から何まで「平等」という名の枠に押し込めて誰が幸せになるのか?
3.男女同権の行きつく先は何なのか?
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では、男女同権やジェンダーフリー、という言葉あるいは動きの行き着く先は、いったいどこなのだろうか?
今の動きを見ていると、それは「家族や現在社会の崩壊」としか思えない。男性・女性を無理矢理に同等に見る事は、それは「父」「母」の否定にもなる。父親・母親のもつそれぞれの役割は、その「性」に寄るところも大きい。そうした人間が本来持つ男女の「性」の違いの否定は、父・母の否定にも十分なる。父は強く、母は優しく、といった考えは、もはやそれだけでも「男女差別」となる。
そんな社会を誰が望んでいるのか?
それは、現在のそうした昔からの普遍的な「家庭」あるいは「社会」を嫌う人達が、現状を変えたい、という考えのもとで「性」をターゲットにして動いているから、としか思えない。
これは、よく言われる「グローバル化」と連動しているとも言える。「社会の崩壊」は「国の崩壊」を招く。大げさなように見えるが、人の価値観までも否定することが、人を幸せにするとは思えない。
「行き過ぎた男女同権(ジェンダーフリー」を強要し叫ぶ人達は、「家族・社会の破壊者」と言えないか?
4.日本は古来から、「男女の尊重」の社会
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「日本は昔から男尊女卑(だんんそんじょひ)の社会だ」と海外に言われる。そして日本人自身がそれを思い込んでいる部分がある。
しかし、それはまったくの嘘である。日本はまさに「神話の代から」、男性と女性がそれぞれの役割を担いながら、協力してきた伝統を持つ国であることを、強く言いたい。
歴史の中から、そんなことが見えるエピソードを少し挙げたい。
(1) 古事記における「伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)」の「男女の失敗?」
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伊弉諾(以下「イザナギ」)と伊弉冉(以下「イザナミ」)と言えば、古事記の中でも、最初の方の神様である。あの天照大神(アマテラスオオミカミ)・月読尊(ツクヨミノミコト)・須佐之男命(スサノオノミコト)を生んだのはイザナギであり、そのイザナギと結婚したのがイザナミである。(男性のイザナギが「生んだ」というのは、物語として置いておいて・・・)
その結婚話は、「国産み」の話と共に古事記の最初の方にでてくる。
・・・イザナギとイザナミは、国産みにより生まれた大地(日本)に「天の御柱(あまのみはしら)」と大きな神殿である「八尋殿(やひろどの)」を結婚のために建設する。
二柱(2人)の神は、各々別の方向から歩いてきて柱の片側で会い、男性神であるイザナギは左側に、女性神のイザナミは右側から周った。
それぞれがもう片側で出会ったとき、女性神イザナミが最初にこう言う
「なんて素敵な殿方なんでしょう」。
そして、男性神イザナギは答えた
「なんて愛らしい乙女だろうか」。
その後、二柱(2人)の神は男女の交わりを行い、子供を産むことになる。が、生まれた子供が形をなさない奇形で悩む。
その後、イザナギとイザナミは天の神々に訪ねて、なぜこのような子供が生まれるのか聞いて回る。すると、
「女から先にものを言ったのが良くない。もう一度やりなおすのが良い」
と言われて、もう一度柱を周り、今度はイザナギから
「なんて素晴らしい乙女だろう」
そしてイザナミが
「なんて素晴らしい男の方でしょう」
と答えて、契りを交わす。すると無事、たくさんの子(神様)が生まれていった。・・・
この古事記の物語を見て、『「女が先にものを言うのがよくない」というのは男尊女卑だ』という人もいるかも知れない。
しかし、私はこの話を見て、如何に当時から女性が強かったかと強烈に印象に残った。古事記が変遷されたころから、女性が如何に強かったかを逆に物語るものと驚いた。
古事記は、712年に変遷されまさに古代の日本を知る重要な「伝記」と言える。そこには、数々の女性が大活躍し、むしろ男性の神々の方が情けない場合が多い。そういう視点でも、古事記は我々日本人の先人の感性が見えてきて非常に面白い。古事記は、また詳しく取り上げたい。
(2) 百人一首は2割が女性の句
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小倉百人一首は、平安時代の末期から鎌倉時代(1192年~)にかけて、藤原定家が京都の小倉山で名作を選んだものと言われる。その百人一首のうち21句が女性の句である。しかも、身分が最も高いのは「女性天皇」であった持統天皇一人で、宮仕えの女性や身分も知れない女性のものも含まれている。
文字通り千年以上前の時代に、女性の句が普通に選ばれ、そして現在にまで引き継がれている文化を持つ国は、我が国の誇るべき文化であり歴史と思う。まさに千年以上の時を超えている。そんな女性の句を一つみてみたい。
(小倉百人一首より)
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに(現代語訳)
桜の花はむなしく色あせてしまった。長雨が降っていた間に。
(私の容姿はむなしく衰えてしまった。日々の暮らしの中で、もの思いしていた間に。)
絶世の美女、といわれた小野小町(おののこまち)の句である。平安時代の前期の歌人で、数々の伝説を持つが謎の多い女性とも言われる。
そんな、千年以上前の美女が、自分の美貌が落ちたことを歌っている、という現代と変わない気持ちを残していることは興味深い。
(3) 鎌倉時代の「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」には、「未亡人の権利」が保証されている!
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御成敗式目(ごせいばいしきもく)は、1232年、鎌倉幕府が作られてから40年近く経って作られたものである。北条家が執権となってから、北条泰時(やすとき)により定められたものである。鎌倉幕府にとって初めての基本法であり、武士に対するものであった。しかし影響は武士にとどまらず、庶民にも影響を与えた。また、鎌倉時代以降の武家に強い影響を与えたものである。
全部で51ヶ条あるこの内容が、当時の日本の一面を表わしていて非常に興味深い。
【第一条】「神社を修理して祭りを大切にすること」
内容として「神は敬うことによって霊験があらたかになる。神社を修理してお祭りを盛んにすることはとても大切なことである。そうすることによって人々が幸せになるからである。」とある。
【第十条】「殺害や刃傷(じんじょう)などの罪科のこと」
内容として「言い争いや酔った勢いでの喧嘩(であっても相手を殺してしまったら殺人罪であり、犯罪者は死刑か流罪とし財産を没収する。」とある。
【第二十条】「妻や妾(めかけ)に相続した土地の離別後のあつかいについて」
【第二十一条】「離縁(りえん)した先妻の子供(長兄)に与える財産のことについて」
【第二十二条】「女人の養子のこと」
御成敗式目の大きな特徴として「女性に相続権を与える」といった画期的なものであったこともあげられる。上記の通り、女性に関する規定もかなりある。これも千年近い前の時代でも日本では、女性に対する権利の議論が盛んにされたことがうかがえる。
5.日本古来の「男女の尊重」こそ大切にし、男女で支えあう社会にすべき
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男女は違うものである。そしてその違いを互いに尊重してこそ、男女が協力して良い社会が築かれる。これは日本も世界も同じと思う。
しかし、特に日本は先人達がそうした「男女の共存」を大事にしてきたと思う。男性と女性の違いをしっかりと受け止めた上で、日本の先人達のようにそれぞれを尊重して尊敬し合いながら生きて行く社会であるべきと思う。
そして、日本こそ「男女の尊重」を実践してきたしそれを発信できる国である、と強く思う。
コメント
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とにかく最近は行き過ぎてる。報道の印象操作も凄いです。歴史が、日本の「男女の尊重、共存」を語ってるのにね。御成敗式目の事は知らなかった。勉強になります。
本当に、行き過ぎにも程があるね。
日本こそ、冷静に先人達に学びつつ賢く行きたいですな。