憲法9条の改正について、「ルール」そのものの本質から考える。
憲法9条の改正について取り上げる。2回目である。とかく感情的なヒステリック議論が多いが、そうした議論はしたくない。今回は「ルール」という観点で憲法9条の議論をまとめてみた。是非見てほしい。
(シリーズ記事)
➡憲法9条の改正を!①~必要性からの分析~
➡憲法9条の改正を!② ~「ルール」の本質から考える~
➡憲法9条の改正を!③ ~改正のメリット・デメリットから考える~
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1.憲法9条の限界
先日の記事と重なるが、憲法9条はその限界が露呈している。
憲法9条の条文は以下の通りである。
・ 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
私の結論は、「憲法9条は改正すべきである」、というより、「改正しないといけない」。それもできるだけ早くに、である。
理由を挙げると、大きく次の4点と言える。
① 【状況の変化】
その成立時と現在との情勢があまりに違い、まったく現実的でなくなっている。
② 【現状の矛盾】
現在の運営上、完全に現実と憲法9条とが乖離してしまっていて、自衛隊が大きな危険にさらされている。
③ 【9条による実害】
憲法9条による実害が生じている。
④ 【未来へ対応できない】
未来に合わせた設計になっていない。
今回は、違う角度から見てみたい。
2.「ルール」の奴隷になってはならない!
「ルール」の意義について考えたい。「ルール」というと英語なので、「規則」と読み替えてもいい。
(1) 「ルール」の意義と本来の性質
「ルール」とはなんのためにあるのか、この疑問は仕事をしていてよく思うことである。なぜなら、ルールの運用が本来の存在意義と違うところになってしまうケースをよく見るからである。
ルールとは、「目的を達成するための一定の決まり事」として作られる。これにより、関わる人はそれに従うことが求められる。私は、仕事でどちらかというとルールを作る側にいることが多い。このときに常々意識している事がある。それは、重要なのは、「目的」を忘れないようにしないといけないことである。ともすればこの「目的」を忘れて、「ルールを守る」こと自体が「目的」となっているケースが本当によくある。よくいう「手段の目的化」といってよい。そのルールが出来た背景の「目的」を守ることと、「ルール」を守ることが必ずしも一致しなくなれば、「ルール」を変えるべきである。また、その「目的」すら見失い、何も考えずに「ルール」だけを金科玉条のごとく守っているケースに、会社にいると本当によく出会う。
しかも現実には、「ルール」は変わらないが「目的」を巡る状況は変わっていく。その目的を達成すれば、当然ルールも変わるべきである。若しくは、「目的」は変わらなくてもその周りの状況が変われば「ルール」を変えないといけない。下記にルールを変えるべきタイミングを示す。
① 「目的」が変わったとき、あるいは達成されたとき
② 「目的」達成のための状況が変わったとき
ルールを運用する上では、この2つのタイミングを機微につかんだ上でやらなければ意味が無い。仕事でよく言うようにしているが「ルールとは守るものではあるが、それと同時に、変えていくべきものである」ということである。「ルールを変える」ということは、本当に苦労するが、仕事上でも生活上でも、無意味なルール若しくは有害なルールは至る所に存在する。それらは変えていくべきである。「ルール」の本質を考えた上で、上記の「ルールを変えるべき2つのタイミング」を最初から意識してルールを見るべきと思う。
(2) 憲法9条は「目的」ではない
ここで憲法9条に当てはめて考えたい。ここではっきりしたいのは、「憲法9条を守ることは目的ではない」ということである。これは当然9条に限った話ではない。法律であっても憲法であっても、目的は「日本国民の幸せと安寧」であるはずである。もう少し拡大して、「世界」だという人もいるだろうが、少なくとも、日本国民の幸せの追求しなくて、世界の話など出来るはずがない。
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さらに言えば、憲法9条が出来たときと今とは、全く状況が変わっている。当時は自衛隊がないし、アメリカの占領下にあった。また、世界情勢はソ連という共産主義の脅威がどんどん伸長していく中での、日本の情勢があった。そして、今、完全にその時代と合わなくなり、憲法9条の実害がはっきり出ている(前回記事 ➡憲法9条の改正を!①~必要性からの分析~)。
と考えれば、今の憲法9条を「前に作ったルールだから」という理由で守り続けることに、何の意味も無いどころか、まさに「手段の目的化」となり「ルールの奴隷」と化していると言わざるを得ない。この状況にあって、この憲法という「ルール」を変えないのは、全く正しくない。会社であれば、必ず変更の議論をしたであろうルールといえる。
なお、本来は「憲法」そのものについての議論があるべきと思う。ここではそれは割愛するが、是非過去記事(➡憲法から日本を考える ~聖徳太子からの「憲法」の歴史と現行憲法~)を見ていただきたい。
4.良いルールとは?憲法9条は良いルールか?
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では、良いルールとは何か、を考えてみたい。
「良いルール」はなにか。それは二つの要素があると思う。
① 「目的」が明確で高い
② 「目的」に達するための手法がシンプルで効果的
すなわち、良いルールを作るには、まず「目的」をしっかり明示できないといけない。そして次に、ルールそのものが、その目的を達するためにシンプルで効果的であることが、次の条件として上がる。
ではもう一度憲法9条に戻りたい。憲法9条あるいは、憲法そのものの目的は、「日本国民の幸せと安寧」であるはずである。少し範囲が広すぎるが、この目的に異論のある人はいないと思う。では、目的は明確である。しかし、それを受けた②の「手法がシンプルで効果的」かどうかについては、全くこれは違う、と言わざるを得ない。
今、憲法9条にある通りに日本が軍備を持たない(あるいは持っていない体(てい)で貫き通す)ことは、完全に日本の安全を脅かしている。また、その目的と手法が、全然一致していない。「軍備を持たない」ことは逆に地域のバランスと安定を崩している。隣国の中国共産党がこれだけ軍備を拡張し北朝鮮が核保有国となっている中で、全く軍備を持たないことは、本来の憲法の目的である「日本国民の幸せと安寧」を脅かしているのである。もっと言えば、地域や世界のバランス上もおかしくしてしまい、完全に危険な状況に陥っている。
現在の状況から考えて、憲法9条は、完全にルールとして「悪い(有害な)ルール」と言うしかない。
5.憲法9条の改正の必要性
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これまで述べたように、「ルール」として考えても、もはや憲法9条は破綻していると思う。その「目的」を達成できないものだからである。
それでも変えないという人達は、本気なのだろうか?それがどれだけの影響があるかを、歴史などを踏まえてしっかり見てほしいと思う。また、「憲法9条がなくなると日本が軍国主義に走る」などという人達は、日本を信用していない。しかし、信用しないで終わっていいのだろうか?そうした「思考停止状態」が日本を更に悪化させていくことを自覚してほしい。そして、そもそもそういう人ほど「軍国主義」の時代のことを知らない。「憲法9条がなかったから、第二次大戦があった」わけではない。ここでは述べないが、理由はもっと他のところにある。まったく的外れな議論なのである。
日本が侵略や攻撃を受けても、日本国憲法(9条)とともに自分の家族や身近な人を巻き込んで心中するつもりなのだろうか?
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