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「憲法は必要か?」を考えてみよう!~憲法と憲法典~

日本国憲法

「憲法は必要か?」という切り口から憲法を考える。

憲法について、日本の歴史を踏まえてまとめてみた。
私は一般的な憲法の議論は苦手で、好きではない。やたらに細かいし、解釈を巡って言葉遊びをしているとしか思えない。しかし、実は歴史をよく見ると、日本において「憲法」というものは古代から議論していた、と考えられる。「日本の国の形」としての憲法を考えてみた。是非、お付き合いいただきたい。

1.日本に憲法は必要なのか?

あえて、無茶に見える議論を考えてみたい。そもそも「憲法は必要か?」という考察である。

結論から言えば、「必要」もしくは「無くすことは出来ない」となる。今の憲法に基づいて法体系も出来ていて、たかだか70年程度の歴史しかないとは言え、戦後の日本の礎の役割を果たした事は間違いない。

これを踏まえて「憲法は必要か?」の問いに対して、私の個人的な結論は「文言を最小限にした憲法を作るべき」という答えを思っている。しかし、ここではその私の結論を述べたいのではない。純粋に「憲法とは何か」について考えたい。

まず現状の憲法の内容については憲法9条に代表されるように、現状の憲法が定められた当時の世界情勢と現在とで大きく異なる中、大きく見直すべきである、というのが私の考えである。

憲法9条に関する私の考察はこちらにあるので、是非一緒に考えて欲しい。
憲法9条の改正を!①~必要性からの分析~
憲法9条の改正を!② ~「ルール」の本質から考える~
憲法9条の改正を!③ ~改正のメリット・デメリットから考える~

日本国憲法
日本国憲法

ここで「憲法は必要か?」というあえて暴論の議論を考えたいのは、「憲法改正」を考える上で、そもそも「憲法とは何か」を知らないといけないと思うからである。そう考えたときに「憲法を持たない」という選択肢も「ある」と仮定して見ていくべきと思う。

なお、UK(イギリス)にはいわゆる「憲法典けんぽうてん」といわれる「成文憲法」はない。「不文憲法」とも呼ばれるが、「憲法とは国家そのものであり、単一の成典を持たない」という方針のもと、現在も「憲法(Constitution)」としてはない。こうした国もある上で、「憲法とは何か」考えたい。

2.憲法とは

(1) 憲法と憲法典けんぽうてん

憲法典(けんぽうてん)という言葉をご存じだろうか。私も、学校で学んだ物ではなく、近代史や憲法の成り立ちなどを学ぶ過程で目にするようになって、始めて知った言葉である。
語弊を恐れずに単純に解説すれば、

「憲法」とは、実質的な意味での国体・国の形(constitution)であり、憲法典けんぽうてんはそれを形式的に文書にまとめたもの(constitutional Low)

と言える。
これも深く調べると、いろいろな議論が出てきて、正直余計に意味がわからなくなってくる。「憲法学者」とはかくも難しく言葉を使うか、と本当に思う。しかし、原則的な理解は上記でいいと思われる。細かいところまで理解したい人は、調べてみてほしい。いかに難解で種々の議論があるかわかると思う。

しかし、日本の歴史や憲法のでき方を見ていくと、この「憲法」と「憲法典けんぽうてん」を分けて考えることの重要性に気づく。
現在の「日本国憲法」が、「憲法」なのか「憲法典けんぽうてん」なのか、明確な定義はないようである。また、一律に言えるものでもないらしい。実はここが、「日本国憲法」をどのように見るか、という本質にも関わってくる考え方だと思う。

(2) constitutionと「憲法」の概念

「constitution」という英語に「憲法」と充てたのは歴史が浅く、明治維新の真っ最中の1873年である。
「constitution」という言葉はラテン語の「constitutus」に由来しその意味は「構成する」、「組織する」などの意味である。よって「constitution」は本来「構成・組織・国体」といった意味である。
英語では憲法典けんぽうてんを「constitutional Low」として、憲法(constitution)と区別して考えている。

一方で、日本において「憲法」という言葉は、聖徳太子の「十七条憲法」にあるとおり、古くからあった。しかしその頃の「憲法」とは、今のイメージでいう「法律」的な意味合いが強い物ではなかった。規範的な物を示すものであったり、「きまり」といった意味合いで語られるようである。

(3) UK(イギリス)での「憲法」と「憲法典けんぽうてん

イギリスは、「憲法がない」と言われる。これは「憲法典けんぽうてん(成文憲法)」のことを指し、日本では「憲法」と「憲法典けんぽうてん」とが一緒にされるため、このような議論となる。wikipediaの写しだが、イギリス憲法の説明として、下記を見てほしい。

イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、英: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)において、議会決議や法律、裁判所の判例、国際条約、慣習等のうち、国家の性格を規定するものの集合体である。単一の憲法典けんぽうてんとしては成典化されていないため、不文憲法または不成典憲法であるといわれるが、それはあくまでも憲法典けんぽうてんとしての単一の成典を持たないという意味。

すなわち「憲法」を具体的な成文法たる「憲法典けんぽうてん(consitutional Low)」としては持っていない。あえてそこを曖昧にすることで、「憲法」という国の規範を広い概念として定義している。そこがヨーロッパの憲法の先進国たるイギリスの工夫である。
ただし、種々の法令がそれを構成し、全体で「憲法典けんぽうてん」であるという考え方らしく「軟性憲法」という難しい言葉が充てられる体型だそうである。

3.「ルール」を見れば「組織・グループ」のレベルがわかる

すこし、話が大がかりになったので、身近な話題で考えたい。

私の考えとして、会社等で「ルール」を見ると、その会社や部署のレベルがわかる、という側面があると思う。主として「悪い組織」を見る時に思うことだが、「悪い組織」あるいは「うまく回っていない組織」ほど、ルールがやたらにある。そして、それが細かい物が多く、あえていえば「下らないルール」がはびこる。
具体的なルールは枚挙にいとまがないが、私が言いたいことはルールそのものではなくて、「ルールにしないと従わない」という結論に至ったためにルールにしたと言うことである。

私が考えるのは、本来は「ルールはない方がいい」あるいは「ルールは少なくすべき」と思う。ルールとは守らない人が多いから、それを制御するための規則と言える。しかし、本質は「なぜ守らない人が出るのか」「守らない人が出ないためにはどうすればいいのか」である。『ルールが人をしばり、その組織を作る』では、その組織はそれほど強い物になれるとは思えない。一番は、「ルールがなくともそれに従わざるを得ない風土」を持った会社・組織、と思う。

では、「国」の場合はどうか。全く同じと思う。

「憲法」「法律」「刑罰」で人をしばれば、いい国が出来るのか?それは明確にNoである。もちろんそれらの必要性を認めていない物ではない。やはりルールは必要である。問題は、「ルールに頼る国」でいいのか?ということである。

「ルールに書いてないからこれは問題ない」とかいう低レベルの議論を聞くとうんざりする。では「ルールに書いてあったら何でもするのか?」と聞きたくなる。「ルールを守ることが目的化」するようでは、その組織・国のレベルはどんどん落ちる。重要なのは「ルール」ではなくて、国として組織としてどうしたいか、といった「方向性」である。その後に「ルール」があると思う。

これを踏まえて「憲法は必要か?」の問いに対して、私は「文言を最小限にした憲法を作るべき」という答えを思っている。今の日本国憲法は、いわゆる「ルール」が多く無駄に「国」を縛りすぎていると思う。その典型が憲法9条である。

4.日本の「憲法」の歴史

日本での「憲法」の代表的な物を見たい。といっても、明治や戦後の憲法だけのことではない。すなわち、「国の形」としてのルールの日本の歴史を見ていく。先の定義で言えば、憲法典けんぽうてん」に着目するのではなく、国体としての「憲法」の歴史を見てみたい。

ここで挙げるのは、聖徳太子の17条憲法と、明治天皇の五箇条の御誓文である。

(1) 聖徳太子の17条憲法(604年)

聖徳太子
聖徳太子

最も古く「憲法」と言われるものが日本史上で出てきたのが、聖徳太子「十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)」である。聖徳太子の偉業は大きく、いくつもあるが、その偉業の柱の一つが17条憲法である。日本の国の大きな起点といえるそれらについては、別途のブログ記事でまとめたい。ここでは聖徳太子と時代背景を簡単に触れるのと、17条憲法に絞って記述する。

聖徳太子の時代は、飛鳥時代で、日本の国を形作る上で重要な頃であった。China(中国)の大陸では「隋(ずい)」という強大国ができ、そのせめぎ合いも激しかった。遣隋使を送っていたが、隋の皇帝「煬帝(ようだい)」に対して送った国書により、煬帝を激怒させている。

日出(いず)る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや。

煬帝がこれを見て激怒したのは「日出ずる国より」とあったからではない。国書に「天子」という言葉が日本に対して使われていたことにある。これは、皇帝と同じ位置にあることを表現していて、太子としては、日本の位置づけを高めることを狙っていた。当時、隋は朝鮮の高句麗と戦っていたため、隋は戦争をできる状態に無いことを知った上での国書である。それほどまでに、日本という国の確立に腐心していた。

十七条憲法
十七条憲法

こうした「国体」を強く意識した中で作られたのが「十七条憲法」である。添付の表はすべての条文の、抜粋とその部分の現代語訳である。これが6世紀の、すなわち1500年以上も前に定められたものかと、感嘆する。今でも十分通じる内容である。是非、内容を見てほしい。

もともと「十七条憲法」は、役人が守るべきことをまとめたものである。日本最古の「成文法」と言われる。読んでみると、内容には深い含蓄(がんちく)を感じる。

先の添付の全条文はあくまで条文の文言を抜粋したものなので全容ではない。一つ一つの条文の全文を見ると、更に深い内容に驚く。また、意味が違う形で知られているものも多い。最も有名な第1条の和を以て貴(とうと)しとなすを掘り下げてみてみたい。

第一条「和を以て貴しとなす」の全文
【全文の読み下し文】
一にいわく、和をってとうとしとなしさからうこと無きをむねとせよ。人みなたむらあり、またさとれるもの少なし。ここをもって、あるいは君父くんぷしたがわず、また隣里りんりたがう。しかれども、上和かみやわら下睦しもむつびて、事をあげつらうにかなうときは、すなわち事理じりおのずから通ず。何事か成らざらん。
【現代語訳】
和というものを何よりも大切にし、いさかいを起こさぬように心がけよ。人は仲間を集め群れをつくりたがり、人格者は少ない。だから君主や父親にしたがわなかったり、近隣の人ともうまくいかない。しかし上の者が和やかで下の者も素直ならば、議論で対立することがあっても、おのずから道理にかない調和する。そんな世の中になると何事も成就するものだ。

上記の通り、太子のいう「和を以て貴(とうと)しとなす」とは、単に「争いごと無く、仲良くしよう」というものではない。「和」とは「調和」のことであり、たとえ対立があっても上の者が「和」を重んじ下の者がそれに倣えば「調和」に至る、と説いているのである。更に、そうした「調和」ができる世の中であれば何でも成就する、と言っている。決して、「みんなで仲良くしましょう」などという文ではない。「和(調和)」に至るように、それを特に上の者は目指すことを説いているのである。

まさに今の時代にも当てはまると思う。単に「仲良く」と説いているわけでは無く、いかに「調和」に至る努力が重要か、そしてその努力ができれば世の中は何事も成就する、という力強い条文である。また、それが第一条に来ていることに、聖徳太子の強い意志が現れていると思う。
余談だが、陰陽道で、9が陽、8が陰、の最高数字のため、それらを足した17が最強の数字とされる。これが「17条憲法」の理由である。以後、大日本帝国憲法までこの17という数字は必ず意識されて作られている。

(2) 明治維新の五箇条の御誓文(明治元年:1868年)

幕末明治の「憲法」には2種類あると思う。一つは当然「大日本帝国憲法」だが、もう一つが「五箇条の御誓文」である。明治政府が発足し間もない頃に、憲法に先立つこと22年前に、出された。それを見てみる。

明治天皇
明治天皇

五箇条の御誓文は1868年に、「明治天皇が天地神明に誓う」という形で発布されたものである。「御誓文」とあるのは、明治天皇が神仏に対して誓ったものであり、発足したばかりの明治政府にとっての宣言文である。

1868年は「一回やろうや」で覚えるそうだが、まさにその年は、慶応4年であり明治元年でもある明治政府がスタートした年である。徳川慶喜の大政奉還はその前年になされ、徳川幕府後の体制は決しつつあったが、これから国の体制を作り欧米列強に対抗すべく有色人種初の挑戦が始まる、まさに激動の幕開けとも言える年である。日本最大の内戦である戊辰戦争は、この後である。
明治天皇や明治政府の元勲にとって、明治政府が成るまでの激動はあくまでプロセスであって、これからが本番であることが念頭にある。

その中で、天皇陛下の神に対する「御誓文」という形で発布したのが、五箇条の御誓文である。作成は福井藩士の由利公正(ゆりきみまさ)、校正は維新3傑の一人、長州藩の木戸孝允(きどたかよし)と言われる。

五箇条の御誓文
五箇条の御誓文

添付画像は全文と現代語訳例である。内容を見てみると、当時の明治天皇と明治政府の悲痛なまでの宣言が見て取れる。
最も有名な第一の「万機公論に決すべし」は、まさに聖徳太子の17条憲法の「和(調和)をもって貴しとすべし」と全く同義である。こうした日本の過去の歴史を踏まえて作られている。

個人的には、これこそ日本の国のあり方を規定するという意味での「憲法」としてふさわしいとも言える内容ではないかと思う。憲法を「不磨の大典」のようにして意味の無い議論をしている今を見ていると、これくらいシンプルにして、あとは法律で決めればいいと思うのは乱暴だろうか。
ただ、第5条の「天皇」のところで、「軍国主義が」と噛みつく人がいるだろうが・・・。

5.古事記の「天岩戸(あまのいわと)」と17条憲法

少し話はそれるが、古事記にある「天岩戸(あまのいわと)」の話に触れたい。

天岩戸の話は有名な話だが、単なる物語ではないようである。当時の時代背景や、その出来方を見ていくと、非常に重要なメッセージが込められている物語であることがわかる。

非常に簡単にではあるが、天岩戸の「岩隠れ」の話を紹介したい。

天照大神の岩戸隠れ
天照大神の岩戸隠れ

天照大神(あまてらすおおかみ)の岩戸隠れ

神様の国で、弟の須佐之男命すさのおのみことの悪行にたまりかねた姉の天照大神あまてらすおおみかみ(以下「アマテラス」)は、岩に入って閉じこもってしまった。アマテラスは太陽の神様のため、それにより神様の国は真っ暗となり、神々は困ってしまった。

そこで皆で集まり協議した。結果、知恵者の思金神おもいのかねが中心となり、それぞれの役割を決めた。女神である天宇受売命あめのうずめのみことに裸踊りをさせて大騒ぎをして、アマテラスがそれに惹かれて岩戸を開けたら、天児屋命あめのこやねのみこと布刀玉命ふとだまのみことが鏡(八咫鏡やたのかがみ)を用いて誘い出し、力持ちの天手力男神あまのたじからおがアマテラスを出して岩を閉じる、というもので、見事その通りになり、アマテラスは以後岩戸に閉じこることはなくなった。

実際の話はもっと詳細であり、生々しくて面白い。興味のある人は是非見てもらいたい。
ここで言いたいのは、古事記がこれにより表現したかったことは、これが日本最古の「国会」であるということである。話し合いによって物事を決めて、役割分担をしっかり担うことでことが事が成就する、ということを物語で表現しているという。

まさに、聖徳太子の「十七条憲法」の第一条の「和を以て貴しとなす」と意味が一致する。
違う時代に作られたものが、ここまで一致することに本当に驚愕する。古事記が変遷されたのは、712年で、聖徳太子の時代(574~630年)から100年近く後である。変遷したのも、聖徳太子とは関係の無い太安万侶(おおのやすまろ)である。

 

6.今後のあるべき方向性

(1) 日本における「憲法」とは「権力者を縛るもの」か?

「憲法」は国家権力を縛るためにある、という論がある。特に立憲民主党や、共産党がよく言うセリフである。しかしこうして2000年近くの日本の歴史を見ると、それは日本でいう「憲法」の感覚に合うのか?という疑問が沸く。
 イギリスに限った話では無いが、王室が率先して他国と戦争し略奪・虐殺をしていたのとは違い、日本の歴史上で天皇陛下がそのような悪行を行ったという歴史は、少なくとも私は知らない。むしろ天皇陛下がその規範を示すとして位置づけられ、それをいただく形で国がまとまり、為政者が自制しているのである。そしてその統治を「知らす」かたちで、古事記・日本書紀などの文書が機能し、時代の為政者達がその影響を受けている。

もちろん憲法の要素として、規範的な要素だけではなく、権力者を縛る規定もあり、どちらか一方だけということは無い。ただ日本は規範的要素の側面が大きいと思う。2000年近い日本の歴史を見ていくと、常に「権力者はこうあるべき」として規定し、しかも権力者達はそれに向かって努力するという、非常に誠実な歴史があるように思う。

そうした歴史を知った上で、憲法典けんぽうてんとしての要素が強い、現在の憲法を考えることが重要と思う。

(2) 現在の憲法改正論議に思う

私も含めて、憲法の議論はややこしいのとタブー視されがちで、あまり話題にしない。また、「憲法」というと条文のことしか頭に浮かばず勉強する気になれない。憲法」を「国の形」としてとらえる発想がない。

しかしこうして歴史を見てくると「国の形」として非常に重要なものであり、日本の時代の節目の都度、真剣に議論・検討されてきている。それは、「憲法」という名がつかづとも、2000年も前から真面目に議論し、日本人らしい表現や考え方でまとめられたものである。日本人が誇るべき「国の形」と思う。世界でもここまで古くから議論している国はない。

「憲法は必要か」「憲法とはそもそも何か」を問える知識を持った上で、「憲法改正」に臨む国民でありたい。憲法を変えるのは、国会ではなく、「国民投票」なのだから。

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