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「学ぶ」とは何か考える ~「学ぶ」ことは「真似(まね)る」からスタート~

「まな(学)ぶ」の語源は「まね(真似)ぶ」という説から、「学び」とはなにか、考える

「学ぶ」というと、どうしても学生の「勉強」を思いがちだが、学生だけでなく社会人でも、「学び」の連続と思う。私は仕事も「学びの場」としてとらえている。そうすると仕事も違って見えてくるし、自分の成長にもつなげられると思う。
ではそもそも「学び」とはなにか、とまとめてみた。是非、お付き合いを。

1. 学問も職人の世界も仕事も、まずは「真似る」ことから「学ぶ」が始まる

日々の生活で「学ぶ」ということは、学生でなくても常にある。むしろ社会人になると、いろいろな「学び」があるし、学生と違い自分から意識して「学びにいく」姿勢がないとなかなか上達がない。
また、仕事を「お金のためにやる作業」ととらえず「学びの場」としてとらえると、仕事も違って見えてくると思う。

「まなぶ」と「まねぶ」
「まなぶ」と「まねぶ」

では「学ぶ」とはそもそもなんだろうか?

「学ぶ(まなぶ)」の語源は「まぶ」(まねる)という説がある。「まねぶ」という表現は平安初期の文献等から使われていたのは間違いないようである。ただ、「まねぶ」=「真似まねる」が先で、その後「学ぶ」に至ったか、そのあたりははっきりしないようである

しかし、「学ぶ」ということは「真似まねる」ことである、という考え方は、語源に頼らなくても、本質を突いた考え方と思う。

とかく現代に生きると「現代技術は新しい発明」と考えがちだが、中身を見ればすべて「過去の蓄積の産物」と言うことが見える。AIにせよ、インターネットにせよ、核エネルギー技術にせよ、すべて過去の蓄積から導き出されたものといえる。

土台から応用へ
土台から応用へ

また、伝統技術の継承も武道の習得も、スポーツの上達も、まず始めることは「先輩の技術を見て盗むこと」といえる。つまり「真似まねる」ことがスタートになる。

「学ぶこと」は「真似まねること」がスタートと考えれば、「学ぶこと」に対するハードルが少し下がるように思う。いきなり、何もかもゼロからスタートすることが「学ぶこと」ではなく、まず「真似まねをすること」から始めると考えれば、目標が立てやすいように思う。
少し実例を見てみたい。

2.天才棋士 羽生善治(はぶ よしはる)氏の言葉

羽生善治(はぶよしはる)氏
羽生善治(はぶよしはる)氏

天才棋士と言われる羽生善治(はぶ よしはる)氏は、誰も思いつかないような「ひらめき」で周囲を驚かせるような一手を打ち、将棋界だけでなくその発想や思考力は大きな話題となった。

羽生善治氏を語ると、天才のひらめき・過去にとらわれない斬新な将棋、と言われたりする。まるで、羽生氏がオリジナルの発想で一手を思いついているかのように言われる。
しかし、羽生氏は「過去の蓄積」があってこその「ひらめきの一手」があるという。2015年の対談で、井山裕太棋聖と羽生善治王座が交わした会話で次の発言があった。

新しいアイデアや発想といっても、大部分は過去にあったものの中の今までになかった組み合わせだと思います。

2015年11月6日の日本経済新聞の BUSINESS INOVATION FORUM  の羽生氏の発言

当たり前のことではあるが、天才と言われる人も、過去を学ばずに天才になった訳ではない。真似まねる」ことを基礎にした上で、はじめて「ひらめき」の一手が導き出される。羽生氏の言葉は、当たり前ではあるが、天才と言われる人から改めて言われると重みを増す。

3.仕事に見る「学び」

私は仕事で日々プログラミングを行うが、ここでも「学び=真似まね」の連続と感じる。

現場からのニーズに対してどのように対応するのか、まず見る・考えるのは自分自身の「過去のプログラム」であったり「過去のソリューション」を用いる。
またそこに答えがなければ「他者のプログラム(ソリューション)の例」を調べる。そこから実例を引き出し、現状で直面するニーズに対応するためにどれが一番近いか調べる。そして、その方法と現状で直面するニーズと合致しない部分に修正を加えることで、現状のニーズに100%マッチした方法でプログラムを組む。

プログラミングと学び
プログラミングと学び

プログラミングに限らず、仕事に関することは常に「学び=真似まね」から始まると思う。人の仕事を引き継ぐとき、あるいは、仕事の改善を行うとき、は、とにかくまずは「現状のやり方」を学ぶ(=真似まねる)。その上で、自分のやり方あるいは改善の方法が導き出される。
まれにゼロからスタートの仕事はあるが、それも「過去の自分の体験」あるいは「類似の業務の応用」として話を聞き、そこから理解・発展させる。つまり、無意識に「真似まね」からスタートしている。

ただし、あくまで「真似まねる」は最初の段階に過ぎない真似まねる」がある程度済めば、その「真似まねる」を基礎にしていろいろ仕事を変えたり工夫したりすることが出来る。そうすることで、自分の成長にもなり、仕事が「学びの場」としてとらえられると思う。

4.「不易流行(ふえきりゅうこう)」(松尾芭蕉の言葉)、「温故知新(おんこちしん)」に見る「学ぶ」

江戸時代の俳句の大家、松尾芭蕉の言葉に『不易流行(ふえきりゅうこう)』という言葉がある。(詳しくは過去記事➡『不易流行』の精神を・・・参照)
意味は、

不易ふえきすなわち、変えてはならない伝統やしきたりを知らなければ、基礎が成り立たない。
しかし、流行すなわち時代の変化に沿った新しさも知らなければ、新たなものは生まれない。
不易流行(ふえきりゅうこう)
不易流行(ふえきりゅうこう)

というものである。この言葉も「学び」とは「真似まねること」であり、新たなものを生むのは過去を学び基礎を積まなければいけない、という王道を伝えたものと思う。

ここでは「流行」(新しきもの)を生むには変化に対応しなければならない、としているが、先に「不易」(変えてはならない伝統等)を伝えていることは、「基礎」なくして「新たなる物」はない、と表現しているといえる。

まったく同じ言葉として温故知新(おんこちしん)が上げられる。論語で言われる有名なこの言葉の意味は

故きを温ねて新しきを知る
「以前学んだことや、昔の事柄を今また調べなおしたり考えなおしたりして、新たに新しい道理や知識を探り当てること。」

である。すなわち、過去に学ぶことの重要性を指摘している。こちらの方が広く一般に知られた言葉だが、「学ぶ」という視点でみても意味の深い言葉と思う。

5.「学ぶ」ことを楽しみたい

「学ぶ」というと、どうしても「勉強」を考えがちだが、仕事も人生も「学び」と思う。そしてその入り口は常に真似まねる」ことにある、というのは、意識したい。「真似まねをする」ということが「学び」と考えれば、決して「学び」のハードルは高くないことに気付く。

そして「真似まねる」ことの先にある応用なども含めた「学び」に入ると、自分の物になり自分なりの知識や技術になって行く。それを楽しめると、仕事にしても勉強にしても違った角度で「楽しんで」見られるようになるように思う。

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