「二十四節気」から日本の四季と「星座」とのつながりを見る
二十四節気を取り上げたい。時々は耳にするこの「暦(こよみ)」は季節を表わす情緒的な物として捉えることも出来るが、その成り立ちや意味を見てみると、実は太陽の軌跡に応じた非常に「科学的」なものであることが分かる。発祥は大陸からだが、日本が古代から使い続けている「二十四節気」をまとめてみた。是非、ご覧を。
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1.二十四節気とは
天気予報などでは時々聞くが、「二十四節気」とは何か、を意識することは少ないと思う。ご多分に漏れず私も、なんとなくしか理解していなかった。しかし、見てみるとなかなか興味深い。
まずは、「二十四節気」とはなにか、具体的に見てみたい。
上記の図にあるとおり、一年を24等分してその時々の季節の様子を示したものである。それぞれの意味はあるが、まずは漢字を見るだけでもそれなりに理解できると思う。特に「冬至」や「夏至」はなじみが深いと思うし、「春分」や「秋分」はそれぞれで祝日なので知らない人はいないだろう。
ただ気をつけたいのは「二十四節気」のそれぞれの名前は「その日を表わす」だけでなく、「次の節気までの期間」を表わす。
例えば「春分の日」は今の暦では3月21日だが、「春分」とはその日を表わすだけでなく、次の「清明」までの、3/21~4/4の期間を表わすことになる。それもあって、どうしても「暦の上では」と聞くと感覚より早く感じる。しかし、その日から次の「節気」までの期間を表わすと考えると、それほどおかしくもない気がする。
それほどに日本に根付いているこの「二十四節気」はいつ生まれどのような物か、見ていきたい。
2.2千年以上前に生まれている二十四節気の生まれた背景と日本
二十四節気の歴史は相当古い。シナ大陸(現在のChinaの地域)の黄河流域で発達したと言われる。時期は大陸での「春秋戦国時代」と言われる頃で、西暦で言えば紀元前700年頃からの時代である。
当時の人々が季節が動くことと太陽の動きに合わせて、「暦(こよみ)」として発展させていった。まさに「カレンダー」であった。
日本では、最古の書といわれる「古事記・日本書紀」(それぞれ西暦712年、720年に奏上)の日本書紀に二十四節気の記述がある。そのため、かなり前からの日本でも活用されていたことは間違いない。特に平安時代には「和歌」にも用いられ、深く日本に根付いていった。
ただ、その発祥が大陸の黄河流域のため、「二十四節気」はどうしても日本の季節とは当てはまらない部分もある。そのあたり時代によって少しずつ工夫が為されて、日本流にアレンジされた、と言う歴史をたどっている。そうした過程もあって、古代から平安から江戸から、深く日本に根付いた「カレンダー」が「二十四節気」である。
3.それぞれの意味から季節を思う
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二十四節気は、漢字を見れば大体の意味は分かるが、難しい漢字も多いし、聞き慣れない物も結構ある。意味を含めて表にすると次の表になる。
意味の取り方はいろいろあると思うが、分かりやすい物をまとめてみた。
一年まとめてみてみると、季節の移り変わりを感じさせるように工夫して名付けられていることに気づく。いくつか特徴的と思う物を挙げてみた。
この「節気」は「虫たちが土から出てくる」というもので非常に印象深い。時期的にも今の日本の季節にも合う気がして、親しみが持てる。
【 清明(せいめい)】4/5~4/21
春の芽吹くこの頃を「清らかで明るい頃」として「清明」としたのなら、名付けた人々の気持ちがこもっていて印象深く感じる。
なお、陰陽師(おんみょうじ)で有名な安倍晴明(あべのせいめい)は字が違うのでご注意を。
【 芒種(ぼうしゅ)】6/6~6/20
これは読めない「節気」の一つだが、意味を知ると面白い。「種をまく頃」とするのなら、まるで宿題のような名前の付け方に思える。先人達の生活感がうかがえる。
【 (冬の節気) 】
冬の節気は「立冬」「小雪」「大雪」「冬至」「小寒」「大寒」、とすべて「寒い」という気持ちがひしひしと伝わってくる。とにかくシンプルなのが季節感を表わしている。ただ、最近は冬が寒くなくなってきたので、現代の季節感とは少し異なる気がするが。
このように「節気」を見てみると、一年が見えて面白い。これに「花の季節」をあてて季節を感じる人もいる。いろいろな理解の仕方がある「暦」と思える。
この投稿をしている5月の二十四節気は「立夏」と「小満」である。「立夏」は夏の始まりを意味し、「小満」は木々が生い茂り力が満ちてくる様子をいう。
4.覚え方は、①二至二分と、②四立
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どうせなら、ある程度覚えていきたいところだが、24つあると、必ずしも簡単には頭rに入らない。ただ、ポイントの押さえ方は非常に単純である。
まず「二至二分」で季節の中心を捉えて、その後に「四立」がそれぞれの季節の頭にあると覚えるといい。
「二至」とは「冬至」と「夏至」のこと。「冬至」は一番寒い時期で太陽が最も短い日であり、「夏至」は最も太陽が長く暖かい日である。まず典型的な「夏」と「冬」を定義する。
「二分」とは「春分」と「秋分」である。祝日なのでなじみ深いこの二つは、要するに「夏と冬を二分」した季節である。夏と冬を分けた結果としての春と秋という、それぞれの季節を代表する日であり時期である。
【 四立(しりゅう)】
「四立」とは、先の4つの季節に入る最初の時期でをいう。まさに季節が「立つ」頃を指す。「立春」「立夏」「立秋」「立冬」と、それぞれの季節に入る時に「立」がある。
この「二至二分」と「四立」を合わせて「八節」といい、季節を表わす時期として、明確に位置づけられる。その「八節」の一年の位置を見ると、明確にそれが分かる。すべて対角線上に位置づけられている。
次の図を見て欲しい。
図がごちゃごちゃとしてしまったが、まずは「二至二分」があり、その間に「四立」があるのが分かる。すべて対角線上にあり、明確に分かれている。これら「八節」という柱から成るのが、「二十四節気」である。
このように見てくると、二十四節気は決して季節を情緒的に捉えた「感覚的」なものではなく、太陽の動きに合わせて日の入り時間を捉えた「理系的」なものであることが言える。「二十四節気」は決して「季節をなんとなく表現した」ものではなく、太陽の動きに合わせて明確に分類された「科学」あるいは「天文学」といっていい分類なのである。
5.更に分割した「七十二候」
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このように、「暦」として明確に太陽の位置関係から成る二十四節気だが、今の時代で言う「カレンダー」には少し荒すぎる。そこで出てきたのが「七十二候」である。
「七十二候」とは、二十四節気の一つ一つを更に「3分割」して名付けたものである。この七十二候は江戸時代に改良が加えられ、漢文を離れ日本人に馴染むようになっている。個人的には、ここまで来ると知らない物が多い。
この七十二候の一つ一つは、約5日の期間を表わす。これは、地球が太陽の周りを一周する「360°」を「72等分」することから「360÷72」で5日分となるのである。もちろん実際には「365日」であるから、厳密にそれぞれ5日ではなくその補正がされている。しかし大まかな理解として、二十四節気も七十二候も太陽の動きに合わせて作られた暦であることが、この分割の仕方からも分かる。
6.二十四節気はそのまま、太陽の「黄道」であり西洋の12星座と連動
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このように、二十四節気などの昔の暦は、明確に太陽の動きを観察した上での暦であることが分かる。
理科で学ぶ「天球」と言う考え方がある。地球を中心として宇宙を球体で見た物で太陽の動きを明示的に表わす。地球を中心とした場合に太陽が動く軌跡を「黄道(こうどう)」と言うが、二十四節気はその「黄道」に的確に当てはまる。
先の表にあるとおり、二十四節気に太陽の通る道の経度である「太陽黄経」を加えると、それぞれ「15°」間隔となる。その15°を更に3つに分ければ「5°」になり、それは「七十二候」の一つの「候」の日付に一致する。
このように太陽の軌道に一致する考え方と同じ物に、西洋での「12星座」に代表される星座がある。12星座はそれぞれが季節ごとに異なり、その期間で割り当てられている。そしてそれは見事に二十四節気とピタリと合う。
両者とも「太陽」を起点に考察されたものであるから、当然と言えば当然なのだが、洋の東西で全く同じような暦の基礎を持っていることは非常に面白い。
7.「二十四節気」を意識してみよう!
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このように見てくると、先人達の知恵に驚かされる。「科学技術」はなかったも知れないが、十分「科学」はあったといっていいのではないだろうか。そして、それに「二十四節気」という生活に根ざした命名をしていた想像力には、まったく現代に引けを取らないどころか、優れているとさえ思える。
今ではあまり「二十四節気」を意識することはないかも知れない。しかしこの暦は、大陸で生まれた後に日本で2千年もかけて使ってきた暦であり、また、それは、先人達の知恵により科学的根拠に基づくものでもある。
季節を見るとき、こうした歴史を思いつつ二十四節気にも意識できれば、と思う。
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