「遠き慮(おもんばか)りなければ、必ず近き憂(うれ)いあり(論語)」に思うこと。
論語の一節を取り上げる。
左が原文と書き下し文である。読んで字のごとくではあるが、訳文例は下記の通り。
「遠いところまで見通して対策を考えておかないと、近いところで足元をすくわれることになる」
この言葉も私にとって、何かの行動、決断をするときに必ず意識する言葉の一つである。自分の人生において、今を考えることも重要だが、やはり常に5年後、10年後を意識した行動を心がけたい。日々の忙しさの中で、「遠き」を「慮(おもんばか)る」ことがなかなかできない世の中ではある。しかし、大人になった今も常に自分の先をそれなりに意識して、行動していきたい。
仕事でも同様と思う。目の前の仕事を片付けることばかりをしていては、ロボットと同じになってしまう。今のままでいいのか、半年後・一年後はどうありたいのか、そんなことを考えると、仕事の見え方も変わってくると思う。
具体的に、「遠きを慮(おもんばか)る」とは何か。人それぞれとは思うが、師走となった今の時期でいうならば、一年を振り返ることと来年を思うこと、のように思う。自分は一年何をしてきたか、そして来年はどんな一年にしていくのか、そんなことを考えることが、一番素朴なところではあるが、大事にしたいと思うことでもある。
一年を「遠き」とするには短いと思う人も居ると思う。もちろん一年に限らず、「長い計画」を立てることもあると思う。しかし、やはり「一年」あっての「長い計画」のように思う。「一年」を振り返り「次の一年」を計画する、それがまず行える「遠きを慮(おもんばか)る」ということ、と自分は理解している。
足元を見ることも重要と思うが、足元「ばかり」を見ていては全体が見えない。最初から「遠き」を意識した上での「足元」であるべきで、そのように時間を使っていきたいと思う。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。