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「天知る地知る、我知る己(おのれ)知る」に思う

伊勢神宮 宇治橋からの日の出

「天知る地知る、我知る己(おのれ)知る」に思うこと

私が、亡き父から数十回は言われた言葉を取り上げたい。

「天知る 地知る、我知る 己知る」とは

この言葉は、私が幼少の頃から、亡父に何度となく言われた言葉である。よく覚えている。

本来は「天知る地知る我(われ)知る子(なんじ)知る」らしい。China(中国)の故事で後漢書にあった言葉のようである。何か悪いことなどをしても、「天や地で見られている。そして自分も人も知っている。悪事は必ず露見する」といった意味である。

ここで前提として、有名な孔子の「論語」もそうだが、スタートが大陸でも、大事に語り継ぎ日本で育てられたものは多いと思っている。

ということで、この言葉を見ると、非常に日本的な響きを感じる。「天知る地知る」とは「ご先祖様や自然が見ている」という言葉に置き換えられて理解されているのではないだろうか。そして「我知る子(なんじ)知る」である。「自分や人も見ているよ」という言葉である。

何事にも感謝し「お天道様が見ている」的な考えは薄れてきたとはいえ、今も日本人が持っている大事な美徳と思う。宗教の強い国は、それを宗教に求めるが。

伊勢神宮 宇治橋からの日の出
伊勢神宮 宇治橋からの日の出

私としては、亡父から幼少の頃から言われ続けた言葉で理解し、大切にしている。

「天知る 地知る、我知る 己(おのれ)知る」

父が、なぜ最後を「己(おのれ)知る」としたか、若しくはどこかの先生がそう言っていたのかは今ではわからない。しかし、幼少の頃から私としてはこの「我知る己(おのれ)知る」が非常に印象的だった。
「自分が知り、己(おのれ)が知る」ということをあえて2回言っていることが、印象深かった。だからこそなのか、この言葉で私が一番強く縛られるのは、この「我知る己(おのれ)知る」である。

「天知る地知る」では、なにか「『他人に見られる事』に対する恥を知りなさい」問われているようにも思える。
しかし「我知る己(おのれ)知る」は「自分が一番わかっているだろう」と問われているようで、非常に厳しいかつハードルの高い問い掛けのように思う。「人になんと言われようと、自分は裏切れない」といった意味合いも含んでいるように思う。

特にこれは、決断をするときなどに思う言葉である。大きな決断や人と違う判断をするときに「一般的には」とか「こっちの方が有利だから」とか考えることで「天知る地知る」は満たされるかも知れないが、「我知る己(おのれ)知る」の基準で見ると、満たされない場合がある。誰に何を言われようとも、「自分を納得させているのか」という問いかけをも求められているように思う言葉である。

「天も知り地も知り、自分も納得させる」ことを心がけながら、日々過ごしていきたい。そんな事を思わせる言葉として

「天知る地知る、我知る己(おのれ)知る」

をこれからも大切にしていきたいと思う。

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