- 2020-8-15
- ⑩ 昭和期-戦後
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8月15日は「終戦の日」と言われるが実際には「玉音放送」の日。昭和天皇の二つの「詔書(しょうしょ)」から学ぶ。
今年も8月15日を迎えた。いわゆる「終戦記念日」といわれるこの日は、先の第二次世界大戦、とりわけアジアにおける大東亜戦争を反省する日となっている。しかし、「終戦」といわれるこの日は間違った印象を持たれていると思う。毎年この日は、大切にしたいと思う。この日がどんな日で、それが起こった昭和20年がどんな年だったか、再度振り返りたい。
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1.8月15日の「終戦の日」とは
8月15日は日本人であれば必ず知っているだろう。いわゆる「終戦の日」といわれるこの日であるが、実際に「終戦」というイベントがあった日ではない。
8月15日とは、昭和20年(1945年)に昭和天皇がその前日に決定した「ポツダム宣言の受託」を国民に伝えると共に、「これからの日本を作ろう!」と力強く勇気づけた日である。いわゆる「玉音放送」(終戦の詔書)のあった日である。
「・・・耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」で知られる「玉音放送」だが、そんな苦しさだけを伝えた物ではない。この決断(ポツダム宣言の受託)から国民みんなで立ち上がっていこう、という力強いものだった。
その内容は断片的にしか伝わっていないように思う。正確には「終戦詔書(しゅうせんしょうしょ)」と呼ばれるが、当時の昭和天皇の言葉をしっかり見直して、当時の昭和天皇のお気持ち、先人達の思いを偲(しの)びたい。
「終戦の日」としてではなく、日本を代表した天皇陛下が、散っていった先人達そして残された人達の気持ちを「代弁」して決意を説明された日として。
2. いわゆる「玉音放送」である「終戦の詔書(しょうしょ)」の全文
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この8月15日はいわゆる「終戦記念日」として定着しているが、先にも述べたとおり実際には、天皇陛下による「玉音放送」が行われた日である。では、その「玉音放送」の内容はどんなものだったのだろうか?
私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、緊急の方法でこの事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。
私は政府に対し、「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。
そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有することは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。だが、戦争はすでに4年も続き、我が陸海軍の将兵は勇敢に戦い、多くの役人たちも職務に励み、一億臣民も努力し、それぞれが最善を尽くしたが、戦局は必ずしも好転せず、世界情勢もまた日本に不利である。それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、罪のない人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知れない。なおも戦争を続ければ、我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。そのようなことになれば、私はどうして我が子のような臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪できようか。これが、共同宣言に応じるよう政府に指示した理由だ。
私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。日本臣民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、またその遺族のことを考えると、悲しみで身も心も引き裂かれる思いだ。また、戦争で傷を負い、戦禍を被り、家や仕事を失った者の生活も、とても心を痛めている。これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民みなの気持ちも、私はよくわかっている。けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。
私はここに国体を護ることができ、忠実な臣民の真心に信じ、常に臣民とともにある。もし、感情のままに争いごとや問題を起こしたり、仲間同士が互いを陥れたり、時局を混乱させたりして、道を誤り、世界の信用を失うようなことになれば、それは私が最も戒めたいことだ。国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、神国(日本)の不滅を固く信じ、国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。あなた方臣民は、これが私の意志だとよく理解して行動してほしい。
これが全文である。最も有名な
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」
ばかりが取り上げられるが、むしろそれは本文の本題ではない。是非、全文をしっかりと読んでほしい。天皇陛下が自制的に国民に呼びかけ、そして、「武器を持って争うことをやめよう」と宣言したものであることかがわかる。
決して「敗戦」でもなければ「降伏」でもない。あくまで「戦争をやめることを決断した」とし、そして、その後の日本を明るいものにしようという天皇陛下のまさに「詔(みことのり)」(お言葉)であったのである。
これを見ただけでも、如何に天皇陛下が戦争に対して否定的であり、また、欧米列強の野蛮さに対する危機意識を強く持っていたかがよく分かる。そして、その上での日本国民の振る舞いについて、極めて理性的に国民に語りかけたものであった。
3. 「玉音放送」の昭和20年(1945)とは?
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大東亜戦争による日本人の戦没者は300万人ともいわれる。途方もない人数だが、内容は市民への虐殺も相当含まれる。沖縄での地上戦、広島・長崎への原爆、東京大空襲、など、まさに「国の危機」だった。そしてそれが一気に進んだのは昭和20年だった。
主な出来事をまとめた。
昭和20年(1945)はすごい年だった。ヨーロッパでの戦況がはっきりするにつれ、日本への「侵攻」がいよいよ本格的になった。年表を見るだけでも、どれだけひどい状況だったかが良くわかる。
そこまでの状況で、日本では誰も戦争を止められなかった。今の日本人にも言えることだが、一度始めたことをやめることを決断するのは、いつの世でも難しかった。それを止められるのは、天皇陛下しかいなかったのである。本来は内閣がすべき決断を、天皇陛下に押しつけた、というのが「玉音放送の舞台裏」と言っていい。
4.その翌年(昭和21年:1946)の昭和天皇のお言葉「新日本建設ニ関スル詔書」に見る日本の当時と今
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私が「終戦詔書(しょうしょ)」を見るとき、必ず見るもう一つの「詔書(しょうしょ)」がある。激動の昭和20年が終わり、GHQの統制下に入った日本で初めて迎えたお正月に、昭和天皇が出した「詔書」である。
世の中では、天皇陛下の「人間宣言」という訳の分からない題目が付くが、内容がすばらしい。是非見て欲しい。
ここに新年を迎えました。
かえりみれば明治天皇は、明治のはじめに国是として五箇条の御誓文を下されました。
そこには次のように書かれていました。
一、広く会議をおこし、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして盛んに経綸(=経済活動)を行うべし。
一、官武一途庶民に至るまで、おのおのその志をとげ、人心をしてうまざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一、知識を世界に求め、おおいに皇基を振起すべし。
明治大帝のご誓文は、まことに公明正大なものです。
これ以上何をくわえるのでしょうか。
朕は、ここに誓いを新たにして、国運を開こうと思います。
私たちはもう一度、このご誓文の趣旨にのっとり、旧来のわるい習慣を去り、民意をのびのびと育て、官民あげて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もって民間生活の向上をはかり、新日本を建設するのです。
大小の都市が被った戦禍や、罹災者のなやみや苦しみ、産業の停滞、食糧の不足、失業者の増加など、現在の状況はまことに心をいためるものです。
しかし、私たち日本人が、いまの試練に真っ向から立ち向かい、かつ、徹頭徹尾、文明を平和の中に求める決意を固くして、結束をまっとうするなら、それは、ひとりわが日本人だけでなく、全人類のために、輝かしい前途が開けます。
「家を愛する心」と「国を愛する心」は、私たち日本人が特に大切にしてきたものです。
いまや私たちは日本人は、この心をさらに押し広げて、人類愛の完成に向かって、献身的な努力をしていくときです。
私たちは、長かった戦争が敗北に終わった結果、ややもすればいらいらと焦ったり、失意の淵によれよれになって沈んでしまいそうになるでしょう。
だからといって、過激な言動に流され、道義心を喪失し思想を混乱させてしまうのは、心配にたえないことです。
朕は、常に汝ら臣民とともにあります。
朕は、常に皆さんと利害を同じくして、喜びも悲しみも一緒にわかちあっています。
そして、朕と汝ら臣民との間のきづな(=紐帯)は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれているものです。
それは単なる神話と伝説によって生じているだけのものではありません。
このことは、天皇をもって現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有するなどという架空の観念に基づくものでもありません。
朕の政府は、国民の試練と苦難とを緩和するために、あらゆる施策と経営とに万全の方策を講じます。
同時に朕は、わが国民が、当面する難題に対処するため、心を定めて行動し、当面の困苦克服のために、また産業および学問、技術、芸術などの振興のために、ためらわずに前進することを希望します。
わが国民がその公民生活において団結し、互いに寄り合い、援けあい、寛容で、互いに許し合う気風を盛んにするならば、からなず私たち日本人は、至高の伝統に恥じない真価を発揮することができます。
そうすることで、私たちは人類の福祉と向上とのために、絶大な貢献をすることができるのです。
一年の計は元旦にあり、といいます。
朕は、朕の信頼する国民が、朕とその心を一にして、みずから奮い、みずから励まし、もってこの大業を成就することを願います。
御名 御璽
昭和21(1946)年1月1日
読めば読むほど、昭和天皇の平和への思いの強さと、国民を奮い立たせるための気遣いの深さを思い知らされる。
今の我々にも十分通じる、力強いお言葉と決意と思う。この決意を共有できれば、日本は必ず良くなっていくと信じている。
驚くことに、これが天皇陛下による「人間宣言」として伝わっているものである。「人間宣言」と呼ぶのは好きにしてくれればいいが、この内容を見てそれしか思わないでは、あまりに理解力がないのかわざと曲がってみているかとしか思えない。
それほどまでに、天皇陛下は国を憂いまた大きく奮い立たせるべく発言し行動していたことがよくわかる。今の我々はそれを受けてどのように行動しているのだろうか?
5.そして令和の新時代へ受け継ぐ者として
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こうした先人たちの強い思いと深い考えがあっての、8月15日であった。感情論だけでなく、あの戦争がなんであったが、そしてそれを終わらせる上での議論はどうであったか、そうしたことを振り返る日のきっかけとして、8月15日を迎えたい。
昭和天皇を含めた先人達の思いをしっかり引き継ぎ、誇りある日本を作っていくことを、この8月15日を心に刻みながら進んでいきたい。
コメント
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久しぶりに、遊就館図録を読んでみようと思います。
君子は居るに必ず郷を撰び、遊ぶに必ず士に就く。
敗戦ばかりに目を向けず、祖国を誇りに思う日にもしたいですね。
本当にそうですね。「下を向く」だけでは何も始まりません!
改めて両詔書の素晴らしさを認識しました。分かりやすい掲載感謝です。
今年も正午に黙祷しようと思います。
昭和天皇の詔書は、現代で見ても本当に勉強になります。
難しい局面でも、皆に「上を向いて進もう」という言葉は、今の難しい時代にも当てはまると思いますね。
個人的には、現在の経営層が是非見るべき教科書のようなものと感じます。