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イーロン・マスクが尊敬する「テスラ」という人物とその人生 ~「交流」を生み出した天才~

イーロンマスクが尊敬する、天才と呼ばれた「ニコラ・テスラ」とその人生を見る ~「交流」を生み出した天才~

「テスラ」というと、どうしてもイーロン・マスク氏の電気自動車の「テスラ」を想像してしまう。しかし、その「テスラ」は「二コラ・テスラ」という天才にちなんで付けられた名前である。19世紀の天才、そして現在の我々の電気の基礎を作った大発明家でありながら孤独な死を迎えた「二コラ・テスラ」、その奇抜な人生を見ていきたい。是非、お付き合いを。

1.テスラとは?

テスラとイーロンマスク氏
テスラとイーロンマスク氏

ほとんどの人は「テスラ」と言ったら、イーロン・マスク氏が率いる電気自動車の「テスラ」を想像すると思う。

しかし、この「テスラ」という名前は社名であり、その創業者のマーティン・エバーハードとマーク・ターペニングが尊敬する「ニコラ・テスラ」に敬意を表わして社名を「テスラモーターズ」としたことが、今日の「テスラ」となっている。

孤高の天才 二コラ・テスラ
孤高の天才 二コラ・テスラ

なお、テスラといえばイーロン・マスク氏だが、その創業期にテスラはマスク氏の出資によって支えられていた。大出資者だったのがイーロン・マスク氏である。そして、そのマスク氏も、エジソンと争い孤高の天才として存在した「ニコラ・テスラ」を尊敬する一人だと言われる

2.天才「ニコラ・テスラ」 とその人生

世紀の天才 ニコラ・テスラ
天才 ニコラ・テスラ

ニコラ・テスラ」とはどのような人物か。

とにかく一言で言えば「天才発明家」と言えるが、その中でも、20世紀を代表する発明家と言って間違いない。現在の「交流送電」の基礎を作り上げたという、人類に多大な影響を与えた「大発明家」である。

9歳年上の「トーマス・エジソン」と電流戦争という形で争い、信念を貫き通してそれに勝利した。その結果、現在の送電網はすべて「交流」である現在の世の中の「送電網」の父となった人である。そしてその発想は更に飛躍し、当時誰も考えもしなかった「電線なしで電気を飛ばす」すなわち「無線」を考えた人でもあった。

もっと評価されるべき人である。ただ、あまりに孤高であり、巨人エジソンと戦ったこと、極度の潔癖症や変人とまで言われた天才だったためか、現在ではあまり語られない。
しかし、「テスラ」といったら電気自動車ではなく、本来は「交流の産みの親」であり「無線を発想した人」この二コラ・テスラという巨大な人物の存在なのである。

テスラ生誕の地と「二相交流モーター」開発
テスラ生誕の地と「二相交流モーター」開発

ニコラ・テスラは1856年、当時のオーストリア帝国のスミリャン(現在のクロアチア)で、生まれた。幼少から神童とまで言われ、特に数学に秀でていたという。1875年、19歳の時にグラーツ工科大学に進み、そこで発電機とモーターに魅了されたと言われる。
その後、モーターの研究を進める中で「二相交流モーター」を26歳で開発した。これが、後の「交流電流システム」の原型となる。これをもとに交流電流による発電・送電のアイデアを発展させていった。

テスラの考えた二相交流モーター
テスラの考えた二相交流モーター(マイ大阪ガス HPより)

テスラは1884年(28歳)に、交流の送電方法を世界に広めたいという夢を胸に渡米する。渡米時点では所持金も殆ど無く、自分で詠んだ詩や飛行機械のアイディアに関する計算を記した書類といったような物しか持っていない状態であった。そんな中で、エジソンの「エジソン電灯会社」の求人を見つけ採用される。

エジソンは当時で既に巨大な存在だったが、そんなエジソンに対して真っ向から争う形になったのが、テスラの「交流による送電」の考え方であった。

エジソンは当時、直流による電力事業を展開していて、一方、テスラは交流による電力事業を提案する。社長のエジソンに対しても全くひるまず持論を展開したテスラは、結局、数ヶ月でエジソンの会社を退社することになる。これが後に始まる「電流戦争」の前段であった。
このエジソンとテスラの対立は個人的な確執もよるところも大きい。エジソンは「交流を完成させたら5万ドルのボーナスを出す」と約束した。テスラが研究を重ねて計画を完成させ、ボーナスの支払いを求めたところ、エジソンは「君はアメリカ流のユーモアがわかっていないようだな」と一笑に付しただけだった。これに対するテスラの怒りは大きかったといわれる。
一方でエジソンは高等数学を理解していなかったといわれる。天才と言われたエジソンだが、努力型のエジソンと、発想と天才型のテスラとは、水と油だったエジソンはテスラを恐れ、テスラは数学や化学を軽視するエジソンを評価していなかった。

エジソンとテスラ
エジソンとテスラ

その後、テスラは職を転々としつつも情熱を全く失うことなく、少しずつ研究を深め仲間を増やしていった。そして1887年(31歳)、独立したテスラは Tesla Electric Light Company(テスラ電灯社)を設立し、独自に交流による電力事業を推進して同年10月に交流システムの特許を出願する。
ここから、エジソンの「直流電流による電力事業」とテスラによる「交流電流による電力事業」との争いが始まる。これが「電流戦争」と言われるものである。

この「電流戦争」の結果は、テスラの勝利となる。現在の発電や電力送電はすべて「交流」である。テスラの理論の優位性は、120年近く経った現在も揺らいでいない。

3.電気の「直流」と「交流」とは?

電気において「直流」と「交流」という考え方は非常に重要である。電気とは、「電流」が流れることでエネルギーを得る。そして「電流」は読んで字のごとく「電気の流れ」であり、その流れ方に「直流」と「交流」の2種類がある。

理科で習うものであるが、なかなかこのイメージを付けるのは難しいかも知れない。どちらが正解でどちらが不正解という物ではない。電気の特徴として「直流」と「交流」があることを知っておきたい。

① 直流
直流」は直感的にわかりやすい。常に電圧が一定で電流は一定の方向で流れるものである。典型的なものと言えば「乾電池」を考えればあてはまる。

乾電池と直流
乾電池と直流

② 交流
交流」は少々わかりにくい。「交流」において電圧は周期的に変化し、電流もそれに応じて流れる。そのため、グラフで表すと波を打つ形のグラフとなる。
なぜこのような電流を作るかというと、発電の仕組みに基づく。発電機は昔懐かしい「電磁誘導」によって行われる。そしてそれは、交流の電気を生み出すのである。

電磁誘導と交流
電磁誘導と交流

上記の通り、電気を「直流」「交流」と2種類で使い分けて現在の電気・電力は構成されている。今では当たり前のこの概念が、わずか120年前には「交流」は存在せず、「直流」だけだった。テスラという天才が「交流」という考え方を提示し、産業にまで広げた結果が現在なのである。

4.エジソンとの確執 ~電流戦争(War of Currents)~

先に述べたとおり、エジソンは「直流」、テスラは「交流」と明確に分かれた。9歳差のどちらも「天才」と言われる二人は、真っ向から向かい合った。これが「電流戦争(War of Currents)」と言われる争いである。

トーマス・エジソンと二コラ・テスラの「電流戦争」
トーマス・エジソンと二コラ・テスラの「電流戦争」

テスラは、事業家のジョージ・ウェスティングハウスと共に交流による電力事業の優位性を主張し、社会システムを提示していった。それに対してエジソンは先に電気を製品化した巨大な実績と共に、直流電力事業を展開したていた。

しかし、電気の安全性等から交流支持派が増えて行くエジソンは直流電流の優位性を保つために、交流電流は危険だと広める活動を活発化させる。よく言われるのが、死刑用の電気椅子に交流電流を採用させようと働きかけるなどして、なりふり構わないネガティブキャンペーンを張った。対するテスラも100万ボルトの交流を自身の体に通すなど、安全性をアピールしていた。テスラは特に送電に関しては、交流の優位性を確信していた。

放電の下で読書する二コラ・テスラ
放電の下で読書する二コラ・テスラ

テスラの勝利には、巨大なバックの存在もあった。特にナイアガラの滝での発電をめぐる「ナイアガラフォールズ発電プロジェク(1893年)」で顕著にそれが表れるJ・Pモルガンロスチャイルドジェイコブ家など巨大資本家はテスラの「交流技術」に味方した。
結果、そこで作られた水力発電機はテスラの特許を用いてウェスティングハウス・エレクトリックが製作し、その銘板にはニコラ・テスラの名前が刻まれた。

現在の発電は、全世界で「交流」である。これは、テスラという天才が産みだし育てた技術の結果である。

5.孤高の天才ニコラ・テスラの人物とその人生

エジソンとの「電流戦争」を見ても、ニコラ・テスラという人物が、単に「天才」と呼ぶには足りないと人物と思える。自分の確立した理論で社会を変えることが出来る、と揺るぎない情熱を持ち、それを実現するだけの実行力のある人だったと思う
テスラは「交流」のみならず、「無線」の技術の研究も進めている。巨大な実験は失敗に終わったが、その考え方は現在の電気技術になくてはならないものである。

孤高の天才 二コラ・テスラ
孤高の天才 二コラ・テスラ

しかし、これだけの人がなぜ、現在において本来の「ニコラ・テスラ」ではなく、「電気自動車のテスラ」の印象しかないのだろうか。一つの理由が、彼の「人物性」にあるのかも知れない。天才は常に「孤高」であった。
異常なまでの潔癖症であったと言われ、端整な顔立ちで女性から人気があったにも関わらず生涯独身を貫く。家を持つことをせず、ホテルを転々としていた。お金に頓着することなくすべて研究につぎ込んだ。晩年は金銭苦に陥ったほどである。
また、研究も「人工地震を生み出す兵器」「宇宙との交信」など、常人の理解からあまりに飛んだ発想により「マッドサイエンティスト」といった評判もあった。

これだけの天才であり情熱家ではあるが、その極端なこだわりと正確から、「政治」あるいは「事業」という意味では人と連携を続けることが出来る人ではなかったようである。しかしそれは、テスラが「変人だったから」というのはあまりにひどい評価と思う「天才過ぎて理解されなかった孤高の天才」として、テスラを見たい

6.ニコラ・テスラを見て

興味が尽きないニコラ・テスラという人物は、20世紀最大の発明家、と言っていい。我々の生活に直接影響した技術をその知識と情熱で、実現までしっかり育ててくれた人である。

私がこの人に何か好かれるのは、これだけの名声をもっても「科学者」としての追求をやめず、本来なら得られた富も名声も省みず、唯ひたすら自分の情熱を追求し続けたその姿勢であり生き方に魅力を感じたからである。

ニコラ・テスラが亡くなったのは、滞在先のホテルであった。ニューヨークのマンハッタンのホテルで、86歳の生涯を閉じる。ホテルのメイドが部屋に入ってその死が発見されたという、寂しい状況だった。晩年は金銭苦に陥り、亡くなる数ヶ月前はベッドから出られない状況だったという。

一見は寂しい死に見えるが、私は尊敬すら覚える最期と思う。孤高の天才ニコラ・テスラは、自分の信じる物のみを見続け、孤高ゆえの死を迎えたんだろうな、と、想像する。

現在、イーロンマスク氏はとかく話題を呼んでいるが、「テスラ」という名に恥じないように、金融資本家に踊らされず、情熱と信念を持って行動する人と信じたい。

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