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奈良・京都の時代は平城京と平安京だけじゃない!【1】年表と「地図」から時代を読み解く

幻の都「長岡京」と平安京

奈良・京都の時代の真実を見る【1】地図と「都」から時代をみてみよう!

平城京・平安京といえば、奈良・京都と誰もが思う。しかし、実はその時代には「奈良・京都」だけではなく、他にも「みやこ」があった。我々の先人達は天皇陛下を中心としながら、ダイナミックに移動し生活していた。そんな我々の先人の歩みを、教科書から少し発展した形で見ていきたい。是非、ご覧を。

1.「平城京(奈良)から平安京(京都)に移動した」と単純に見ると間違う!「幻のみやこ」があった!

奈良と京都、どちらも1,000年を優に超えるお寺や神社をたくさん持ち、日本人の起源とも言える場所として、国内・海外から人気の場所である。
日本人としては、
「なんと(710年)見事な平城京」
「なくよ(794年)ウグイス平安京」
皆、頭にこびりついていると思う。これにより、奈良時代・平安時代(京都)と日本の文明が始まった、と記憶している人は多いと思う。

しかし、「平城京」すなわち「奈良時代」と言われるが、単純に「奈良」と見るのは間違いと言える。平城京の前に「みやこ」があり、また「奈良時代」は必ずしも平城京だけではなかった。
また、「平城京(奈良)から平安京(京都)」へ、ストレートに移動(遷都せんと)したのかというと、間違いである。実は、「幻のみやこ」という場所があり、そこが首都として機能していた。
つまり、

・平城京の前には「飛鳥・藤原京」があった。
・平城京の時代の中で、わずか数年だが「みやこ」として機能したみやこ」が3つもある。
・「平城京」から「平安京」に移動する前に、幻のみやこと言われる「長岡京」があった。

と言う事実がある。それらを見る事で、更に日本の歴史と我々日本人の祖先の歩みが見える。そして、地図を見ながらそれらを見ていくと、日本の歩みに触れることができる。

長岡京 恭仁京 紫香楽京
「都」の変遷

歴史を見る上では、「平城京(奈良)から平安京(京都)」とまず覚えた上で、実はそんなに単純な話ではなかった、ということを見ていきたい。日本のルーツを探る上でも欠かせない「みやこの移動」を見ていきたい。

2.奈良時代の「前」がある!

奈良市 東大寺の大仏
奈良市 東大寺の大仏

「奈良」というと、すぐに思いつくのは、やはり東大寺の大仏様と思う。

確かに、当時の「平城京」を代表する建物として「東大寺」があり、その強烈なシンボルとして大仏が建てられたことは間違いない。
しかし、一般に「奈良時代」と言われる「平城京」の時代の前に、「飛鳥時代」と言われる時代があった。

飛鳥時代」とは、東大寺よりもう少し南に位置する今の奈良県明日香(あすか)村、のあたりを中心とした地で政治が行われた時代を言う。すなわち、みやこ(首都)」が明日香村だった時代である。

飛鳥寺と東大寺
奈良市と明日香村
聖徳太子
聖徳太子

飛鳥(あすか)」と「明日香(あすか)」の呼び方・漢字の由来は諸説あり、ここでは割愛するが、とにかくこの明日香村を中心とした地に「みやこ」があった。これは「なんと(710年)見事な平城京」の前である。
どんな時代だったか、と言えば、誰もが知る聖徳太子の時代、と言えば一番覚えやすいと思う。そして、年代としていつ頃かと言えば、聖徳太子の時代として、聖徳太子が摂政に就任したという593年が目安になると思う。「国民(593)期待の聖徳太子」で覚えると覚えやすいかと。

聖徳太子を摂政として迎えたのは推古天皇で、その推古天皇が建てたという、「飛鳥寺」を中心とした「みやこ」があり、栄えた。歴史の教科書にあるとおり、この頃は「蘇我氏」が権勢を振るい、政治を思うままにした。そしてその蘇我氏の墓といわれる「石舞台」もこの地にある。また、そこには「日本最古の大仏」といわれる飛鳥寺の大仏がある。大仏の顔は、当時の流行か、典型的な仏様と少し違うのが特徴的な大仏である。

神武天皇や卑弥呼の時代など、更に遡るとまたいろいろな議論になる。しかし、「平城京」の前のみやことして、聖徳太子・推古天皇が活躍した時代は、奈良県明日香村を中心とした「飛鳥・藤原京」であったことは、明確である。
平城京との位置関係と共に見ておくと面白い。また、その視点で今の明日香村に訪れると、神社・お寺から感じる物は非常に多い。是非、「平城京の前のみやこ」として見て回ることをお勧めしたい。

3.「奈良時代」は「平城京」だけじゃない!

聖武天皇
聖武(しょうむ) 天皇

そして「飛鳥・藤原京」とも言われる奈良県明日香村から移動し、作られたみやこが「平城京」であることも間違いない。これは「なんと(710年)見事な平城京」のとおり、710年頃と言われる。
そして、この年から「なくよ(794年)ウグイス平安京」の間の約80年は、この平城京が「みやこ(首都)」だったと記憶されやすい。

しかし、これが大きな間違いである。平城京の象徴たる東大寺と大仏を建造したのは、「聖武(しょうむ)天皇」だが、この聖武天皇の時代に、なんとみやこ」は3回も移動している。
結果的には平城京に戻り、その後に東大寺の大仏を建てる事を決めた。聖武天皇がその3回の移動の「みやこ」が気に入れば、そこが「首都」になっていたかも知れない。
つまり「奈良時代」は「平城京」だけではなかったのである。
聖武天皇の時代、次のようにみやこが移動した。

平城京
  ⇩
① 恭仁京(くにきょう):740年
  ⇩
② 難波宮(なにわのみや):744年
  ⇩
③ 紫香楽宮(しがらきのみや):744年
  ⇩
④ 平城京:745年
   その後、大仏の建造を計画し進める。
奈良時代に移動する「都」
奈良時代に移動する「都」

聖武天皇がなぜこのようにみやこを移動したのか、そしてその後に大仏建造を始めたのか、それらについては諸説ある。聖武天皇という人も、謎の多い人物と言われる。そして、この3つの「宮」あるいは「京」に何らかの意味があるとも思われる。
しかし、ここではそれらは脇に置いて、『奈良時代は「平城京」だけではない!』と、是非覚えておきたい。

4.「平城京から平安京」の間に「幻のみやこ」があった!

聖武天皇は第45代の天皇陛下で、その時代から少し時代を経て、第50代の桓武天皇により、「平安京」への遷都が行われる。これが「なくよ(794年)ウグイス平安京」の794年である。
しかし、実際には「平安京」すなわち現在の京都府京都市、に直接移動をしたわけではなかった桓武天皇は、「2度」遷都せんとしているのである。

平城京
  ⇩
① 長岡京:784年
  現在の京都府長岡市、向日(むこう)市
  ⇩
② 平安京:794年
長岡京 平安京
平城京から平安京へ

このように、10年間は別のみやこがあった。それが「幻のみやこ」といわれる「長岡京」である。現在の京都府長岡京市・向日(むこう)市に位置し、京都市の少し南西にあたる。

幻の都「長岡京」と平安京
幻の都「長岡京」と平安京

この長岡京は、先の聖武天皇の3つのみやこと違い、10年は「みやこ」として機能している。規模も相当な物だったと言われる。決して平安京にひけを取らない。

もともと桓武天皇は、仏教勢力があまりに強くなった大和(奈良)の地を離れて、仏教勢力にとらわれない政治を行うことが必要と考えて遷都せんとした、と言われる。しかし、ここまで本格的な長岡京をなぜ10年で移動したのか。謀反の疑いがかかり非業の死を遂げた弟の早良(さわら)親王のたたりを恐れた、といった逸話がある。実際には、「水害に弱かった」という説もある。
諸説あるが、とにかく、実は「平安京」の前に本格的なみやこであった「長岡京の存在は是非とも知っておきたい。

5.それぞれの時代に、「天皇陛下」を当てはめてみよう!

このように「みやこ」の移動は何度もあった。単なる「平城京から平安京」への移動ではなく、実際はいろいろあり「みやこ」が移動していった。そして、そのように見ていった方が、歴史と日本を深く知り、我々の先人達の歩みを知る事が出来る。

この時代を見るときに、まずは地図を見ることでいろいろ見えてくるが、それに加えて、「年表」と共に当時の天皇陛下を見ていくと、更に頭に入りやすい。
歴史の見方として「幕府」が始まり武士の時代となると、その時代の「将軍」を見ると覚えやすい。しかし、武士の時代の前の時代は天皇陛下で見ると、そのまま時代が見えてくる。

飛鳥から平安へ
飛鳥から平安へ

「奈良時代」として頭に入っていると思われる推古天皇(33代)の時代は飛鳥時代である。実は、教科書で学ぶような人々や出来事は、この「飛鳥時代」が多い。
天智天皇(38代)大化の改新(645年)白村江の戦い(663年)、そして天武天皇(40代)壬申の乱(672年)は、すべて飛鳥時代の話である。天武天皇陵も明日香村にある。この「明日香村」は日本の明確な古代の都として存在していた。
また、「平城京」と覚えるが、聖武天皇(45代)の度重なる遷都は、なぜ行われ、そしてそれらの地がなぜ選ばれ更にすぐに変えられたのか。いろいろな説が流れる。

第50代天皇陛下 桓武天皇
第50代天皇陛下 桓武天皇

更に、平安京(京都市)へと遷都したのは桓武天皇(50代)だが、その移動にはまず「長岡京」があり、そこに10年も続いた「みやこ」があった。そして10年後にまた移動し、「平安京」が出来た。

地図と共に見るのなら、ここではざっくりと、下記のように覚えると覚えやすいと思う。

① 飛鳥京:推古天皇(33代)・聖徳太子、天武天皇(40代)
② 平城京:聖武天皇(45代)
恭仁京難波宮紫香楽京
③ 長岡京:桓武天皇(50代)
④ 平安京:桓武天皇(50代)~
「都」と天皇陛下
「都」と天皇陛下

6.飛鳥・奈良・京都の時代は奥が深い!

日本を知る事は、我々の祖先を知り、また土地を知ることにもなる。そしてそれを知った上で、そうした地を訪れると、日本人の伝統とか歩みを感じられるように思う。

「平城京」の前に栄えた「みやこ」があり、「平城京から平安京」へは数々のドラマがあった。次回は、今回触れたその時代の天皇の治世や動きを、少し詳しく見ていきたい。

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