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奈良・京都の時代は平城京と平安京だけじゃない!【3】「都」と仏教との関係

奈良・京都の時代の真実を見る【3】「都」と「仏教」から時代を見てみよう!

奈良と京都の時代を見る上でみやこを中心として、見てきた。前回は「みやこと天皇」で見てきたが、今回は「みやこと仏教」で見ていきたい。仏教の歴史は、日本の歴史そのものとも言える。そして、その仏教とみやこは密接な関係にある。是非ご覧を。

1.奈良・京都の時代を「みやこ」と仏教でみよう!

これまで、「奈良の時代」から「京都の時代」の頃を見る上で「みやこ」を中心として見てきた。また、更に「みやこ」と関連付けて「天皇」を見る事で時代を見てきた。

幻の都「長岡京」と平安京
幻の都「長岡京」と平安京

今回は、「みやこ」と「仏教」とを見ていくことをしてみたい。なぜなら、みやこと仏教とは密接に関わっているからである。
仏教というと一つの宗教のように見えるが、ここでいう「仏教」とはその「宗派」の動きである。すべて仏教ではあるが、それが「宗派」といった単位で分かれて議論や対立があった。そしてそれは、単なる「宗教同士の争い」では終わらない。日本において仏教は時代の政治と密接に関係していて、日本の歴史そのものともいっていい。
奈良と京都を仏教の視点から見ていきたい。

2.仏教の始まりは「飛鳥時代」の「飛鳥・藤原京」から!

飛鳥時代の仏教
飛鳥時代の仏教

日本での仏教の始まりは、西暦で言うと552年欽明(きんめい)天皇(29代)の時に、大陸から来たとされる。陸路で支那大陸(China大陸)から韓半島を通って伝わった、とされるが、必ずしも陸路とは限らないとの説もある。
伝来の最初については、諸説あるとしておきたい。

そして、明確に仏教が盛んになったと言えるのは、第33代の推古天皇時代に活躍した、聖徳太子の時代である。すなわち、「飛鳥・藤原京」の頃である。今の地名で言う、奈良県明日香村が「みやこ」の時代だった。

聖徳太子は非常に信心深く、仏教を深く学んだ。仏典をいくつも暗記したという。更に聖徳太子のすごいところは、仏教だけでなく日本の古来からある「八百万やおろずの神々」すなわち今で言う「神道」も重んじたところにある聖徳太子は日本には、「神道」と「仏教」がバランス良く存在することを追い続けた。

十七条憲法と「仏」
十七条憲法と「仏」

聖徳太子が如何に仏教を重んじたか、それはかの有名な「十七条憲法」を見れば見えてくる。

最も有名な「和を以て貴しとなす」の第一条の次に第二条として

「篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬(うやま)え。三宝とはぶっぽうそうなり・・・」

と記している。その後に「三宝とはぶっぽうそうなり」と続いている。「仏」とは当然に仏教をさす。これを日本最初の憲法といわれる、「十七条憲法」の第二条に持ってきていることを見る事で、聖徳太子が仏教を大切にして人々を導こうとしたかがよくわかる。

3.奈良の仏教は、「南都六宗なんとろくしゅう」で覚えよう!

奈良の時代と言えば、仏教のイメージが強い人が多いと思う。それは、奈良の東大寺の大仏が象徴するように、数々のお寺が奈良にあることによると思う。そして、その有名なお寺の多くが、「奈良市」にある。すなわち、「平城京」の時代である。

奈良仏教
奈良仏教

奈良仏教」あるいは「平城仏教」とも言われる、平城京の時代の仏教は「南都六宗なんとろくしゅう」で覚えるといい。「南都六宗なんとろくしゅう」とは、当時の仏教の宗派で、宗教的・政治的に大きな力を持った「六つの宗派」を言う。

法相宗(ほつそうしゅう):道正が伝える。現存し、興福寺・薬師寺が本山
俱舎宗(ぐしゃしゅう):法相宗の一派(付宗ぐうしゅう
三論宗(さんろんしゅう):元興寺、大安寺が本山。
成実宗(じょうじつしゅう):三論宗の一派(付宗ぐうしゅう
華厳宗(けごんしゅう):良弁が開祖。東大寺が本山
律宗(りつしゅう)鑑真がんじんが開祖。唐招提寺とうしょうだいじが本山
唐招提寺の鑑真像
唐招提寺の鑑真像

その中でも最も大きな印象が残るのが、「華厳宗」と思う。東大寺を本山に持つ華厳宗は今にも生きている。

奈良市にある「興福寺」も有名と思う。興福寺は南都六宗の法相宗(ほっそうしゅう)の本山だった。今でこそあまり規模の大きいお寺ではないが、長きにわたり絶大な力を持っていた。

また、有名どころで言えば、鑑真を開祖に持つ律宗が挙げられる。教科書にも良く出てくる鑑真は、元々は支那大陸の「唐」の生まれである。しかし、遣唐使として唐に訪れていた日本の僧侶から日本への渡来を決意して日本に来た人である。とはいえ、何度もその渡来は失敗し、その中で失明をしてもなお、日本に渡った情熱の人だった。
鑑真和尚の有名な像は、奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)に国宝として飾られている。

4.「奈良を捨てた」理由は「強すぎた仏教勢力」

聖徳太子の「飛鳥・藤原京」からスタートした仏教は、奈良市の「平城京」において、その勢いを更に大きくしていった。そしてその力は単なる宗教の域ではなく、有力な「政治団体」あるいは「経済圏」というほどに、政治・経済の力を持つことになった。

幻の都「長岡京」と平安京
幻の都「長岡京」と平安京

これでは、単なる「仏教の教え」という範囲を超えてくる。そこでこの状況を変化させないといけない、という危機感を持ったのが、桓武天皇(50代)であった。

桓武天皇は、平城京から長岡京へ移動(784年)し、更にその十年後に今の京都市である「平安京」に遷都した(794年)これは単なる気まぐれではなく、明確な意図と目的を持って行われたことは間違いない。
その意図や目的には諸説あるが、まちがいなく「奈良仏教(南都六宗)勢力の力を落とす」ことが最も有力な理由であったと言われる。

それほどまでに、仏教勢力というのは強大であり、対処しなければならない一大勢力だったのである。

5.京都の時代と言えば「天台宗・真言宗」の「平安二宗」

さて、こうして移動した京都だが、やはり人々の不安を救う存在として、仏教は欠くことの出来ない考えだった。それは今も変わらないと言える。

そして、桓武天皇は奈良の「南都六宗なんとろくしゅう」などの旧仏教勢力からの脱却を図り平安京へと来た。そして登場してきたのが、後の日本に多大な影響を残した2人の天才であった。同時代に生きた最澄と空海である。

最澄と空海
最澄と空海

まずは7歳年上の最澄は、平城京(奈良)での仏教の腐敗ぶりに嫌気がさす中で、当時の主流とは一線を画し、天台宗を深めようと、比叡山に小さなお寺を建てる(788年)。これが、今にも続く日本の仏教を生んだ「比叡山延暦寺」のスタートとなる。
天台宗の教えは「大乗仏教」と言われ、従来の「南都六宗」と大きく違う物だった。そして当時、仏教勢力の強大化や腐敗した状況に悩んでいた桓武天皇(50代)は、この最澄の教えや人柄を信頼した。そして最澄を重用すると共に、望み通りに、「唐」への勉強を許可した。

その時に、別の船ではあるが空海も一緒に唐へ渡ることとなった。2人が遣唐使として唐に渡ったのは804年、最澄はその頃38歳でエリートとして既に注目され、一方の空海は31歳で全くの無名であったという。

平安二宗(天台宗と真言宗)の本山
平安二宗(天台宗と真言宗)の本山

帰国後に空海は「真言宗」を開く。今でこそ、「比叡山延暦寺」の天台宗は強大な勢力ということが知られるが、当時は、この空海の「真言宗」の方が力を持つこととなった。最澄としては後輩である空海に「真言宗の弟子入り」までするほど、最澄の真言宗の力は大きくなった。

当時の天皇陛下である嵯峨天皇(52代)は最澄に協力し、京都の東寺などの建造を進めた。

最澄空海、それを保護した桓武天皇(50代)嵯峨天皇(52代)、この時代が生んだ「天台宗と真言宗」は「平安仏教」とよばれ、300年以上続く平安時代に2大巨頭として人々に広まった。そして、両者とも、その後の「鎌倉仏教」、更に現在の日本の仏教に続くまで、日本と日本人に計り知れない大きな影響を与えたのである。

6.奈良・京都の時代と「みやこ」「天皇」「仏教」

奈良・京都の時代を、当時の「みやこ」と共に、「天皇」「仏教」と共に見てきた。このように、少し視点を絞って時代を見ると、この時代に出来たものが如何に今の日本に生き続けているかが分かる。

そして、それらを生んだ地は、奈良から京都という時代の中で、単純に今の「奈良市」「京都市」だけではなく、実はいろいろな場所に移動しながらそれらが生まれてきた
また当時の天皇を見る事で、今の日本のいしずえがこの時代に本当に数多く生まれていることが見える。
更に、今の日本にも残る「仏教」というものは、いろいろな宗派を経て発展したが、そのスタートもまた、この時代であった

数々の日本のスタートを、「奈良」「京都」の「みやこ」と共に見ていくと、見え方が大きくかわり視野が広がると思う。そしてその上で、そうした場所を訪れると、当時の「みやこ」と「天皇」と「仏教」の息吹を感じられる。
是非、現地に訪れてさらに先人達の歩みを学んでいきたい。

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コメント

    • ゆうじ
    • 2021年 1月 30日 8:35am

    「都」三部作、見ごたえありました!いつかゆっくり回ってみたい。

      • てつ
      • 2021年 1月 30日 9:45am

      ありがとうございます!

      「都」は是非訪れるといいですよぅ。何度でも楽しめます!

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