満開の桜を楽しもう!
前回に続き、またも桜の記事となってしまった。あまりに満開の桜がきれいなため、記事にしたいと思い、桜の「花見」の起源といわれる嵯峨天皇のエピソードと共にまとめた。是非、ご覧を。
1.満開の桜!
令和2年(2020年)4月5日時点で、愛知県地区はほぼ満開となった。やはり桜を見ると、季節を感じ新しい年度の始まりを思う。
今年はこの時期に雨が多かったため、少し花が落ちるかと思ったが、雨の中でも咲き乱れ、また晴れた日には一気に満開となった。
今年は「武漢ウィルス」一色で、世間的には満開の桜の華やかさがない。しかし、いくら今年の春が自粛ムードでも、やはり桜を楽しみたい。そうした心の余裕は常に持ちたいと思う。
2.日本で最初の「花見」は嵯峨天皇(第52代:809年~)
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日本で最初の花見をしたのは、第52代の天皇陛下の嵯峨天皇と言われている。嵯峨天皇は平安京を作った桓武天皇(第50代)のお子様で、兄の平城天皇(第51代)が上皇に退いた後に、天皇陛下となった。
在位は、大同4年(809年)~弘仁14年(823年)で、兄との確執もある中で平安時代の基礎を作った人である。
実は兄である平城天皇は自ら上皇に退いたにもかかわらず、その後天皇としての権勢を振るおうとした。こともあろうに、都を奈良の平城京に戻す、とまで言ったのである。それを沈静化させ政治を安定させたのは嵯峨天皇であった。
嵯峨天皇はほころびが見えていた「律令」を直し、死刑を廃止するなど改革を行い、抜群のリーダーシップを発揮して30年もの間、治世を行った。平安の基礎、すなわち日本の基礎を作った名君だった。
そんな嵯峨天皇は桜をこよなく愛した。京都の清水寺の本殿の裏にある「地主神社」の桜を見て何度も足を運んだと言われる。それから神社から何度も桜を献上させ、これが平安時代に桜が広がるきっかけとなった。そしてそれが今も日本に生き続けている。
また、嵯峨天皇は仏教を深く勉強し、平安仏教のツートップである天台宗の「最澄」、真言宗の「空海」とも親交があり理解者であった。
最澄には、最澄の念願だった「大乗戒壇」の設立を認め、空海には「東寺」を渡しそれが真言宗の本山となった。また書の達人で、「弘法大師」と呼ばれた空海と、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並び、「三筆」と呼ばれている。
お寺に桜が多いのも、こうした嵯峨天皇の思いが形になっているのかも知れない。
3.満開の桜と共に
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桜の記事は今年二回目となってしまった。満開の桜があまりにきれいだったため、歴史と共に記述した。
今年は「武漢ウィルスの年」になってしまった。しかし、過去の日本においてそうした疫病被害は幾度となく襲ってきている。そしてそれを克服してきた。平安時代も苦しい時代だったが、日本人の知恵で乗り切ってきているのである。
そんな時でも桜を愛した嵯峨天皇とその後の先人達にあやかって、こんな時こそ、日本伝統の「桜」を楽しみながら、心の余裕を持って見ていきたいと思う。
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