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上手な(有意義な)時間の使い方を考えよう!

「自分は何をしたいのか」

上手に(有意義に)時間を使うための手法を考える。

あまり自分で積極的に考えないが、あるきっかけから「自分の時間の使い方」を考えてみた。いろいろな事に取り組みたいと考える私は、確かに時間の使い方を工夫している。その方法を綴ってみた。どうも「精神論」にも見えるかも知れないが、理系なりの考えもあって進めている。人それぞれと思うが、是非ご覧頂いて、ご参考に。

1.時間を上手に使う「コツ」

「時間を上手に使う」ということは、自分も出来ているのかは正直分からない。ただ、それなりにいろいろなことに取り組めている自分を見ると、そしてこれまでの自分の人生を見ても、「よくやっているな」と合格点を与えられる。そういう意味で、自分では「時間を上手に使っている」と認識している、ということかと思う。

では、それをどのようにしてやっているかと言われても、自分のことなのであまり具体的に考えたことはない。しかし、友人からそれを聞かれ、少し真面目に「自己分析」してみた。

結果、結論として次の3つの要素に行き着いた。

①:時間は有限という「時間の見方」
 そもそもの「時間」の見方・考え方がはっきりしている。
②:自分は何をしたいか、という「自己の意識」
 ①の上で、自分の時間をうまく使いたいという「目標」を常に持っている。
③:①・②を受けての、「具体的な時間の過ごし方の反省・改善」
 ②を受けて、自分はどう過ごすべきか・今の時間の使い方でいいか、常に考えている。
時間の考え方
時間の考え方

改めて考えてみると、この3つの考え方が中心となって、自分の過ごし方を常に考えている気がする。それぞれについて詳しく見てみたい。

2.「時間の見方」の「コツ」

(1) 人間の時間は「有限」

人間の時間は有限」という当たり前のことを意識することが、「時間を上手に過ごす」大前提と思う。私は父を20歳の時に亡くした。尊敬する父の終わりの時を目の当たりにしたことは、その後の私にとって大きな影響を与えてくれたと思う。当たり前だが「人の一生は有限」である。

アインシュタイン博士
アインシュタイン博士

地球上の生物には等しく与えられた時間として、「1日24時間」である。まずここからスタートしないと、時間をうまく使うことの意識として根幹が抜けてしまう。
「1日は24時間はみんな同じ」と言っても、ここに睡眠時間などが入ってくると、どんどん変わってくる。睡眠時間は、いわゆるショートスリーパーは4時間程度でいいともいうし、理想的には8時間必要とも言われる。私は、最近こそ直睡眠時間を取るようにしているが、実際にはショートスリーパーの部類で4時間寝ればOkだった。ある意味「一日を長く使う」ことができた。
しかし、天才アインシュタインは10時間は寝ないとダメだったという。それを見ると、「ショートスリーパーは使える時間が多い」、と言っても、「能力」の差は当然あるわけで、「時間」だけの議論はあまり意味を持たない。
また睡眠時間だけでなく、家事や仕事や通学など、自由にならない時間はそれぞれで相当あるので、あまり「時間」そのものを一般的には語れない。

しかしとにかく、地球上の生物の1日はすべて24時間であることは明白である。この「自分の24時間」をどのように過ごすか、と考えることが、「時間を大切にする」ことの出発点となる。

そして、人間としての意識としてもう一つ付け加えたいのは、「今の時間は今しかない」ということである。「20歳の4月は二度と戻ってこない」「45歳の春は今しかない」といった、「今の時間」の大切さを意識することは、若くとも若くなくとも等しく意識すべきと思う。時間は有限であるという意識は、時間を上手に・有効に使うための必須の意識と思う。

(2) 「無駄な時間」と「有意義な時間」の認識を!

ここで、同じ時間でも「無駄な時間」と「有意義な時間」とに分けることを、考えたい。自分の時間をこの2つに分けることは、単純なようで意外に難しく、しかし、時間を大切に使う上で不可欠な考えと思う。

といっても、何が無駄で何が無駄でないかは、100%個人の主観による物で、定義できる物ではない。ここで言いたい「無駄か無駄でないか」は、決して「会社のために働いたか」「家庭のサービスをしたか」とかいう基準で見るものではない。そうではなく、

「自分の為になった時間か? 自分はその時間の使い方で満足しているか?」

という視点で見たときでの「無駄」か「無駄でない」かである。今の時間の過ごし方に「満足」しているかしていないかは、本人が一番良く分かっているはずであるし、本人でないと分からない。
人によっては、パチンコの時間も大事な時間であろうし、一方で会社のいうとおり働いても自分のためになれば「無駄」には当たらないと思う。

とにかく、過ごしている自分の時間が「自分にとって無駄か無駄でないか」を意識すると、時間を大事に考えられる。

(3) 「機会費用」の考え方を取り入れよう

ここで経済学の概念の一つである「機会費用(Opportunity cost) 」の話をしておきたい。
「機会費用」とは投資の議論などでよく出てくる考え方だが、いろいろ応用の利く考え方で是非知っておくと、物の見方が変わってくる。

機会費用」を単純に言葉で説明すると、

ある行動を選択した結果、他の選択肢を選んでいたら得られたはずの(失った)「利益」のこと」

例を挙げて考えてみる。

機会費用
投資を選択する時に二つの選択肢(A・B)があったとき、
(1) もしAを選んだ場合に、「そうではなくてBを選んでいたら、どれだけ儲かっていたか」、ということを考える。
(2) あるいは、どちらも選択しなかった場合に、「Aを選んでいたらいくら儲かった」「Bを選んでいたらいくら儲かった」と考える。
特に(2)のケースを説明すると、「何もしなかった(投資しなかった)」という選択をして、確かに「損失」は出ていないが、ここで計算されるAの利益、Bの利益を逃していることになる。すなわち「機会を逸している」「逸失利益が生じている」という。
このような、現状の選択と「もし別の選択をしていたら」という予測の他の選択との差を「機会費用」という。
機会費用の例1
機会費用の例1

これが機会費用の考え方である。これは時間の使い方や人生にも言える。
一見一番平和な道を行くことがいいことのように思われるかも知れないが、これをやっておけばもっとよかったのでは、という事は多々あると思う。それが具体的に考えられるときには、この機会費用」の考えに基づいて、「人生の逸失利益(選んでいたら得られた利益)」を考えてみるといいと思う。
これを考えていくと、未来の行動を考えることになる。「得られた利益」というのは予測であるため成功だけとは限らないが、次の行動を後押しする上では、冷静に「機会費用」を意識すると、時間の過ごし方が大きく変わってくると思う。

会社の中での具体例を言えば、上司として不満を持って仕事をしている人を知りつつそのままにしておけば、その人が他の仕事なら得られたであろうパフォーマンスが出ていないという逸失利益」はどんどんたまっていく。一見は現状維持が平和のように見えるが、この「逸失利益」はどこかにたまっていっているのである。

機会費用の例2
機会費用の例2

同じ事が、個人の時間にも言える。自分の中でも不満を持ちながら仕事をし続けていて、一方で他にやりたいことがあれば「逸失利益」がどんどん大きくなる。ただ、それを考えたくないから「逸失利益」から目をそらすことが多い。
なお、「別の選択肢が現状より利益が出る」状態でなければ、「機会費用」は生じない。つまり、現状がベストということになる。

すなわち、機会費用」を考えることは、自分でその不満に対する対処方法を考える事とも言える。しっかり「機会費用」に向き合えって仕事を考えていけば、その職場内でもいろいろなアクションが起こせる。「機会費用」は限りなくゼロに出来ると思う。そういう意味でも「機会費用」の考え方は是非持つといいと思う。

3.「自分は何をしたいか」を考える

(1) まさに橋本左内公の「振気」!

先に①の「時間は有限」ということを書いたが、それは一般論として理解すればいいと思う。重要なのは②の「何をしたいか」である。

これは文字通りで、あえて説明を要する物でもないかも知れない。「自分は何をしたいのか」「今の自分の生活(時間)は自分の思うとおりのところなのか」というものがなければ、「時間を有効に使う」こと自体が難しい。目的がなければそもそも「有効とは何か」が分からないからである。

「自分は何をしたいのか」
「自分は何をしたいのか」

その「有効」が、「お金を稼ぐこと」「家族を楽しませること」、「出世すること」、といった基準ならそれで十分機能すると思う。ただ一般論で言うと、そうした人達も「目標を持っている」というより、「なんとなくこのレールに乗っている」という人が多いと思う。
レールに乗ること自体が問題ではない。レールに乗っていたとしても、本人が満足していれば、先の「機会費用」は生じていない。しかし、そのレールをさらに良い物にしたい、とか、レールそのものを変えるべき、と思うことがあるのなら、「自分は何をしたいか」という思案が為されるはずであり、そうすべきである。

自分にとって「有効な時間かどうかを考える」ことは、会社・家族・社会などの事を考えると意外に難しいのかも知れない。しかし考えるだけなら問題ないはずである。
「自分は何をしたいのか?今の自分の時間は有意義なのか?」、自分に問い続けることは、時間を有効に使うために、最も大事な部分と思う。

そんなことを考えるとき、私がいつも思うのは歴史の先人達の熱い想いである。私も日本人の一人として、歴史の先人達のような「熱い思い」を持って時間を使いたいと思う。
先人に勇気づけられる言葉は数々あるが、ここでは幕末の志士、越前(福井県)の橋本左内公の「五訓」を挙げたい。「五訓」は橋本左内公がまだ15歳の時に、自分にあてた文字通りの「自己啓発」である。今回の文脈なら、この中でも特に「振気(しんき)」と「立志(りっし)」が胸に響く。

橋本左内
橋本左内公

【 啓発録 「5訓」 】
(wikipediaより)

1.去稚心(稚心を去る)
目先の遊びなどの楽しいことや怠惰な心や親への甘えは、学問の上達を妨げ、武士としての気概をもてないので、捨て去るべき。
2.振気(気を振う)
人に負けまいと思う心、恥を知り悔しいと思う心を常に持ち、たえず緊張を緩めることなく努力する。
3.立志(志を立てる)
自分の心の赴くところを定め、一度こうと決めたらその決心を失わないように努力する。
4.勉学(学に勉む)
すぐれた人物の素行を見倣い、自らも実行する。また、学問では何事も強い意志を保ち努力を続けることが必要だが、自らの才能を鼻にかけたり、富や権力に心を奪われることのないよう、自らも用心し慎むとともに、それを指摘してくれる良い友人を選ぶよう心掛ける。
5.択交友(交友を択ぶ)
同郷、学友、同年代の友人は大切にしなければいけないが、友人には「損友」と「益友」があるので、その見極めが大切で、もし益友といえる人がいたら、自分の方から交際を求めて兄弟のように付き合うのがよい。

(2) 自分の「夢」を考える。キーワードは「心が震えたか?」

高杉晋作公 「天地も人も~」
高杉晋作公 「天地も人も~」

とはいえ、何をもって「自分が何をしたいか」といっても、意外に難しい。そんなときは、あえて大きなテーマで「自分の夢」を考えるといいと思う。「夢」と言っても、私もいい年だし選択肢がそんなにあるわけではない。「夢なんて言われても特にないよ」とは、私が小学生・中学生の時によく言っていたことである。
正直「夢と言われても・・・」と思う人は多いと思う。

ここで言い換えたい。私はあえて大げさに「心が震えたことがあるか」という言葉を自分に使う。
人生経験を積んでいくといろんな場面や人に出会う。そして、いい仕事をしたときや、家庭での一場面、若しくはテレビ・映画を見て、はたまた飲み会での議論の中で「心が震える」時があると思う。私は特に仕事の時でいえば、誰にも褒められなくとも大きな「達成感」を感じる瞬間を大事にしている。それこそが「心が震えた時」かと思う。そしてそれを感じる自分を見たときに、自分のやりたいこと、あえていうなら「夢」あるいは「目標」が見えてくる、と考えている

4.そして具体的に「予定」を決める

ここまで来れば、あとは方法論である。自分のやりたいことがはっきりし、そして「時間は有限」ということを意識すれば、具体的に自分は何をすべきかという「概要」とその「方法」を考えて、スケジュールにする

私の場合は、寝る前にだいたいの次の日の自分のスケジュールは決める。仕事がない日でも、朝に「なんとなく寝る」ようなことはまずない。「自分のしたいこと、立てた目標に近づけること」が原動力のため、仕事がある・ないは関係ない。

「スケジュール」と言っても、エクセルにしてすべて資料にしよう、などということは私も全くしたことがない。大まかなところを頭の中で決める。上記の①(「時間は有限」)と特に②(「自分のやりたいこと」)に基づいて、自分が1年後にはこうなりたい、半年後にはこう、だから1ヶ月はこうしていこう、と考えると、一日の過ごし方は大きく変わってくる
特に会社にいると、①・②を持っていても、目の前の仕事をこなすことが優先となってしまい、特に②の「自分のやりたいこと」は胸の中にしまってしまう。しかし、その忙しさの中にも③の「予定を立てる」ことは出来るはずである。その忙しさの中に自分の目指すべき方向の時間を入れることは、個人にとっても会社にとっても悪いことではないし、本来すべきことと思う。

「論語」に次のような言葉がある。

「遠き慮(おもんばか)りなければ必ず近き憂(うれ)えあり」
(意訳例)
遠いところまで見通して対策を考えておかないと、近いところで足元をすくわれることになる

この言葉の通り、近くの予定を立てるのは「遠き」があることが大前提である。逆に言えば「遠き」があれば「近き」は勝手に決まってくる物と思う。

5.何もしない時間もしっかり持って、のんびりすることも忘れずに

名古屋駅の夜明け(名古屋市の堤防より)
名古屋駅の夜明け(名古屋市の堤防より)

このように書いていくと、人生すごく疲れるように思われるかも知れない。確かにそういわれることは否定しない。しかし、そうでもない。

私も何にも目的を持たない時間も意識して取るようにしている。自分の目標は置いておいて「楽しむときは楽しむ」という心の余裕を失うと、人間そのものに余裕がなくなりいいことはない

むしろ自分の目標を持ったのならば、なおさら「それ以外での楽しむ時間」を大切にするべきと思う。そして自分の目標を持ちそれに進みつつ過ごす「それ以外での楽しむ時間」は、更に楽しく充実した物になる。

6.「自己流」時間の使い方をまとめてみて

自分なりの時間の持ち方を分析してまとめてみた。ブログに載せるほどの内容ではないのかも知れないが、あえてまとめてみた。「精神論」が多いように見えてしまうかも知れないが、工夫した結果のあえていえば「技術」と思っている。

こうしてまとめてみると、自分でも発見があるし、思い返す部分が多い。「自分は何をしたいのか」に向き合っていられているか「今の時間は今しかない」ことを忘れて時間を過ごしてしまっていないか、など、少し反省すべき所、思い返すことがあった。

自分も気づけば50歳に近づく年になってきた。しかし、年齢に関係なくここでまとめたような「時間の使い方」をし続けたい。というより、年を重ねれば重ねるほど、更に「時間を大事」にして、有意義に過ごしていきたい。

あくまで自己流の考え方をまとめた。人それぞれと思うが、皆さんの何かの参考になれば幸いに思う。

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